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第18話 予感が

 予感、がした。  世界が変わる予感。  ――貴方が本社に帰るまでに、また恋愛したいって思わせる。  あいつがあんなことを言うから。  ――俺と、したいって。  恋愛を置いてきた俺の日常が変わる。  そんな予感がした。 「っつぅ……」 「おや、二日酔いですか?」  課長が元気そうに眉をあげて驚いてみせた。  御歳、五十九、だっけ。昨日の飲み会、けっこう酔っていそうだったけれどダメージゼロみたいだ。 「いえ……二日酔いでは」  ないですよ。ただ昨日、部下の枝島君とセックスしまくったせいで腰が気だるいんです。  とは、口が裂けても言えないから、あはは、慣れないホテル滞在の疲れかもですねと誤魔化した。  腰、本当に気だるいんだ。  今日、午前がこっちの品質保証課長との打ち合わせ、午後が工場長と製造部長と打ち合わせ。もし時間があれば設計とも打ち合わせしたいけど、そこまで時間はない、かな。とりあえずこっちに来て数日、現時点で本社からの要望を伝えないといけない。  人数の違い。  環境、規模の違い。  使っている道具、パソコンを含めた全てのツールの違い。  とにかく今後本社の仕事をこちらで担ってもらうためには圧倒的に物量をこなせる環境が整っていない。これを改革していくのはかなり困難だけれど。品質保証部に関しては今回の本社からの調査、現状確認に関して好意的に捉えてもらえてるから。  でも、他の部署はなぁ、少し、難航するような気が――。 「あの後、枝島君、大丈夫でしたか?」 「えぇ、多分」  朝まで一緒にいたけど。 「ならよかった。二人で帰ったでしょう? あのあと大丈夫だったかなぁって。今日、枝島君、朝、遅かったし」  それは朝まで一緒にいたからです。なんて。  普段、朝一時間早く出社してる枝島が今朝は他の人と同じくらいの時間帯に出社した。私服が同じなのは、デスクに着く前に作業着に着替えるからバレないけれど、デスクに着いたのが遅かったから。もちろん、遅刻はしてないけれど、寝坊したのかと思ったみたいだ。朝、着席した枝島に課長が「おやおや」と呟いていた。 「もしかして酔い潰れて、久喜課長にご迷惑をかけちゃったかなって」 「いえ」  ――っす。  ――おはよう。  今朝、しれっとした顔で挨拶を交わした。隣の席に座った、昨夜、何回だっけ……とにかくたくさんセックスをした部下と。  課長には、昨日はどうもありがとうございました、なんてにこやかに挨拶をして。楽しかったです、なんて言って。  枝島はその間、何も言わずにメールのチェックをしてた。 「彼は少し愛想がないでしょ? でもすごく頑張り屋なんですよ。たまにあの感じで誤解されちゃうんですけどね。私はすごく良い青年だなと感心してるんです。本当にすごく良い若者なので、って、久喜課長もすごいですけれど。その歳で課長なんて。っと、少し休憩しましょうか。ちょうどその時間帯ですし」 「そうですね」  すごいなぁと数回呟いてから、課長が元気に立ち上がると、そのまま自身のデスクへと歩いていった。  俺は、重だるい腰を支えるように手を置きながら立ち上がり、一階の自販機のあるところへ。  ホント、何回したっけ。  シャワーはとりあえず三回浴びた。その三回目だって。 「……」  二十四、か。まぁ、そう、だよな。俺も、二十二の時、あいつと夢中になって――。 「あ……お疲れ…………っす」  自販機のところに、枝島がいた。ちょうど休憩の時間帯だからか。  製造部の人はほとんどが喫煙者。きっと、喫煙所にいるんだろう。ソファも何もない、ただ自販機が置かれているそこには枝島だけがいた。古びて、土の乾ききった、いくつか葉を枯らしながらもまだ緑の部分の葉はしっかりとしている観葉植物に水をあげてるところだった。 「水やり?」 「っす」  いつも通り、寡黙だな。 「……腰、平気、すか?」 「平気だよ」 「……すんません。その、やりすぎ、ました」  あ、でも、今日は、昨日の仕事中よりも結構砕けて話せてる、気がする。 「いいよ、別に」 「……ぁ」  少し、信じられない。  昨日、この彼と俺は。 「あ、そうだ。すんません。これ、借りっぱ、で」 「あぁ」 「…………あの、これ、Hって」 「? 俺の名前だけど」  そうだった。昨日、仕事中、ペンをどこかに忘れてきたのか胸ポケットを探っていた枝島にペンを貸したっけ。万年筆みたいな書き心地が気に入っているペンには自分の名前が彫ってある。ローマ字で、久喜と。その横に名前の「治史」のHが。 「…………え?」 「? 名前の最初のスペルだけど」 「は? え? 久喜さん、おさむ、じゃないんすか?」 「…………は?」  おさむ、て。 「………………っぷ、あはははは」 「! す、すんません!」  ――彼は少し愛想がないでしょ? でもすごく頑張り屋なんですよ。  そうだな。確かに。  なんて寡黙なんだろうって思ったけれど。全然、そうでもなくて。  嫌われてると思ってたけれど、嫌われてもいなくて。 「俺、ずっと、おさむって読んでましたっ」 「あはは、いいよ、別に。読みにくいよな」 「すんません」 「治史、治(おさむ)とも読める字に歴史の史って書いて、はるちか」  寡黙なんだけど、表情は豊かだ。驚いて、慌てて、申し訳ないって顔をして、それから反省もして。 「! それで、はち」 「! ちょ、おま、それ、ここで言うなよ」 「! す、すんません」  そして、今は真っ赤だ。 「はるちか……」  人の第一印象なんて、こうして覆るんだろうな。だって。 「そ、久喜治史」  枝島のこと、かっこいいなぁと思ったけれど。 「治史さん」  ちょっと可愛いなぁと。  ――私はすごく良い青年だなと感心してるんです。  ちょっと、楽しいなぁと、も、思ったから。 「めちゃくちゃ似合ってます」 「!」  そして、ほら、予感がして、胸に秋色をした風が吹いた気がした。真っ赤な紅葉の赤色をした風が。

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