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第6話 されど
自分がゲイだって気がついたのは、結構遅かった。
高校生の時。
中学はまだ女子の中でも可愛いと言われていた子に興味を持っていたように感じてた。錯覚、みたいなもの。
みんながあの子可愛いよなって言えば、俺もその子を可愛いと思っていたし、その子に自分が話しかけられると少し嬉しいような気持ちがしていたから。それを「好き」だと思っていた。
だから、好きになる子はいつだって男子の中で人気だった女子ばかり。とにかく面食いだと思われてたっけ。
ちゃんとした「初恋」は高校に入ってからだった。
相手は友達で。
――なぁ、なぁ、久喜。
話しかけられて、肩に肩が触れ合っただけで頬が熱くてたまらなかった。
そいつは、男だった。
そこで自分の恋愛対象の性別をはっきりと認識した。
「ふぅ」
三週間滞在することになっているシティホテルは駅から歩いて五分。けれど、職場となる工場は、工業地帯の端の端、ただ高速道路出入り口からは程近いから、出荷、入荷を多くするのならとても便利とも言える場所にある。ただ通勤には不便、かな。最寄駅は歩いて四十五分。それを最寄駅って言っていいのか? ってくらいに離れているし、一時間に二本だけ通るバスの停留所も歩いて三十分近く。とにかく公共の乗り物では通えない。車通勤必須のところ。そんな工場はこのビジネスホテルから車で十五分ほどのところにある。
不慣れな土地に、不慣れな車、不慣れなホテル暮らし。
「……」
ただ一つ、不慣れじゃないとしたら、大学生まではこっちに住んでいたってことくらい。
少し疲れた。先にシャワーを浴びたくて、ダルいけれど、溜め息混じりで立ち上がる。
あまりにも工場が埃っぽくて、シャワーを浴びないとソファに座りたくなかったんだ。
明日は……掃除から、かな。
業務的にはそう忙しくないように見えた。物量だけで言えば本社の四分の一くらい。工程情報っていう、各工程で直近の二週間の間抱えている業務量を一つにまとめたデータを見ても、こっちの工場の物量負荷は本社の数分の一程度。
椅子工場だったから、もちろん、とりあえずこちらで製造してもらうのは椅子関係になっている。他のものもゆくゆくは……なんだろうけど、今の状況じゃ、ソファとかファブリックがついているものは難しいだろう。木製の椅子のみだったから、あの有様でもできていたってだけで。布や革のあるソファなんかはあの工場じゃ到底作れそうにない。全部汚れが付着して即不適合品になる気がする。
三週間だ。
三週間で、あの工場を品質面で監査が入っても問題なく合格できる水準まで引き上げないといけない
それなのに、今日はその工場の様子を見るだけで一日が終わった。
「はぁ」
でも、あの枝島はちゃんと育てたら――。
――検査、教えてくれてありがとうございました。
思っていた以上にしっかりしていたし、思っていた以上に。
――まだ全然っすけど。明日もお願いします。
絶対に嫌われてるって思ったし、余所者、って全員に思われているって自信すらあったくらいだったけど。枝島はそんなことなかった。
――苦いんじゃないっすか。
笑ったりする奴なんだな。
「……」
俺の六歳下、か。
二十四歳、若いよな。三十の俺は枝島にはおじさんに見えるんだろうなぁ。
まぁ、仕事は別として、プライベートなんて、きっと二十四の枝島よりもずっと稚拙なものだけど。
――甘いの、疲れてると余計に美味いっす。
あれは、モテるだろうな。背高くて、顔立ち整っていて、手もデカくて。声は低い。いつも無表情というか、目つきが鋭いせいか、クールな印象があるから。
――ご馳走様っす。
あんなふうにちょっとでも笑うと、特別な瞬間を見ることができたような気持ちになる。自分にだけ見せてくれた、みたいな特別なものに感じる。
恋愛経験があれ、あの大学の一回しかない俺だけどさ。もしも枝島のことをちょっと気になるなんて思ったら、あの瞬間に、あっという間、ちょっと突いただけでコロコロと坂道を転がるように落っこちるんだろうな。
すぐに絆されそう。
もちろん……ありえないけど。
「……」
パシャリ。
「……」
濡れ髪のまま、バスタオルを腰に巻き付けて、バスルームのシンク台に片手を置きながら、自撮りを一枚撮ってみた。バスルームの照明が青白いせいか、肌がとても色白に見える。顔がスマホを持つ手で隠れるように調節しながら撮ったから、写真にほぼ裸の自分がいるだけ。顔での認識はまず不可能。
何歳に見えるんだろ。
ふと、そんなことを思った。
『今日は出張初日、長い移動にヘトヘトです。三週間滞在するホテルで撮りました。今日はこのままホテルで晩御飯かな』
髪をタオルで拭いながら、ぽちぽちと打ち込んだメッセージを添えてコメントをアップすると、ぽんぽんとリアクションが返ってくる。
会いたいと言っているフォロワーもいる。
それにはあまりちゃんと答えず、ようやくベッドに腰を下ろした。
ほら、またメッセージだ。
綺麗な肌ですね、だって。
今度、飯でも一緒にどうですか? 最寄駅まで行きます、だって。
最寄りは工場地帯のど真ん中なので特にありません。綺麗な肌もきっとバスルームの照明のおかげかと思われます。そう内心返しながら、もらったメッセージにリアクションのハートマークをつけていく。
はち、はこれを上手くかわせるけれど。
リアルの俺は、もしもこんなことを言われても、上手にかわせるわけもなくしどろもどろで不恰好になる。
三十にもなって、誘われた時の返事の仕方すら、スマートにはできそうにない不器用な奴なんだって、枝島よりもずっと場慣れしていない未熟な大人なんだって思いながら目を閉じた。
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