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第61話 人を好きになる。そして、恋をする。
まさか恋をするなんて思わなかったんだ。
あの時、こんな想いをするのなら人を好きになるのなんてもうしたくないと思った。もう恋はこの足元に置いて、置き去りにして、俺は仕事っていう道を歩いて行こうと思ったんだ。
人を好きになるのはきっと楽しいことばかりじゃない。好きだと、気持ちを打ち明けるだけでも心臓が壊れそうなくらいなのだから。
でも、それでもって気持ちを告げて、手を伸ばして、触れて。
恋を掴めたら。
こんなにどこもかしこも気持ち良くなれるなんて、思いもしなかった。
「……すまないな」
課長が申し訳ないと、俺を呼び出した。今日は、力仕事や実務作業をしようとすると元彰が飛んできて俺をかまうから、おとなしくデスクワークをやらせてもらっていた。
デスクワークが溜まっていたのは事実で、向こう、本社からあれこれ来てる質問や、対応対策、色々なことをこなせるから、これはこれでとても助かっていた。
今日、このデスクワークたちをほぼ大人しくさせることができれば、早めに退社して、ビジネスホテルの方をキャンセルして……なんて考えてた。本社の方には、少し隣の部屋がうるさくて眠れそうにないからとか適当な理由をつけて仕舞えばいい。ホテルの取り直しは、個人で勝手にしたキャンセルだから構うことはないと言えば、それまでで大丈夫だろうし。
「……達也」
それで、元彰の部屋に……そんなことを考えて、つい出そうになる鼻歌を我慢していたくらい。
「昨日は、あのあと……電話が繋がらなくて……ごめん。少しだけ話がしたいんだ」
俺はお前のこと好きだったけど、それを告げてないから恋にならなかった。
「治史」
好きって言って、あの時、なし崩しに始まった関係の形があれ以上に歪んでどうにもならなくなったらやだなって思って、手を引いたんだ。そっと手を引っ込めた。そのほうが楽に、お前とキスができて、セックスができて、気持ち良くなれたから。
「達也、」
「あの時はごめんっ」
「……」
「昨日も、その、勢いで打ち明けようとした。そういうのがダメで、ああなったのに、ホント、俺、学ばないな」
「……」
「今回、テコ入れでこっちに来てるんだろ? その職場で、こんな話をすること自体ダメなんだけどさ」
達也は苦笑いを浮かべて、デスクの上で両方の指を組ませて手を置いた。まるでミーティングでもするみたいに。
「けど、こうでもしないと話させてもらえないかもって思ってさ。もう終わったことだろってお前は言ってたけど」
「……」
「あの時、俺は自分がもう女性とはできないのか確認したんだ。その、お前以外と」
夢中って顔してたっけ。
「ゲイじゃないよなって」
「……」
「バカだろ」
「……」
「あの時、俺はちゃんと女の子ともできるって安心して」
どうなってたかな。
あの時、好きだと告げられなかった俺と、あの時、好きだったらどうしようと悩んでいたお前とで、それでも恋はできてたのかな。
「今は?」
「え?」
ふと、思い出した。
まだ、セックスをする前に話してた。
「今は、まだひとり?」
「……あ」
家具を全部自分でデザインしたいんだって、達也が言ってた。一点ものの、自分で手作りでもいいし、どこかオーダーメイドで頼んでもいい。でもとにかく自分のデザインしたもので家具を揃えたいって。子どもの部屋も、寝室も全部。俺は奇抜じゃなくていい。長く使えるデザイン、シンプルで飽きのこない、使い続けられるものがいいって。そんな話をしてたっけ。
きっと結婚願望とかあったんだろ?
「早く相手探せよ? 三十超えると一気に中年」
「!」
「せっかく顔はいいんだからさ。ここの製造部の女子社員が越谷さんかっこいいって言ってたらしいぞ」
「……そうだな」
達也が小さく笑った。
「そうだな」
そしてもう一回そう呟いて、また笑って、指を重ねるように組んでいた手を解いた。
「お前は三十には見えないな」
「いや、俺、この歳ででかい企業の品質保証課長してるんだけど」
「見えない」
「それは困る。っていうか威厳ないとか、ホント」
「見えない見えない。すげぇ美人」
「っぷ、あはは。そんなお世辞言ってもなんも出ないし。うちの本社と商談するなら俺、伝手にならないから」
「なんだ。ダメか」
だってお前の好みのデザインって、うちの品質「保証」としての揺るがない安心安全にはちょっと、な。まずは椅子の脚、あと五ミリずつ太くしないと。
そう話したら、それは無理譲れないと、わがままなことを言っている。
昔みたいに。
大学の量の一室で夜更けまで交わした、幼い建築論みたいに。
「……それじゃあ、治史」
「あぁ」
「もしも」
「もしも、うちの本社とデザイン提携とかなら営業一課に知り合いいるから。そこに連絡くらいならしてやる」
「……あぁ」
「じゃ」
「あぁ」
けれど名刺は渡さなかった。連絡先は、渡さなかった。
「元気で」
「あぁ」
見送って、手を振って、さようならと笑って。
「…………さて、と、検査はどうだろ」
「! 治史さんっ」
びっくりした。
「あのっ、今さっき、越谷さんっ」
一階の工場に行こうとしたら、一階の工場から飛び出てきた。
「おう、お疲れ」
「……」
「検査はどう? 今日、定時上がりできる?」
やっぱり上手にはいかなかっただろうなぁ。
あの時のは。
「治史さん」
「んー……検査、手伝うぞ。定時上がりしたいから」
「あのっ」
「ビジネスホテル、キャンセルして、俺の荷物一緒に運んでくれんだろ?」
「……」
「それと、ここ職場。久喜課長な」
今と違うから。
今は、ほら。
「ほら……工場」
手を伸ばして掴むよ。
「検査あるなら手伝うから言ってくれ」
絶対に捕まえる。
元彰とする、この恋を――。
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