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第5話 けれど

 本社、なんて聞こえはいいけれど、結局はこの工場を買い取った、「ご主人様」なんだろう?  俺たちに言うことを聞けと言い聞かせてに来やがったんだろう?  そう思われてると思っていた。実際、工場内に足を踏み入れた瞬間の様子はそんな雰囲気を感じた。でも、まぁ、それは安易に予想ができていたから。それもあって今回気が重かったけれど――。 「あ、それストロークも一応メモっておいて。基本的に試験報告書はただの報告書だから、信頼できる試験だったことを証明するのはあくまで図面。だから図面に全部書き込んでおく。報告書は後でデスクでゆっくり処理する」 「……っす」  枝島はコクンと頷くと素直に試験の結果を図面上に丸ごと書き残していく。  字、キレイだな。  でも性格が出てる。整っていてバランスが取れているけれど、強い筆圧、勢いのある払い方、それから右肩上がりの感じが、枝島っぽい気がした。 「あの、じゃあ、これって」 「あぁ、それは……こっちに荷重をかけたってことをちゃんと残しておく」 「っす」  また頷いて、さっと図面に強い文字が走った。 「そしたら、強度試験の結果とかって」 「それは強度をどのポイントにどの角度でかけたのかまで記入する」 「っす」  真剣になると口元がへの字に曲がるらしい。  こう言うのを議事録って言うんだって思いながら、オンラインミーティングの間、それを読んでいたと教えてくれた。  俺は寝てるのかと思ったよ、と笑いながら答えると少し慌てるのが面白かった。寝てないっすよ、と、少し高くなった声で呟いてた。慌てた時に少しだけ声が高くなるって、気がついた。 「画面、睨んでるし」 「それは……あんま目良くないんで、あそこからだとちいせぇ画面があんま見えなくて」 「目、悪いのか?」 「あんま……っす」 「メガネは?」  尋ねた瞬間にまた変化した表情にちょっと笑いそうになった。  面倒くさいと思っているのは俺のことじゃなくて、メガネ、のこと、かな。  あんまりよく喋る方じゃないらしい。うちの新人、枝島と同じ歳の彼らは私語が多くて、たまに注意するくらいなのに、同じ歳の割には寡黙なタイプなんだな。落ち着いているし、背も高く、ふわふわしていないから、日々自分が接してきた二十四歳の新人とは全く違っていて、不思議だった。  寡黙。  黙っているから、と言うだけではないだろうけれど、一人だけ空気が違っていたくらい。凛とした佇まいだった。  そして、とても物静か。  でも、寡黙な分、表情に思っていることが結構出るタイプ。  メガネなんてうざったい、そんな顔をしている。 「まぁ、顕微鏡を覗く仕事でもないからな。でも、椅子に入った損傷とかは見逃さないように」  少し、嬉しかったんだ。  嫌われて喜ぶ人間なんていないだろ?  だから、なんだ面倒くさい、と厄介者にされず、煙たがられもせず、むしろこうして仕事の質問をしてもらえるのが、嬉しかった。 「で、よく、椅子系だと亀裂が入りやすい箇所があって」 「っす」  目が悪いと言っていた枝島はぎゅっと目を凝らし、昨日の夕方から荷重を繰り返し千回以上かけられ続けて、たった今耐久試験を終えたばかりの椅子の脚の根元を見つめた。  俺はそんな枝島の隣に座り込みながら、その端正な横顔が、口をへの字にして、椅子の根元を睨みつけている様子を眺めていた。  俺は案外単純な奴なんだろうな。 「本社でやってる試験はだいたいこんな感じだな」 「っす」 「あ、枝島」 「?」 「何飲む?」 「……え」 「疲れたろ?」  ほら、と視線を自販機の方へ向けると、枝島もその視線を追いかけるように自販機を見つめた。生産、つまりは製造するって言うのも労働としてはきっとかなり疲れるだろうけれど。品質保証の試験って言うのも、結構疲れるんだよ。体力と一緒に気力も相当消費する。  ほら、立ち上がると、勝手に口から溜め息が溢れる。  そのくらいには疲れてるから。 「ジュース? お茶? コーヒー?」 「ぁ、けど」 「いいよ。ほら、好きなの言って」 「ぁ、じゃあ…………カフェ、オレ」 「……オッケー」  ちょっと笑いそうになった。  とってもあま〜いカフェオレ、なんて書いてあるのを枝島が飲みたいっていうから、なんか笑いそうになった。  その顔で? ってさ。  いわゆるクール系イケメンってタイプに思える枝島がコーヒーじゃなく甘いカフェオレを選ぶって言うのがミスマッチで。  意外だなって。 「ぁ……えっと、ごちそうさま、っす」 「おぉ」  嫌われてると思っていたけれど、そうでもなかったのは嬉しかった。  寡黙なタイプだと思っていたけれど、寡黙なんだけれど、顔はおしゃべりなくらいに感情が表に出る奴だった。 「甘くないか? それ」 「甘いっす」  ブラックコーヒーが似合うと思ったけれど。 「苦くないっすか? それ」 「んー、苦い、かな」  甘いカフェオレが好きみたいだった。  気が重いと思っていた中期的出張の初日は思っていた以上に気持ちが軽くなった。  全く不慣れな場所での検査はいつも以上に疲れたけれど、どこか楽しくもあった。 「けれど」「違っていた」が多い一日の終わりに、ブラックコーヒーを選んだけれど、少し甘いのもこんな時には良いかもしれない、と思った。

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