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第35話 嘘つきな大人たち

「あー、待って、もしかして統計取れてない……やっぱり。マクロが反映されてないんだ」 「……」  ちょっと笑った。枝島はデスクワークはちょっと苦手らしい。とっても難しい顔をして、大体にこやかでない顔をもっと無愛想に、口元をへの字に折り曲げながら、パソコンの画面を睨んでる。その顔全面に「パソコン作業が大嫌いです」と書いてある感じ。 「ちょっと待って。これでセキュリティを……」  検査の結果を常に本社では統計を取ってる。不良品が発見されれば、それをこのファイルの中でインプットしていく。不良の内容が事細かに統計が取られていて、定期的にそのデータを吸い上げて品質状況を把握しているだ。  例えば、木材の耐久試験でダメなものが頻繁に出てきているとなれば材料である木の質が落ちているのかもしれないと、今度は資材部に連絡を取る、みたいに。  いつもは女性の斉藤さんがやってくれているんだろう。  枝島はその一日のほとんどを一階の工場で過ごしている。検査をとにかく一人でする。デスクワークのフォローは斉藤さん。課長は……まぁ、その他を全て引き受ける。 「あれ? 反映されないな」 「……」  もうわけわかんないっす。斉藤さんがいつもやってくれてるんで。反映って何がなんだか、お手上げっす。  そんな感じ、かな。枝島の今の顔面に書いていあることは。 「明日、斉藤さんが来たら訊くんで」 「でも一人でできるようにならないとだろ? 斉藤さんが今日みたいに休むこともあるだろうし」 「……」  不服そうな顔してるのが、またおかしくて、つい笑いそうになってしまうのを堪えて、手を伸ばす。 「少しパソコンいじってもいいか?」 「っす」 「んー……ちょっと待てよ」  これ、作ったの俺じゃないからなぁ。こういうのに特化したしてるのは俺たちほ「保証部」じゃなくて「管理部」だからなぁ。 「ちょっと品質管理に連絡してみないと、中、あんまりいじれないな」 「じゃあ、あの、俺、ちょっと自販に飲み物買ってきてもいっすか?」 「あぁ、あ、もう休憩時間だろ? 休憩してきて構わないよ」 「っす」  枝島は席を立つと、長い足で大股で、下の休憩所を兼ねた自販機のところへと向かった。  俺は椅子ごと移動して、枝島のデスクでパソコンを本格的にいじる前に、同じ品質部の、管理課へと電話をかけてみた。 「ふぅ……」  斉藤さんも自己流で覚えてくれた部分がけっこうあるんだろうな。管理課の方も首を傾げるような部分がいくつかあったみたいだった。パソコンのシステムのバージョン違いが原因なんだろうって言ってたけど。まぁ、この段階でわかってよかった。知らなかったら、このまま統計はズレ込んでいって、最悪、品質状況の把握内容が現状と変わっていたかもしれない。  データも無事修正できたし、と、自分も休憩所へと向かった。  飲み物を買うついでに枝島にファイルは直ったからと伝えようと。 「枝、……」 「えー、すごい。あの本社の人、そんなに若いんですねぇ」 「……っす」  今のは枝島の返事の仕方。相手は……製造部の女性スタッフ、か? 「すごぉい優秀な人なんですねぇ」  甘ったるい、媚びた声。若いんだろう。今、まだ角に隠れていて、その角の向こうにいる枝島とその女性の様子は伺えないけれど、声の張りが若そうだった。 「っす」  きっと、彼女は枝島に……。 「あ」 「!」  角のところで、立ち止まってた。  話題が俺のことだったし。本人としては出て行きづらくて。  それに二人の会話の邪魔をしたら悪いかなと。 「お疲れっす」 「あ、あぁ」  胸のところがキュッとした。  媚びて甘ったるく聞こえたのは、やたらと枝島の返事があっけなくて、そっけなくて、その温度差がひどく、彼女の声を際立たせていたから。 「で、データ! 直ったぞ」 「あざっす」  ほら、また胸のところがキュッとした。言い方は変わらないけれど。 「あ、あぁ……」  その枝島の声色がさっきと違うから。  俺を見つけて。  挨拶をして、礼を言う枝島の声が、その角の向こうにいる彼女と交わした会話の時よりもずっと、弾んでいたから。  この角のこっち側で二人の会話を聞いてしまった時の胸の苦しさはなくなって、あるのは、ボールが弾むように小さく躍る鼓動だったから。  ――ブブブブ。  メッセージ? 「!」  昼休憩。それぞれのデスクで弁当を食べようと少し部屋の中が賑やかになった中、デスクの上に裏返して置いてあった俺のプライベート用のスマホが振動した。  その画面には誰からのメッセージからなのかと、メッセージ本文の冒頭だけが載っている。  メッセージの送り主は枝島。  内容は、  ――今夜、なんすけど。  そして、そのメッセージが届いたのと同時、枝島が弁当を持って戻ってきた。何気ない顔で、いや、少し澄ました顔で着席すると、添えられている割り箸を小気味いい音を立てて割った。  俺はそれをちょっと見つめてしまってる。  だって、なんてタイミングだ、って思うだろ?  ――ブブブブ。  さっきは俺を見つけられて嬉しいと、子どもみたいに素直。パソコン仕事は苦手なんだって、少年みたいに我儘で、今は、男みたいに欲求に忠実で。 「……」  たまに、大人みたいにしれっと嘘をつく。  隣のデスクで飯を食いながら、スマホで文字を打っていた。若者らしくスマホ片手の食事。よくある光景だ。誰も隣にいる本社から派遣されている課長に宛ててメッセージを送ってるなんて思いもしないくらい、しれっとした顔で。  ――うちで晩飯、どうっすか? 晩飯、俺作るんで。  隣にいる上司を誘ってる、なんて誰も思いもしない顔をして。 「……」  誘われるかな、って思ってた。  今日は水曜日だから。  窓の外の様子を伺うフリをしながら、ちらりと視線を隣のデスクにやってみた。  枝島は、その口元に僅かに笑みを浮かべながら、仕出し弁当の焼き肉炒めを、まるで極上国産牛のステーキでも食っているみたいに美味しそうに、大きく口をあけて。まるで腹ペコみたいに。  ――いいよ。行く。  パクリと、大胆に平らげた。

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