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第17話 ほろ、ぽろり

 や……………………。 「……」  って、しまった。  八年ぶりのセックス。 「……」  会社の、部下と。 「……」  してしまった。  しかも、抜かずの、ナントカ、で。  でも、あんなだったっけ。  セックスって。  あんなに気持ち――。 「……いや、そういうことじゃなくて」  枝島がシャワーを浴びてる水音に紛れ込ませながら自分にぼやいた。俺は先にシャワーを使わせてもらった。ものすごい色々、大変な有様というか、その、まぁ、盛大に事後感がものすごい裸だったから。  久しぶりのセックスに、久しぶりの身体の重いだるさ。久しぶりの高揚感の余韻。  それと一緒にどうするんだっていう、まともな社会人の、さっきまで溶けてどこかに行っていた理性がグイグイ押し付けてくる倫理観。 「……っつぅ」  起き上がると、そんな小さな声が零れる。  腰、バッキバキなんだけど。 「っ、明日仕事なのに……体力バカ……」  いや、でも、俺もバカだった。  ――あ、またっ、あぁ、そこ、イッ、く。 「……はぁ」  何してんだ。  作業着あるし、私服は、別に出勤の時にしか着ていないから、同じでもかまわないだろうけど、枝島は帰るかな。タクシー、だよな。  もう、きっと終電は。  スマホで電車の時間を調べようと思った。タクシー二台呼べそうならそうしてもいいし。腰、ダルいから歩いて駅まで向かうのは少し面倒に感じたんだ。だから、スマホを。 「……」  スマホに通知が着ていた。  はち、として使ってるSNSから。メッセージが着てるって。  達也から、だった。  このアカウントはあいつと付き合ってた頃から使ってたから。だから、もちろんあいつは俺のアカウントを知ってた。だからこそ、このアカウントで、あんな自撮り上げて、遊んでモテてそうなことをしてたんだし。  見てるかどうかなんてわからないけど、って思いながら。俺が勝手に一人でやってた、ただの見栄。  知ってた、んだな。  もしくは探したのか?  古びてくたびれた、もう着ることのないTシャツを引っ張り出すみたいに。 『今日は偶然で驚いた。あの会社に勤めてたのか? 見かけたことなかったよ』  そりゃそうだろ。一昨日からなんだから。 『久しぶり』  八年ぶり、だ。 『もしよかったら』  よくない。 「……」  こっちは、わかる。こっちのインシデントは、どうしたらいいのか。どんな選択肢を選べばいいのか。  もう会わないよ。  ただそれ――。 「どうかしたんすか?」  それ、だけ。 「……」  枝島がいつの間にかシャワーを浴び終えて、バスタオルを腰に巻きながら部屋に戻ってきた。 バスローブは、今、びしょ濡れだから。 「こっちの課長から何か連絡とかっすか?」  洗ったんだ。あのままじゃ、いくらここが男同士で使えるラブホだからってダメかなって、けっこうしっかりしていて真面目な枝島が手洗した。  俺が汚したから、さ。  俺のは、ずっと下敷きになっていたから、そうでもなくて。でも汗はかいたから、もう一度シャワーを浴びた後じゃ着たくなくて。だからバスタオルを二人して腰に巻き付けてる。 「いや……課長じゃなくて」 「……越谷さん、すか?」  あ、肩のとこ、傷、か?  あ……違う、俺の引っ掻き痕だ。ちょうど冷蔵庫から飲みものを取った枝島の背中に俺のしがみついた痕があった。  痛そ。  けっこう引っ掻いたな。 「そう……よくわかったな」  枝島は俺の分も水を取って、少しだけキャップを緩めてから、渡してくれた。 「なんとなく、そうかなって、あの」 「大学が一緒だったんだ。インテリア系の。考えたら同じ業界にいて、あいつは大学も仕事もこっちにしたって聞いてるから、会う確率ゼロじゃないよな」  狭い業界じゃないけど。でも、そういえば、あいつはマイナーなものが好きだったっけ。