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第19話 ゼロがイチ
「げ…………」
思わず、そう声が溢れた。
丸々一日ぶりにホテルの自室に戻って、プライベート用のスマホを確認して。
「……あいつ」
達也の奴、メッセージを無視したから大学の奴らから俺へ声をかけるように促したんだろ。スマホには当時、達也と同じ寮で隣にいて、俺と同じ科だった奴から飲もうと誘いのメッセージが届いていた。
こっちに戻ってるって聞いたぞ。
飲もうぜ。
そんな誘いのメッセージ。こっちにはほとんど帰ってきてなかったし、帰ってきたとしても実家に顔を出したら終わり、すぐに向こうに戻ってた。
『ちょうど三十だし、同窓会しようぜ。明日の金曜とかは?』
それも、いいかもな。確かにちょうど三十で区切りが良くて。けど、あいつも来るから行かない。
もう会いたくない。
もう、あれは「ナシ」にしたいんだ。
『ごめん。こっちには仕事で短期間戻ってきてるだけなんだ。久しぶり。ありがたいけど』
明日は今、出張先になってる工場長に歓迎会で呼ばれてるから、それは本当だから気兼ねなく断れた。スラスラとそれを打ち込んで、サッと送り返し、それから今度は自身のSNSを開いた。
特に何もあげていないから、特に何もリアクションが大量にやってきてることはない。そこに並んでいる色々な発言をぼんやりと眺めてから、昨日届いたあいつからのメッセージを出して。
『今日は偶然で驚いた。あの会社に勤めてたのか? 見かけたことなかったよ。久しぶり。もしよかったら』
メッセージ、送ってくるとは思わなかったな。
そのまま事後の気だるさは取れたけれど、代わりに一日中会議室にいて座ってばかりいたせいか窮屈で仕方のなくなった身体で放り出すようにベッドに倒れ込んだ。うつ伏せで寝転がりながら自分のスマホをぽつりぽつりといじっていく。
『会えないか? まさかあんなところで偶然会うなんて思わなかった』
俺も、思わなかったよ。会うなんて……。
「……はぁ」
ホント思わなかった。
自分の部下とセックスするなんて。
―― すげぇ、こんな綺麗な人いるんだって驚いた。
綺麗かどうかなんてSNSの写真からだけじゃわからないだろ。
顔は見せてないんだから。
調子のいいこと言うなよ。
そう思うのに、言われた時舞い上がってる自分がいた。
自撮りをSNSにあげるときは細心の注意をはらってた。映り込む景色でそこがどこなのかわかることのないように。それでもたまに顔の輪郭くらいはわかるようなのを載せたりして。すると反応がいつもより多くて楽しかった。顔見たいって言われるのも、顔が見えないけど絶対に美人だなんてお世辞だろうがチヤホヤされるのも、それは確かに嬉しくてさ。
――そっから、すげぇ、はちさんの写真とか見まくった。
あの中に枝島がいたんだな。
――こんなにハマったの初めてだった。
それは顔が見えないからだろ?
身体だけなら、そこに自分好みの美人顔をいくらでも貼り付けられるから。
――はちさんがいいっす。
「……」
今日一日どんな顔をしていれば、なんて思ったけれど、全然その心配はいらなかったな。向こうもそのへんはうまく知らんぷりしてくれてたし。そもそも朝からほとんど会議で顔を合わせなかったから。
俺はその課長とだったり工場長だったりと、ずっと会議室にこもっていた。昼飯もその打ち合わせが区切りよく終わらず、かなりズレて取ることになったから、枝島と話ができたのはあの休憩所のところでだけ。
今頃、枝島も冷静になってる頃かもな。
上司を抱いてしまった、とか。
いや、はちがあんなにセックス慣れしてないただの三十男だったのか、とかかな。
案外……期待外れだったな、とか。
「!」
ぼんやりとそんなことを考えていたら、手の中にあったスマホが短く振動して、何を伝えた。
見れば、SNSにメッセージが来てて。
『すいません。お疲れ様です。明日の金曜日って』
これ、が、枝島のアカウント?
へぇ。
アカウント名、EDAって、まんまじゃん。いつから俺のことをフォローしてたんだ? 気が付かなかった。へぇ。
犬、好きなのか?
プロフィールの写真には可愛い豆シバが映っていた。黒字に、まんまるな眉毛のように白っぽい毛が生えている豆シバ。
フォローしてるのは十数人。コンビニのアカウントだったり、動画配信サイトのアカウント、その中にひとつだけ、はちって名前の裏垢がポツンと混ざり込んでいる。フォロワーはゼロ。
そのまま枝島のアカウントを少し覗いたけれど、特に何も発言していない、完全ロム専。
「!」
じゃ、なくなった。
『昨日、めちゃくちゃいいことがあった』
発言ゼロがイチに変わる。
「……」
いいことって、なんだよ。
めちゃくちゃって、そんなにか?
そんなでもなかっただろ。
三十で経験人数一人で、手慣れてるどころか、六つも年下のお前にしがみついてるばっかりだったんだから。
けれど、ポツンと一つ。
その言葉にリアクションをつけた。
そのリアクションを指先でタッチすれば誰のものなのかなんて丸わかりだ。
送り主は「はち」って。
たったひとつの発言に。
たったひとつのリアクション。
『明日は工場長に歓迎会、呼ばれてるんだ』
昨日が平日なのにも関わらず、俺の歓迎会を品質保証部で開いてくれた理由。もちろん、水曜日で定時上がり推奨デーだったこともあるだろうけど、明日は別の歓迎会があったからなんだ。合同でやればいいんだろうけれど、品質保証の課長と工場長はあんまり合わなそうだったから。だから、昨日、品質保証部で先に歓迎会を開催したいと思いますってことになったんだろ。
そんなわけで明日は空いてないんだ。
そう返事をした。ついさっきにも同じように同級生に誘ってもらった時には大助かりだった行けない大義名分。
それが、今は少し、いらなくて。
『だから、ごめん』
残念だとさえ思う自分がいて。
『そうでした。すんません。あと』
残念だと思われてるかもしれないと、惜しむ自分がいて。
『今、リアクション、ありがとうございます』
こういう言葉を文字にした時はちゃんとしたありがとうなんだなって、口で話す時は全部「あざっす」ってなる枝島が今、EDAのアカウント越しに嬉しそうにしているのかもしれないと、嬉しくなってる自分がいて。
けっこう。
「どう……いたしまして」
戸惑っていた。
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