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第27話 海月ランデブー

 週末は、月曜から金曜までの五日間の準備をするためのものだった。  それに対して不満もなかったし、むしろそれがいいと選んできたし。  つまらない奴、だけど、かまわなかった。平日の忙しさと疲労をこの週末でリセットするだけで、充分だったし。  そう、充分だ。 「わ、すげぇ」 「綺麗だな」  真っ青な壁と床、それから薄暗い通路のあちこちに水槽が並んでいる。そのせいかまるで海の中を歩いているみたいだった。夏休みが終わった直後だからか、人もそんなに多くなく気に入った水槽の前にずっと佇んでる人もいるくらい。  ただ海藻が揺らめいてるだけかと思ったら、こっそり魚が泳いでる水槽。  アニメのキャラクターにもなったオレンジの魚が忙しそうに泳ぎ回る水槽。それは遠くから眺めるとその魚の色のせいか、まるで水中にたくさんの温かいオレンジ色の金木犀が咲いているようにも見える。  色とりどりの魚がくるりふわりと泳ぎ回ってる大きな水槽はいくら見ていても飽きることもなくて。 「あれ、めちゃくちゃ綺麗っすよ」 「ホントだ。すごいな」 「あっちは、すげぇ派手」 「たしかに」  まるで社交ダンスみたいに。赤、青、黄色、カラフルなドレスを着た魚がぶつかることなくダンスを楽しんでるみたい。 「あんなとこに隠れてるのもいる」 「どこすか?」 「ほら、あの岩陰」  指差した方向を視線で追いかけながら、枝島がでかい背中を丸めた。 「ほら、その奥」 「? いないんすけど」 「そこだって」  俺がしゃがんで、水槽の影にならないようにしながら、指を正確に、その隠れ上手な魚へ向ける。 「あ、いた」 「な? いただろ?」  やっと発見してもらえたその魚を指差したまま、顔を上げた。 「!」  パッと顔を上げて。  パッと顔を下げた。  ぶつかってしまいそうな至近距離に枝島がいて。  びっくり、した。 「い、いたなっ」  顔、近くて。 「つ、次は、カニだそうだ」  手に持っていたパンフレットだけに視線を向けて、今歩いてきたルートをなぞると、次の甲殻類ゾーンに向かって歩き出す。 「! わ」 「すげ……でか」  思っていたカニと違ってい流。これは、なんだか、モンスターじみている。カニとは思えない大きさで、カニもそれが自慢なのか「ほら、驚け」とでも言いたそうに両脚をいっぱいに広げていた。  これ食べたら何人前になるんだろう。 「これで何人前なんすかね」 「……」 「カニ」 「っぷ。あはは」 「?」  だって二人して同じようなことを考えていたから。  しかも食欲って。  おかしくて笑うだろ。  そこから続く甲殻類エリアではずっと食事の話をしてた。でもやっぱり昼飯は蟹チャーハンがいいとか、そんな話をしながら。 「次は海月エリアだ…………わ、ぁ」  そこは、真っ青だった。  とにかく大きな水槽には数えきれない海月がふわりふわりと浮遊している。  本当に浮かびながら遊んでるように、ダンスでもしているように揺れて、漂って。  ものすごい数の海月がいるのに、ひしめき合っている感じは全くしなかった。むしろ楽しげで。  濃い青と透明感のある白色をした海月たちが柔らかな光で照らされている。 「すごいな……」  あまりにも気持ち良そうで触れてみたくて、水槽に手をついた。ひんやりとした水槽に触れてると水に触ってるみたいで。 「ここは海月サラダって言わないのか?」  さっきの続きに、そんな話をした。 「……」  したけれど、冷たい水槽に触れた指先が熱くなって、言葉が止まった。 「……ぁ」  青色に照らされた枝島が俺を見つめてたから。 「はちさん」  低い声がそっと名前を呼んだから。 「っ」  ただ名前を呼ばれただけなのに。  触れているのはガラスのはずなのに。 「……はち、さん」  まるで海月に触れているのかと思うほど、指先がチリチリとして。 「わー! すごーい!」  静かで波ひとつない水。そこに突然飛び込んだような、甲高い声が空気を突き破った。 「「!」」  その声に二人して、目を覚ましたみたいに、ハッとした。  入り口の方へ振り返るとカップルがやってきて、キレイだと楽しそうに何枚も写真を撮り始めて、一気にここは賑やかな人間に住む世界に変わる。 「すんません。トイレ行ってきます」 「あ、あぁ」  ふわり、ってした。  海月のカサが、漂い揺れるみたいに、気持ちが――。  ――はちさん。  枝島の視線に。  声に。 「……」  ドキドキ、した。  いつも休日に「はち」があげる写真はバスルームで撮った自撮り。一週間お疲れ様、とか、ゆっくりしたい、とかそんな言葉を添えて。先週はこの出張が決まってその準備をしてたから、そのことを言いつつ、荷造り中の写真をアップしたっけ。でも、この土曜日は――。 『水族館、めちゃくちゃ楽しい』  そんな言葉と一緒に、一枚。  海月の写真を撮って一緒にアップした。  ふわりと柔らかい海月が真っ青な水の中を楽しそうに漂うところを。 「はちさん!」 「……」 「あの、俺もっ、俺も楽しいっす」  トイレから帰ってきた枝島の手にはスマホがあった。そして、ものすごく慌てた顔をして、待ち合わせの時にやたらと気にしていた前髪を乱しながら走って戻ってきたから、おかしくて。 「次の、エリア、シャチ、だってさ」  そう言って笑いながら、次のエリアに向かった。

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