映画に誘ってみたことがあったけど、大人気の、とかあんまり好きじゃなくて、単館上映とかの少し芸術的だったりドキュメンタリータッチだったり、とにかく大衆向けみたいなの観たがらなかった。俺は王道のエンターテインメント、みたいな映画の方が好きで、話が合わないなぁなんて思いながら映画は断念したんだっけ。  だから、俺だったのかもしれない。 「もうずっと接点なかったけど」 「……」 「した後で話すことでもないけど」 「……」 「フラれたんだ」  セフレ。  異性じゃなくて、マイナー路線で、同性の、俺。 「あー、ちょっと違うか。フラれたっていうと、告白して断られたってことだもんな。そうじゃなくて、俺は付き合ってたと思ったけど、あいつはそんなつもりなくて、彼女がいて、俺は……まぁ、男で流れで、みたいな」  少し、もうやってしまった後だし、なんていうか、自棄になってるのとは違うけど。肌を重ねたからなのかな。これはダメだろうとか、こんなのしてはならないだろうとか、そういうのが解けて、ほろほろと軟くなって、緩くなってる。年下で部下の枝島に甘えてる、のかな。  なんだろうな。  今ならなんでも話せそうだ。 「だからフラれたとは違う」 「……」 「いや」 「?」  ほろほろと緩くなった口から思っていることがそのままぽろりぽろりと零れ落ちてく。 「フラれたんじゃないんだ」  それだけだったら、次の恋もできたのかもしれない。 「はちさん?」 「……あいつが彼女とやってるとこを見たんだ」  ――はち!  なんでノックしなかったんだろう。いや、ノックする寸前、女の甘ったるい声が聞こえて、咄嗟に、つい開けたんだ。扉を。 「そんなの」 「そしたら! ……見たんだ。見えた。俺としてる時よりもずっと気持ち良さそうな顔してた」 「……」 「あぁ、そっかって……」  夢中って顔。  俺とその部屋でやってる時には見たことのない無我夢中の顔してた。 「それでもうやめた」  どうせ、どんなにやったって男の俺じゃダメなんだろ? 元々、女性みたいに抱かれるようにはできてない身体だ。抱き心地だって、細くない、骨っぽい身体じゃダメだろ? ふわふわしていて柔らかい彼女の方が気持ちいいよな? 俺じゃ、気持ち良くないに決まってる。 「もう怖くて、やめ、」 「やめんなよ」 「……」 「……ください」 「っぷ」 「すんません。一瞬、タメ口になった」  いや、そもそも最初からそんなにお前、話し方ちゃんとしてないけどな。 「けど、やめんな」 「……」 「俺は比べないっす。貴方が初めてなんで。比べるとしたら」 「……」 「貴方が全部俺の最初」 「……」 「とりあえず、今日のはちさん、やばかったっす」 「何」  枝島が俺の腕を掴んで引き寄せる。 「初めてのセックス、やばかった」 「っ」 「すげぇ、気持ち良かった」 「っあ」  バスタオルを腰に巻いただけ、裸だから。 「もう一回したいくらい」  肌が触れ合うと、シャワー直後でしっとりしていて。 「だから」 「……っ、ン、も、俺、なんも出ないって」 「貴方が本社に帰るまでに、また恋愛したいって思わせる」 「枝、島っ」 「俺と、したいって」  気持ちいい。 「……ぁっ」  それに温かくて。 「ン」 「だから、また……」 「っ」  またほろりと柔らかくなる。理性が掲げてくる「倫理観」がほぐれて、溶けてく。 「枝島」 「?」 「背中、痛かっただろ。ごめん。久しぶりで、必死で」 「いえ、全然」 「あっ」 「むしろ、ヤバい。必死にしがみついてもらえて」 「……ん」  あとは。  ほら、また、ほろほろと緩くなった口から思っていることがそのままぽろりぽろりと零れ落ちてく。 「あぁ……ぁ」 「めちゃくちゃ」 「あっ……ン」  ぽろりぽろりと。 「嬉しかったんで」  思っていることがそのまま零れ落ちていく。

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