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第40話 実感に
俺のものなんで、そう言われてるみたいだった。
――今は、こっちの人でしょ。
オンラインで本社の、本来俺が仕事を一緒にしているだろう部下たちと話をしていたら、突然、割り込んで攫われたような。
剥き出しで、ほんのちょっとだって隠すつもりのない、丸裸なヤキモチ。
単純明快で、素直で、シンプルな独占欲。
――今は、こっちの課長でもあるんで。
そう言われてるみたいで、ゾクゾクした。
「で? どれ? やるの」
「あ、この椅子の耐久試験なんすけど」
「オッケー」
どうしようか。
「こっち、試験報告書の下書きなんで」
「あぁ、了解」
笑うの堪えるのが大変なんだけど。
「これね」
「っす」
「……っ」
「そんで、ってなんで、笑ってんすか」
だって、お前、俺が工場の一階に降りてきただけで、分かりやすく嬉しそうな顔をして、今も、ほら、ものすごく上機嫌。
無口なくせにその表情は誰よりもお喋りなんだ。顔を見てればそのままほとんどわかる気がする。もしかして、読心術が使えるんじゃないのか? 俺。
なんて思うくらい。
「いや、なんでも。そしたら、耐久の過重試験からやるか」
「……っす」
笑われた理由を知りたそうにじっとこっちを見つめてる。
ここにフリスビーでもあって、投げたりしたらすごい勢いで駆け出してくれそう。
豆シバじゃなくて、でも豆シバよりも可愛いシェパード。
今度、そのことを本人に話してみようか。
枝島を動物に例えたら何かなって話からさ。
犬っぽいって。
そしたらどんな顔するだろう。
難しそうな、変な顔をするかもしれない。
「あ、これなんだけどさ、この項目の検査の書き方な」
「っす」
っていうか、今度、そのことを本人に話してみようかってさ。今度って、なんだよ。また今度、枝島と二人で過ごす予定なんてないのに、普通に次があるみたいに話したりして。
「ここ」
「どこすか?」
言いながら、ぐいっと顔を寄せて俺の手元にある図面を覗き込む。
「っ」
至近距離、ただそれだけで、喉奥がきゅっと締め付けられた。
「こ、ここに重さかけた、とかなんかわかるように書いておいてる? メモみたいなのでかまわないから」
仕事仕事って頭を切り替えて。動揺が声に滲んでしまわないように気をつけながら本社での検査スタイルを教えていく。もちろんこれは最初、合併直後にこのように試験等は進めてくださいと伝えてある。同じ会社になったわけだから、同じように検査をしておかないと。たまにだけれど、客先から試験の成績書の詳細なデータを全て欲しいと言われることもあるから。そこで、支社工場ではそのデータは残してませんでした、なんて言えるわけがない。信用問題になってしまう。
「残してるっす。前に言われたんで」
「お、えらいえらい。ちゃんとやってあるんだ」
「そりゃ」
「これなら安心だな」
「……」
あ。
「え、えーっと、それじゃあ、試験の」
これなら安心だな。俺が向こうに戻っても。
そう言いかけて、言葉が詰まった。
三週間って決まっていたけれど。あんなに来る前は三週間も? こっちの仕事もこの後大きな波がいくつも待ち構えているのに? なんて思ってたのに。
今日でちょうど半分を過ぎたのか。
「俺が持ってきます」
「え、いいよ」
「重いんで」
「なら余計に」
「重いんで」
「……」
重いから手伝わなくていいなんて。
重いから手伝うんだろ?
「そっちで用意続けててください」
「……あぁ」
その理由にふと思い当たる節があって笑った。
腰、は、まぁ確かに気だるいから。
昨日の今日で、まだ少し。
「……」
痛いんじゃない。
ちっとも。
そういうのじゃない。
ただ。
「ありがとう」
「全然、別に」
ただ、俺は昨日が楽しかった。食事をして、話して、抱き合って。仕事も楽しい。こうして笑いながら仕事をするのも、隙間の時間での談笑も全部。少し前の俺にはなかったことで。
淡々と。
変わらず。
波一つない毎日。
どれもこれも同じ感覚で進んでいく時間。一時間は六十分で、一日は、二十四個、その六十分を塊にした一時間が並んでいる単位で。
あっという間にすぎてくものじゃない。
同じ単位、同じ感覚、同じ長さで進む「時間」。
「重かっただろ」
「全然っす」
もう三週間を半分すぎてしまったって思った。
いつもだったら、ただ三週間を半分すぎたな、って思うだけ、だった。
「じゃあ、試験を」
「あの」
「?」
「連休、じゃないっすか」
「……」
「なんか、どっか用事とかあるんすか?」
ないよ。そんなの。
いつも休日は同じ。買い物して、掃除して、洗濯して。次の五日間、もしくは六日間のための準備期間。頭には来週の仕事をどうしようか組み立てて、効率良く仕事をこなしていくことを考える時間。
「ないなら、全部、欲しいっす」
「……」
「ダメすか?」
予感が、実感に変わる。
「……いいよ」
「!」
予感、がしてたんだ。
世界が変わる予感。
恋愛を置いてきた俺の日常が変わる。
そんな予感がしていた。
「じゃあ、こっちのから」
「あぁ」
その予感が実感に変わって、あぁ、って思う。
「久喜課長」
「?」
「あざす」
「……」
あぁ、もう。
もう、恋に落ちて溺れてるのだから。
このまま沈んでしまいたい。
そう思った。
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