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第62話 がんばれ課長
恋で人は変わる、のかもしれない。
ポジティブ、とはまた違う。
なんていうんだろう。
強くなる、かな。
うん。
それが一番しっくりくる。
腕力とかじゃなくて、芯のところが強くなる感じ。
「一人で作業する時は効率化も考えて」
「っす」
「特にこっちの工場は人数少ない、っていうか元彰、じゃなくて、枝島一人でまかなうだろ?」
「っす」
「それから、この検査は検査対象物が壊れるかどうかの試験じゃないから。この対象物を人が毎日の生活で使って、使い続けても破損することなく、人を怪我させたりしないってことを確かめるもの」
「っす」
「それを常に考えながら検査して。で、ダメなものはダメって、ちゃんと製造に突っ返す。この強度で折れるものなんて本社じゃロットで不適合にすることになる」
「っす」
「うち、品質厳しいから」
たった今強度試験で折れた椅子の脚を不適合品の箱へと入れた。
「じゃあ、次の検査」
「っす」
「あの……久喜課長」
つい、検査のレクチャーに夢中になってた。遠慮がちな声に振り返ると品質課長がまんまるな身体を邪魔にならないようにとできるだけ小さくしつつ、背後に立っていた。
「はい。あ、お疲れ様です。課長」
「いやいや……」
「?」
こっちの品質保証の課長がそう呟いて、白髪が混じりの頭を自分の掌でポン、と叩いた。
「どうかしました?」
「! あ、いえ、工場長がこの前のミーティングの続きをですね」
「あぁ、そうでした」
すっかり忘れてた。午前中に越谷が来て、その後から現場で検査の手伝い、と思ったら、なかなか質の悪い椅子ばかりの仕上がりで検査が難航してたから。
午後は工場長と工場内のレイアウト変更についてミーティングをすることになっていたっけ。
「じゃあ、枝島。あと頼んだ」
「っす」
帽子をとってぺこりと頭を下げる枝島に見送られて、古くドアノブ付近と、それから足元の塗装のはげた鉄の扉を開ける。
こういうところも、なぁ、って思いつつ。
ドアノブだけならわかる。何度も何年もこの扉を行き来してれば、その部分の塗装くらい禿げるだろうけど。問題は足元の方の塗装剥がれだ。
「この週末、もしかしたら大掃除するようかもですね」
「えぇぇ? そんな」
「その時、この扉の塗装も塗り直します」
足元の塗装剥がれ、つまりは足でドアを蹴って開けているってことでもあるわけだから。
社風も気にする顧客はいる。人の暮らしを作る仕事だ。その人となりも見られる場合がある。ドアを蹴り開けてるような従業員がいる会社はイメージダウンになる。
「本来はそこまで予定じゃなかったんですが。ここも大事な拠点になります。生産現場は顧客も一番気にする環境です」
「それはそうですが」
「業務改善の中にはもちろん効率化を図った綺麗な職場環境も織り込まれてます。本社から工場長が来て視察したら即是正です。工場の評価もかなり落ちる。そうなる前に直しておかないと」
「……そんな」
きっとそんな業務改善は彼ら三人じゃ無理だろ。
品質を守る砦は厳しくあるべき。
でも、ここの工場での品質保証は非力だ。お飾り程度の検査。きっとこれは不適合だと製造に製品をつっかえしたところで「はぁ?」と製造部の強面に凄まれて終わる。
厳しく、なんて、した日には……だろ。
「大丈夫ですよ。三人では大変だと思いますが、私がいますから」
その言葉に、課長は小さく頭を下げた。
「いやいや、そんな大量ロット、こっちじゃ作れないですよ」
「作れないではなく作ろうとしてないんです」
「長年この仕事してるんでね。これだけの量を作るなら毎日、そちらの本社さんが禁止している超過残業でもやんないと」
「確かに今の非効率な現場では無理でしょう」
「!」
工場長が目に見えて苛立っていた。
今までここまで品質保証に対抗されたことなんてなかったんだろう。
歯向かう気なのか? と、まるで威嚇する動物だ。作ってやってるんだ、黙ってろとでも言いたそうな顔をしている。
「まずは工場内のレイアウトの変更を提案します」
「あのね、悪いけど、うちはこのレイアウトで」
「まず、うちもよそも、あっちもこっちもないです」
睨まれたところで、だ。
「ここも本社の一部なので」
そんなので、あんたの言っている「向こう」では怯んでるような「暇」はないんだ。
「いやいや、すごいなぁ」
「そうですか?」
「私は現場に出ないせいもあって、ああいうの苦手でねぇ」
「あはは、そうかもしれないですね」
「お恥ずかしい。そもそもは製造にいたんですよ。けど、製造部ではやってけないってことで品質保証に異動になったんです」
「そうだったんですか」
一悶着、というと物騒だけれど、でも品質保証を小馬鹿にしている感がすごい工場長との討論というか口論を終えて、下の工場へと向かっていた。
「とりあえず本社に戻るのは月曜日で大丈夫なので、それまではどうにかしますよ。本当にこのままじゃ大型案件をこなせない」
それでも本社は無理やりだろうと大型案件を次から次に送ってくる。それはもう簡単に予測できる。だから今のうちにやることやっておかないと――。
「きゃあああああ」
ここの品質保証が崩れる。何より、元彰が潰れ――。
「どうかしたかっ?」
聞こえてきた悲鳴は工場のやたらと重たい鉄の扉の向こう側。
「何か、あ……」
製造部にいる女子社員の悲鳴だった。
悲鳴は。
「っ」
枝島の怪我を見たからで。
「枝島!」
その枝島の掌からは真っ赤な血が流れていた。
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