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第20話 ハロー、シェパード

 これもインシデント、になるのか?  まぁ、人生の転機になるようなインシデントではないけど。  裏垢バレに比べたら全然ヨユー。  台風直撃、だそうです。  ここに台風直撃するの、三十年ぶりとからしいけど。  確かに俺がこっちにいた頃、台風はことあるごとにここを避けて避けまくって通り過ぎて行っていた。今度こそ直撃の可能性あり! なんて、天気予報で言っていた翌日、進路方向は急転回して右へ左へと避けて過ぎ去っていく。いつでも、どんな巨大で「やばい」台風でも。  けれども、今回こそは「マジで」本当に直撃らしい。  この辺り一帯に到達するのは金曜日の夕方から夜の間。ヒジョーに遅く、台風の進行速度は自転車と同じくらい。十分な警戒と安全対策を行ってくださいと朝からずっとそこかしこでアナウンスが流れていた。  これじゃ、そもそも同窓会は行けなかったな。  そして、この台風直撃のニュースを受けて、工場長が開いてくれる歓迎会も延期となった。  そんなわけで――。 「あの写真、枝島のペット?」 「……」  フォローしているアカウント、十四人。うち、一人、裏垢男子。  フォローしてくれてるアカウント、ゼロ。  発言、一つ。  リアクション、一つ。 「……」 「EDA君」 「あ」  また自販機のところで甘いカフェオレを飲んでいた枝島がパッと顔を上げた。  俺は……やっぱりブラックにしておこう。この後もまた打ち合わせが続くし、じっと座ってるばかりっていうのもしんどいものがあるんだ。案外、検査で実務をこなしてる方が体感的に楽に感じたり。  ピッていう電子音の後、ガタンゴトンと大きな音を立ててブラックコーヒーの缶が転がり落ちてきた。 「お疲れ。検査多いか?」 「あ、いや……そうでも……」  その割には今日はずっと工場にいるだろ? 打ち合わせに使われる会議室はちょうどデスクが並ぶ部屋の手前にある。来客用でもあるから、すぐに案内できるようになっていて、つまりは工場とデスクのある部屋との間でもあり、行き来する人がよく見える。けれど、枝島は昼飯の時に見かけたっきり、今の今まで見なかった。  だから工場でずっと検査をしていた。 「手伝うか?」 「平気っす」  台風のせいかな。日差しがあるわけでもないし、別に暑さが厳しいわけでもないけれど、湿気がすごくて、コンクリート打ちっぱなしの工場の中はひどい湿気だった。試験成績書の紙なんてしわくちゃになってしまいそうな、そんな湿気のせいか、顔をあげた枝島の前髪が濡れている。 「あれは、実家の犬で」 「へぇ」  水も滴るナントカ。  その実家の可愛い豆シバじゃなく枝島本人の顔写真に変えたら、一気にフォロワーは増えるだろうなって思った。  全部出さなくても、背中だけとか、上半身だけとか、顔、口元だけでもいいかもしれない、とにかく自撮りをあげたら一気に増えると思うよ。  顔、やっぱりかっこいいからさ。 「……豆太って言います」 「へぇ」 「? 名前、変すか?」 「いや、全然」  豆太、か。  ああいう写真って、そのアカウントの顔そのものにもなるだろ? だから、EDAのアカウントをもしも俺が認識していたのなら、きっと可愛い感じをイメージしていただろうな。けど、実物はそんなことなくて。  今、もしも枝島を犬化してみたら、シェパード、かなって。 「?」  つい笑ったんだ。  それが不思議だったんだろう。本当の犬みたいに不思議そうに首を傾げてる。 「豆太アカウント、悪いな、フォローされてたって意識してなかった」 「全然、いいっす。無言でフォローしたし」 「話かけてくれたらよかったのに」 「いえ」  そしたら、どうしてだろうな。まぁ当たり障りのない話しかしなかっただろうけど、そしたら、また少しは違ったりして。 「いつからフォローしてくれてたんだ?」 「……内緒っす」 「なんでだよ」 「……」  プイッとそっぽを向いた黒髪のシェパード。 「あぁ、そうだ」 「?」  耳がピーンと立ったような気がする。 「今日の歓迎会なんだけどさ」  尻尾がふわりと揺れて。 「台風来てるだろ?」  瞳がきらりと光る。 「だからなくなった」 「!」  まるで、散歩、と主人に言われたわんこみたいで。 「まだ枝島の予定がないなら」 「! ないっす」  やっぱりちょっと可愛くて、その期待した顔見たさに、つい、口が滑った。  言うつもりなかったんだ。真面目で顔も良くて、セックスも気持ち良かった。相性なんてわからないけれど、それについては合ってるんじゃないかって思うし、話していて居心地いいし。  だけど、あの一回っきりにするべきだってわかってる。  あれは、あの晩は確かにインシデントが発生して、裏垢バレて、部下とセックスしたけど。  あの一回だけで終わりにした方がいいってわかってる。だから歓迎会はありがたいはずだ。それを理由にして断れるし。けれど、枝島に誘ってもらって、断ることを残念に思う自分がいた。  でもどんなに残念に思おうが、このインシデントに喜んで、浮かれたりなんてしない方がいいんだよ。  歓迎会だからと断って、このあとも断り続けて、続けて……残り二週間は仕事に集中。それがいいって思うけれど。 「じゃあ」  思うんだけど。  見たくて。  つい。 「飲みに行くか?」  シェパードのまんまる眉毛の豆シバよりも可愛い顔が見たくて、そんなことを気がついたら言っていた。

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