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第32話 魅力的で魅惑的で

「ないっすよ」 「いや、そんなことないだろ」 「ないっす」 「ある」 「ないっすって」 「ある。絶対に」  断言すると、また小さく反論する枝島の長い前髪を昼間よりもずっと冷たくなった夜の風が揺らした。  お互いに一歩も譲らない押し問答をしながらビニール袋いっぱいのコンビニ飯を片手に、品の良さそうな街並みを少し歩いて、その街並みの中でも隣に商業施設のあるシティホテルの入り口に辿り着いた。  そりゃ、人も行き交うはずだろう。  隣にはショッピングを楽しめるビルがあるんだから。そして、その下にはちょっとしたグリーンガーデンがあり、ベンチが設置されている。近くにはいくつかキッチンカーが並んでいて、そこで買ったものをここのベンチで食べたりするんだろう。もう時間が遅いから、そのキッチンカーはクローズになっていて、行き交う人もデートやショッピングを楽しむ人たち、ではなく、夜遅くまで土曜の夜に仕事をしてきた、疲れ顔のビジネスマンに変わっていた。足取りも、フワフラなんてしていられない、早く帰りたいと急いでいる。  ちょうど、この石畳が見えた。それから、もう閉じてしまってるけど、あれが上から見るとちょうど真下に見えたパラソルだから。  この辺りの上だ。  何階だっけ。 「五階、っすね」  見上げながら、どこが俺たちの部屋なのだろうと思ったら、隣で枝島が低くボソッと押してくれた。 「多分、五◯三だったかあら、あの辺っす。あんま下からじゃ見えないっすね。窓んとこ」 「! おまっ」  俺が真っ赤になったことに笑って、枝島が一歩大股で先を歩いた。  さっき、そこでしてた。  窓際のところで枝島と、してたから。  部屋の窓からはここがよく見えたのに、会話する様子も、その口元さえ見えたのに、ここからは数ある四角い窓の一つで、わかりにくかった。もちろん、そこに立っている人の様子も、パッと目に入ってくるほどのものじゃなくて。風景の一部、という感じ。  枝島は小さく笑って。  その笑った顔がムード満点な足元を照らす灯りと、「映え」を狙っているんだろうまるで外国の庭のようなグリーンの植物の背景もあって、とてもロマンチックだった。  三十男でさえ、ときめかせるくらいに。 「治史さん?」  モテないわけ、ないだろ。  こんなの。  枝島がデートにとセッティングしてくれたビュッフェではあまり食べられなかったから、二人で夜遅くに近くのコンビニまで夕飯を買いに出かけた。もうルームサービスも終わってたし、駅前にコンビニがあるとあったから。そこで晩飯を買い込んで、ビジネスホテルの何倍も高い部屋へと持ち込んで。 「外、人少なかったっすね」 「まぁな。枝島、またこんなに食べるのか?」  けっこう食べてただろ? ビュッフェで。 「腹減りました」 「っぷ、若い」 「若いからじゃなくて、運動したからっすよ」  ソファのところにあるローテーブルの上に各々が選んだ夕飯が並ぶ。俺はサラダとおにぎり、それから巻き物。枝島はまさかの焼き肉弁当で。 「あ、けど、これ美味いっす」  やっぱり一口が大きくて。  さっき枝島に食べられるように抱かれた俺は少しドキドキしながら、自分の選んだおにぎりを手に取った。 「……治史さんの方がモテたでしょ」 「はい? モテた奴が三十までで経験人数一人な訳ないだろ」 「じゃあ、俺はゼロだったから、それこそモテないっす」 「減らず口」 「事実っすよ。それに、眼中になかったんで」  指先についた焼肉のたれを舐める仕草をチラッと見て、視線を逸らした。 「治史さんがそういうのあんましてこなかったのは、あれっす」 「?」 「綺麗だから」 「っぶ、ゲホっ、何言って」 「しかも仕事できるし。近寄りがたいっつうか」 「ないよ」 「ある」 「ないって」  さっきの、俺たちがコンビニで晩飯を買う時にすれ違ったサラリーマンが、俺だ。  仕事ばっかりして、街灯のムードも見ずに、季節ごとに表情を変える植物にも目をくれず、自分の足元ばっかり見て。仕事と家の往復ばかり。  退屈な奴、なんだ。 「こんな綺麗な人が同じ男とか、ないって思って話しかけられないだけっすよ」 「……」  ないよ。  もしも、枝島がこうして誰かに笑って、誰かと楽しそうに話をして、誰かの目の前で今みたいに美味そうに飯を食べながら。 「あと」  ふと、目が、今みたいに合えば。すぐだよ。 「治史さんの経験人数、二人っすよ」 「?」 「俺、貴方とセックスしましたから」  すぐに、落ちる。  枝島のこと、欲しいって、なる人ならたくさん。 「俺も、カウントしてください」 「わ、かってるっつうの」  そして、気がつくよ。  なんだ。  もっといたんだって。  もっと、自分が思っていた「はちさん」以上なのが他にもいるじゃんって。やらしくて、綺麗で、抱いたらたまらなく気持ち良さそうな、話していて楽しそうな、魅力的で魅惑的なのが。  きっとたくさんいる。  俺よりも、ずっと、いいのがいる。 「ごちそうさまっす」  だから、言わない。 「食べるの、はや」 「腹、減ってたんす」  だから、言えない。  俺は、もう。 「治史さん、食い方もすげぇ綺麗っすよね」 「なんだ、それ」  落ちてるなんて――。

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