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第36話 上司はオカズ、じゃありません。

 道を覚えるのは得意なんだ。  仕事であちこち行くし、拠点が多いってことはこんなふうに、その拠点ごとの品質確認として本社からチェックをしに行くことはけっこうある。そのおかげで、道を覚えられるようになった。  ――チャリで先に帰ってるんで。  定時上がりが推奨されている水曜日、それでも終業のチャイムと同時は早すぎる気がするほど、即座に枝島が席を立ち上がった。  こっちの課長が、笑ってたくらい。  ――おやおや、今日は忙しそうだね。  って。帰りだけじゃない、日中も早歩きで仕事しまくってて、理由がわかってる、かもしれない俺はくすぐったくて仕方なかった。  枝島の部屋は駅からはかなり遠い。でも、工場からはまぁまぁ近い。自転車で少し。  大きな通りには面してなくて、コインパーキングは少し遠いところにあった。前回はタクシーで来たから、今回は駐車場を探した。  静かなところ。  そう目立つ建物もとくにはないけれど、ちょっと歩いたところにコンビニがあってそれを目印にしているから迷いもせずに来れた。  部屋はシンプルなワンルーム。  キッチンがちゃんとあって、ちゃんとそこで調理もしてる。 「お疲れ様っす」 「……あぁ」  トイレと風呂は別。 「そこら辺に適当に座ってください。飲み物用意するんで」  ベッドに、テーブル。 「酒でいいんすよね」 「いや、途中で買ってきた。だからいいよ。ありがと。って、いうか帰ってから作ったのか?」  居心地は、悪くなかった。  枝島の部屋は、テレビがないから、主人である枝島と似て寡黙だけれど。  その買ってきた飲み物を手渡そうとキッチンへ向かった。  へぇ、すごいな。俺なんかよりもずっとテキパキと材料を切っている。その手つきで普段本当に自炊をしているんだってわかる。 「っす。てきとうっすけど」 「そんなことない。基本コンビニ飯だから、てきとうだろうとありがたい」 「いつもコンビニ飯なんすか?」  仕事はそう遅くなることはない。日付を超えるような残業は、本当に何かトラブルがあった時くらい。そんなことは稀で大概は八時をすぎた頃には帰ってこられる。けれど、そこから材料を切って焼いて、は、ちょっと面倒でしたくない。コンビニだったら、一分二分で食べられるんだ。そっちにしてしまう。もしくは会社の酒の席で済ますか。 「? 枝島?」 「太るっすよ」 「! おまっ、失礼な」 「冗談っすよ。細いっす」  そこで、ふわりと枝島が微笑んだ。冗談とか、言うのな。 「っ」  無表情のままでいてくれたら、助かるのに。 「もう出来上がるんで、そっちで待っててください」 「あ、あぁ」  二度目の枝島の部屋に、手作りの晩飯、ただその二つだけでもずっとソワソワしているんだから。  一人暮らしで、皿が来客用のなんてなくて、どれもこれも枝島が一人で使うのにちょうどいい程度にしかなかった。一人暮らし用のワンルームマンションじゃ食器棚も小さくて、たいして収納できない。複数人での食事する用の皿なんて置ききれないし、ここに人を呼んだことがないから必要なかった。そう言ってた。  すごいな、美味そうだ、とテーブルに置かれた料理を褒めると。、いつもみたいに「っす」って小さくお辞儀をした。  けれど、その頬は嬉しそうに赤くなっていた。  ただ、焼肉のタレぶっかけただけだって言いながら。  枝島は自分で作った焼き肉をでかい口でパクパク食べていく。  端正な整った顔、ほっそりとした「精悍」な頬がその一口分頬張った分だけ膨らんでるのが、年相応っていうか。意外にがっついて食べるんだって思ったり。  食うのも早い。  昼休憩の時もデスク隣で食べてるけど、確かに早くて、俺がまだ半分と少し食べ終わった頃にはもう完食してるくらい。  まさにもりもりなんて言葉が似合うくらいに平らげていく。  確かにセックスは結構ガツガツくるもんな、なんて思ってみたり。  意外なような、意外でないような。  テレビがないから食事中は他愛もない話をしていた。  主に仕事の話。  本社の方はよく台風が通る場所だから、結構、そういうのも慣れてるとか。例えば、台風により交通の乱れを見越して、工程管理部の方が納期調整を済ませておくとか。生産部も納期が変更になるだろうって予測して前倒しで作業したりだとか。  それからこっちだと椅子だけしか作ってないけど、本社はそれ以外の家具も作ってるから、検査機器も多種多様で。けど、それだけじゃ、追いつかない場面もあって。人が本当に試作品を使い込んで安全性を確認したりもしてるなんて話もした。  口数は少ないけど、その目はじっと俺の話す口元を見つめてる。  小さな溜め息だって聞き漏らさないとこっちにずっと耳を傾けてる。  居心地は、悪くない枝島の部屋。  コンビニ飯よりずっと美味かった料理。  けれど、向かい合わせで向けられるその視線は、少し、指先が熱くなるから、食べにくかった。 「ごちそうさまでした。礼には足りないけど、食器くらい洗うよ」 「っす。食器、いいっすよ。俺が洗うんで。治史さん、休んでてください」 「そうもいかないだろ。それに今日も忙しかったろ?」 「全然平気っす。こんなんでよかったら、全然いくらでも、また作るんで」  仕事は真面目、部屋だって、男の一人暮らしにしては整ってる。料理もできて、顔だっていい。 「またって、お前ってけっこう尽くすタイプ?」  からかったつもり、だった。  いや、誤魔化した、かな。 「尽くしますよ。そりゃ」  今の、このシチュエーションに、俺はずっと動揺してるから。  ずっと、「もう、いいだろ」って。 「ずっと、はちさん、フォローしてたんで」 「……」 「スマホの画面越しでいっつも指咥えて見てた相手っすから」  もういいだろ? 「オカズにしてたんで」  もう。 「その人と付き合って、抱かせてもらえるなら、ヨユーで尽くしますよ」  もう落ちて、溺れてしまいたいって、ずっと――。

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