28 / 109
第28話 海辺の二人
「はち」がアップした海月の写真にはたくさんのメッセージが返ってきた。
え? まさか、デート?
相手誰?
いいなぁ。はちさんと水族館とか。羨ましい。
楽しいですよね。水族館。俺もよく行く。
こっちに本当にいるんだ。俺、近くかも。会いたい。
遊ぼうよ。
良い週末を。
そんな色々なメッセージが来てた。
リアクションのスタンプもたくさん。その中に、黒い豆シバの写真のアイコンが並んでいた。可愛い白くてまんまるな眉毛のある。
「カニチャーハンはなかったっすね」
「だな」
気がつけばもう昼をすぎてた。
午後の二時半からイルカのショーがあるからそれを見ようって、大急ぎで昼食を取ることになって。館内のレストランへ。もうピークがすぎたからか、そもそもあんまり混んでないからか、レストランの中は混雑していなくて、俺たちは海沿いの景色の良い特等席に座ることができた。
「それ美味い?」
「案外美味いっす」
「へぇ」
斬新、な気がする、しらすカレーライスを枝島が大きな口でパクりと食べた。
「はちさんのは、フツーに美味そうっす」
「普通て……」
俺は「普通に」美味いしらすイクラ丼にした。枝島とは違って王道のしらす料理だ。といっても、どっちもしらすが乗ってるだけなんだけど。
枝島がそのメニューを選んだ時、「挑戦者だな」って言ったら、そうっすか? なんて飄々とした顔で言うから。ちょっと、なんだか楽しくて。
「さっきの」
「?」
「俺が写真あげたの。なんか返せばいいのに」
「? 俺がすか?」
そう。EDAとして、何か返信メッセージとかするかと思った。
「しないっすよ」
ちょっと、なんだって思った。
「他の奴らはネット上でしか、はちさんに話しかけられないけど」
「……」
「俺はリアルで話しかけられるんで。優越感半端ないっすよ」
優越感なんて、ないだろ。アイドルと内緒のデートじゃあるまいし。
ただのサラリーマンだ。ただ仕事ばかりして、週末は本当に家事と仕事の準備しかしない、退屈な、一企業の課長。
「いつもガン見してた、はちさんを生で見れてるの、俺だけなんで。休みの日はけっこう写真あげてたじゃないすか。あれをめちゃくちゃ見てました」
やっぱり見てた、よな。そりゃ。
見られていたと実感するとやけに気恥ずかしくなった。はち、じゃない俺を知られてるからなんだと思う。
「どんな顔してんだろうって想像してた人が目の前にいて」
たいしたことなかっただろ?
「どんな声してんだろうって思ってた人と話せて」
まさに仕事人間。面白い話なんてできないし。
「一緒にいるんです。最高でしょ」
「……」
「食べてるとことかも見られた」
「!」
思い出しちゃったじゃないか。
――ねぇねぇ、知ってる? 食べ方でセックスの仕方がわかるんだってぇ。
――えぇ? なにそれ。
――だって、書いてあるんだもん。
電車の中で今朝、女性がふたり、そんな話をしてるのを聞いていたんだ。
前だったら、気にも留めなかった会話だと思う。電車の中なんて寝ていたいのに、と、眠ることに集中するため目をぎゅっと閉じていたかもしれない。
けれど、その会話を聞いて、パッと頭に浮かんだのは枝島で、俺は聞き耳を立てて話を聞いていた。
頭の中で枝島の食べてるところと、その、つまり、行為の最中の。
――食べ方でわかるって。
「っ、た、食べにくいっ」
「すんません」
大きな一口でバクっと平らげていく。 パク、じゃなくて、バクって。枝島の食べ方は……。
「はちさん」
「?」
「……なんでもないっす」
「? なんだよ」
「もうすぐで時間っすよ。イルカ」
「あ、あぁ!」
枝島の食べ方は……。
イルカショーも楽しかったな。
イルカって触ったらどんな感触なんだろうな。
あと、海月にモンスターカニ。
水族館、か。
楽しいな。
「うわぁ! ヤバ! 足首上まで濡れた」
「大丈夫っすか」
「あはは」
俺もサンダルでくればよかった。
そう言ったら、じゃあ、脱いじゃえばいいじゃないっすかって、言うから。
「もう九月も終わりだとけっこう冷たい」
靴を脱いで波打ち際を裸足で歩いてる。こんなことしたことない。
水族館の中は薄暗くて、少し迷路のようになっていて。屋内だったから、そこを出た瞬間、空間がパッと広がったようで気持ち良かった。
「本社、けっこう海が近いんだよ」
「へぇ、そうなんすか」
「だから魚介類がけっこう美味くて。そのおかげで魚好きになったし。あ、あと、海が近いから、道端にカニとか歩いてることもあったりして。最初の頃は驚いたな」
色々違っていて最初は戸惑うこともたくさんあった。場所が変わるとこんなに人柄も景色も風土も違うものなんだなって。
「こっちが地元なんすよね」
「そうだよ」
「前に言ってた」
「よく覚えてるな」
「あの! 大学卒業して、あっちに就職って、もしかして」
関係は、ある、かな。なんか、やるせなくて、リセットしたかったんだ。人生の転機ってやつをさ。あいつが彼女とやってるあの時じゃなくて、「就職」に変えたかった。
「もう八年、向こうにいるからなぁ」
「……」
「たまに向こうの訛りが移ることもあるよ」
そんな話で誤魔化すことにした。
「聞いてみたいっす。訛って話すとこ」
「やだよ。恥ずかしい」
「なんですか」
「それ、お前、何か英語喋ってっていう無茶振りと同じだぞ」
「……色んな貴方を見てみたい」
どうして俺なんかにご執心なのかって、思うよ。
夕日が沈んでいくのを見ながら、一つ、溜め息をこぼして。
「そろそろ移動するか? 水道……あ、あんなとこに」
気がつくとけっこう歩いてた。振り返るとあとで足を洗おうと思っていた水道が遥か遠くにあるのが見える。それだけ会話に夢中になっていたんだと気がついて、いい歳してはしゃぎすぎで気恥ずかしい。
それでなくても、今日一日、水族館の中を歩き回ったんだ。なのに、六つも年下の枝島よりもはしゃいでるなんて。
「靴、持ちます」
「え? いいよ。一日、俺が履いてた靴なんて」
「なんで?」
「汚いだろ」
「? 汚くないっすよ。足、すげぇ綺麗っす」
「!」
「貸して」
そう言って俺の手から靴を奪ってしまった。長い指で靴の踵を引っ掛けるようにぶら下げて。
「……」
なんか、きた。
「治史さん」
「!」
「って、呼んでもいいっすか?」
「……」
あの長い指先を見ていると、きた。
「ずっと今日、どっかで呼ぼうと思ってた。二人の時だけ、治史さんって」
身体の奥が、結んだみたいに、きゅって。
「治史、さん……」
枝島が何かが喉奥でつっかえたように声をつまらせながら、俺を呼ぶ。
「……いいよ」
その声に、その視線に、身体の奥がきゅってなる。
見えないといいなって思った。夕日の色と同じだからバレないといいなって思った。
六つも年下の、部下に名前を呼ばれて、ドキドキしているなんて。
三十にもなって「ドキドキ」なんてものをしているなんて。
バレないといいなって、思いながら、俺を呼んで手を伸ばす枝島の長い指に掴まった。
「治史さん」
その指はとても熱かった。
ともだちにシェアしよう!