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第43話 切符チクチク

 子どもの頃、切符買うの好きだったなぁ。  今時、わざわざ切符を買うことってなくなったな。大体、電子乗車カードをみんな持ってるし。だから、切符を買って電車の乗るのは子どもの頃以来だ。切符代金が半額だった頃だけ。  ふと、そんなことを切符売り場にいる長身不愛想シェパードを眺めながら思い出した。  背、ホント、高いな。  剣道やってたって前に聞いたけど、あの高身長で、剣道着着て構えたら、女子の何人かは……だよな。面取って出てくる面、あれなんだし。本人はそんなの気にしたこともなかったって言ってたから気が付かなかっただけで。 「切符、買ったのか?」 「っす」  きっと、枝島のことを好きだった子だって。 「どうぞ、これ、治史さんのっす」 「ありがと」  いただろうな。 「あっちのホームっすね」 「……あぁ」  枝島の作ってくれたデートプランはまるで遠足みたいに楽しそうだった。  一日楽しんで、豪華なランチを食べて、そのまま宿泊、翌日はまた少し移動して買い物をしてから帰宅。けど、今度は枝島のこの部屋に宿泊。  言葉通り、三日間、俺と一緒に過ごすらしい。  本当に飽きられてしまいそうで心配したけれど、でも、これだけあっちこっちって動き回って、やることがあれば、大丈夫かな、なんて。  本当に、置いてきちゃったから。  本当に、恋愛と一緒に、俺は色々あの場所に置いて来てしまったから。  だから引っ張り出せるものはクタクタで、シワだらけで、とても古ぼけているだろう。  そう、だろう?  けれど、枝島が。 「電車の乗り継ぎ、これなんで」  そう言ってメモに乗り継ぎを書いた紙を見せて、エスコートしてくれる背中がいつもよりも背伸びしているように見えた。  いつもよりも足音が軽やかに聞こえた。  いつもよりも。 「この辺で」  ホームに降り立つとあと十分もないうちに乗りたい電車が到着するみたいだった。枝島は片方の肩にカバンを下げて、知ってます? これ、切符の数字、これを足し算、引き算、割り算、掛け算どれ使ってもいいんで、十にできるっていうの。  そう話てくれる声が弾んでいるように聞こえるから。 「どうすか?」 「んー……」 「治史さんの十になりました? 俺なったっす」  だからわざわざ改札口のところで切符を買ったのかな。  そんなことを意気揚々と教えてくれるから、そんなことを思って。 「あ、なったぞ。俺のも」 「見せてください」 「ほら、これで足して、今度は割り算で」  割り算、なんて単語、久しぶりに口にしたなって思って。 「な? なっただろ」 「そうっすね」  そんなことを二人でしているうちに、電車がやってくるアナウンスが流れた。  目的地に俺たちを運んでくれる電車へ乗り込む頃には古ぼけていることがあまり気にならなくなっていた。そして、そんなことを気にする代わりに。 「切符、どうかしたんすか?」 「いや、別に」  掌に乗る、行き先の書かれた小さな紙切れをじっと見つめる俺に枝島が首を傾げてる。子どもの頃、楽しいところ行きのチケットをもらえたってはしゃいでた気持ちを思い出したんだ。  ただの淡いオレンジ色をした切符、裏が少しツルリとした、特殊な紙の、角が指に当たるとちょっとチクチクして痛いんだよな、なんて他愛もないことを思い出しながら。 「今日、楽しみだ」 「! っす」  無くさないように大事にポケットにしまった。 「スパリゾートか……」 「あんま、でした?」 「そうじゃないけど」  水着でも入れる温泉と、裸で入れる温泉の二つがあって、食事処もけっこう充実していて、今の時期だとカニ食べ放題フェアをしているからいいんじゃないかと。 「治史さん?」  そう思ったらしいけど、さ。 「プールの方しか行かないのなら、別に室内プールのあるレジャー施設に行けばいいのに」 「カニ食い放題がないじゃないすか」 「なら、普通の温泉も入りたい」 「…………ダメ」 「おま、上司に向かって、ダメって」 「……けど、ダメなものはダメっす」  結構律儀なところのある枝島は、一瞬、その「上司」って言葉にグッと押されかけたけれど、それでも負けじと普通の温泉に入ることは頑なに拒否してくる。  はるばる電車乗り継いで結構遠くまで来たのに?  そもそもこっちには仕事で三週間来てるわけで。  工場立て直しの出張に水着を持ってきてるわけない。ここでも売ってるだろうけど、わざわざそのために割高の水着を買うくらいなら、裸で入れる温泉に入ればいいだろ? 館内着は一日二百円で貸し出ししてもらえるんだから、それを借りてさ。温泉でゆっくりした後はその館内着でぶらぶらすればいいのに。岩盤浴だってできるし。このままカニの食い放題だってできるんだし。 「そんな顔しても、ダメなものはダメっす」 「頑固」 「ダメっす。貴方の裸なんて、絶対に」 「……」  それなら、そっちだろ。  剣道やってて、高身長で、背中が綺麗で、腹筋だってバキバキなんだ。それで水着なんて着てぶらぶらしててみろ。女の子が……。 「っぷ」 「笑い事じゃないっすよ。貴方のヌード、マジで目の毒なんで」 「いや、はいはい」  そういう意味で笑ったんじゃないんだ。  そうじゃなくてさ。 「じゃあ、水着、ビキニにしよっかなぁ」 「! は、はあ? ダメに決まってるじゃないっすか!」 「あははは」 「ったく、このプラン失敗だったかも……」  そうじゃなくて、お前の裸を見て女の子たちがワーってなるだろうなって思ったら、チクチクしただけ。  切符を買う時、少し離れた所から眺めてた立ち姿が綺麗で、これはやっぱりモテただろうなって、チクチクしただけ。  そして、そんなチクチクは、もうまるでただのヤキモチでしかなくて。  ヤキモチっていうのか恋をしないと、ない、ことで。 「なんで? 楽しそうなプランだろ」  笑えただけなんだ。

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