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第53話 れっきとした大人なので
れっきとした大人だから仕事をやらないといけないわけで。
れっきとした大人なのに恋愛をたいしてしてこなかったから、とても下手くそで。
頭の中がまるで子ども部屋みたいに散らかっている。
でも訊けばいいだけのこと。そして訊かずにいたらずっとぎこちなくなるのもわかってる。
わかってはいるんだけど……。
「……はぁ」
ビジネスホテルの真新しいベッドに身体を放り投げるように横たわり、ノリの匂いが微かにするシーツに顔を埋めた。
訊けばいいこと、なんだけど、今日は訊けなかった。
そもそも俺はここに恋愛をしに来た訳じゃなくて、仕事をしに来た訳で。その仕事に追われていた。どうしても動きそうのない、俺っていう本社からの邪魔者がいなくなるのを待っているっていう雰囲気がひしひしとしているあの工場長をどうにか動かさないと。
前半というか最初の二週間は品質保証の本社に沿った業務改善にかかっていて、まぁまぁそれなりの成果は出せると思う。当初の目的はそれだから、充分ではあるけれど、今後、その品質保証業務を行ってもらうためには、製造側にもそれだけの品質で作ってもらわないといけないわけで。
うちの部長は品質保証のレベルをあげれば自ずと製造のレベルは上がらざるを得ないだろう? だから、品質保証課のレベルアップを頼むって言ってたけど。たったの三人だ。
三人だからこそ課長である俺が一人出向くだけで充分ってことなんだけど。
このあとをあの三人でやっていくのは無理がある。
そのたったの三人であのお世辞にも柄が良いとはいえなさそうな面子と対峙していくのも、あのゴミ屋敷かと疑いたくなるような工場を綺麗にしていくのも、至難の業だと思う。
こっちの品質保証課長は強く言えるような人じゃない。斉藤さんは良くも悪くも女性らしい。それにデスクワークがメインの人に急に現場の管理なんて無理難題だ。そして――。
「……」
枝島は、特に、しんどくなるだろ。一番現場にいるんだから、矢面に……だ。
だから、俺がいるうちにどうにかしてやりたい。
やりたい、んだけど。
「……しんど」
つい口からそんな文句がこぼれた。
午後も工場長に食い下がってあれこれ動いてはみたけれど、空回りしてる感がすごいというか。まずは製造の人員にやる気を出してもらわらないと。俺が工場内を動き回ってみても、知らぬフリで、参加もしなければ意見を言うわけでもなくて。俺でその態度なんだ。もっと年下で、ただの一社員の枝島の指示で業務改善は無理だ。
だから、ほぼ一日ミーティングルームで工場長との打ち合わせに明け暮れて。でもこのままじゃ埒が開かないと夕方から工場の掃除をしてた。製造社員が多く作業をしている中じゃ掃除もしにくかったし。
何より。
枝島がいたら絶対に手伝うだろ。
だから、いない頃合いを見計らって掃除をした。
「足、重い……ダルい……」
そんなぼやきが勝手に溢れる。重労働というよりもあの埃まみれな中を行ったり来たりするのがなんかものすごく疲弊させる。
「……さて、と」
久しぶりにあんなに埃まみれになったな。でも、夕方から始めたというのもあるだろう。まだ全然氷山の一角程度。あれを全部となると……溜め息が止まらない。
でもこれではダメだと、少しはやる気を出してくれたらいいんだけどな。
明日も少し続きをするよう、かな。あとはよろしくってしても、きっと彼らだけじゃ、あの状態に今度は埃が降り積もって行くだけだろうし。
だからもう一踏ん張りだ。
少しくらい、さ。
「シャワー浴びないと……」
少しくらい、枝島にだって楽させてやりたい。
そう、思ったんだ。
掃除を一人でしながら、ここに来てすぐの時、工場の片隅でポツンと作業を続けていたあの枝島を思い出して、そう思った。
「久喜課長! おはようございます。昨日、製造の、工場の方で掃除をって伺いましたよ」
「あー……あはは、おはようございます」
大失敗、した。
「そりゃお疲れでしょう」
「あはは、そう、かも、です」
まさかの大寝坊だ。
起きたのはいつもの時間の一時間後。アラーム鳴ったのか? 疲れすぎてスマホどこかに置いてきたのかと一瞬思ったくらい、全くアラーム音にも気が付かず眠ってた。
久しぶりの「労働」に完全な寝坊。でも、いつも朝は早く出社していたから、遅刻にはならないけど。
噂話は大好きなんだろうこっちの品質課長は昨日、現場に足を運んでいないはず。現場の人間と親しそうなイメージもない。それなのに、昨日の、俺の工場大掃除をどうしてかすでに知っていた。
「なんだか、本当に申し訳ない」
「いえ、みなさん、そもそもの業務抱えてるでしょう? この中で一番手が空いてるのはきっと私なので」
「いやいや……」
そんな話を課長としながら就労時刻を入力できる社員カードを機械にかざした時だった。
「……ぁ」
枝島が、ちょうど下から上がってきたところだった。
俺と課長を見て、目を丸くして、それから、カクンと首を傾げた。
「……おはよう、ございます」
「あ、あぁ」
そして、目を、逸らされた。
「……おはよう」
いつだって、真っ直ぐに、こっちこそ目を逸らしたくなるような、射抜くような眼差しが、ふいっと逸らされて、その視線は自身の足元を睨みつけるように向けられていた。
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