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第70話 モチ、あざっす

 仕事と恋愛、か。  すると思ってなかったからなぁと、ふと、今の自分の状況に驚いてみたり。 「あ、はる、じゃねぇ、久喜、課長、もう終わったんすか?」 「あぁ、もと、じゃなくて、枝島はどこ行ってたんだ? タイムカード押してないから社内にいるのは知ってたけど」  お互いに、今の呼び方で呼びそうになって、けれどここが職場だと思い出して、喉のところから溢れた名前をギリギリで堰き止めた。まだ短いのに、これが始まってからまだ数日なのに、どれだけお互いの名前を呼び合ったんだか。もう枝島のことを枝島、じゃなく、元彰と呼ぶことの方が自分に馴染んでた。 「下で片付けの手伝いしてたんす」 「製造の?」 「っす。久喜課長はどうすか? もう終わりました?」 「あぁ」 「すんません。もしかして、待たせてたりしました?」  二人で帰るっていうのはこちらの課長にも伝えてある。自転車で通勤していたから、この手じゃ到底それは無理で、かといって歩くっていうのも面倒だろうから、どうしたものかと。それならって俺が送り迎えを引き受けたんだ。申し訳ないとこちらの課長が慌ててたけれど、これが一番都合のいい俺はちっともですと、全然苦労なことはないのでってフリをして。ホテルの滞在はそもそもキャンセルしてた。 「んー、向こうの、本社の部長に色々話してたから、別に」 「なんかあったんすか?」  こっちで足りてない試験機器。そのリストと、それを予算として組んでもらえるかどうか。とりあえず予算案の内容に織り込んでもらえるよう、どうして必要なのか、どのくらいそれがあると効率化が測れるのかを報告書にまとめて報告をして、それから部長が電話をくれたので、ずっとそのことを。 「枝島のその怪我のこと、労災とかも関わってくるから。けどもう大丈夫。帰るぞ」 「っす」  今は俺がいるからどうにかなるとして、今後物量が増えた場合、というか増えることは確定しているから、その時の対応に関して、色々と部長と話していた。 「俺、車持ってくるから、玄関口にいていいぞ」 「いや、俺も一緒に行くっす。もう暗いんで」 「……」  俺が、ここからいなくなった後の話を、していたんだと、なんとなく言わなかった。 「暗いったって」 「この辺、工業地帯で人気少ないから」  いなくなりたくなくて、言わないかったのと。  いなくなると元彰に伝えるようなものなのが、寂しい思いをさせるんじゃないかと、勝手に心配して言えなかったのと。  二つがくっついて。 「心配性」 「っす」 「心配されるのはそっち」  そしてちらりと手を見た。  会社は昔ながらの古びた工場。  小さな駐車場が隣にあるけれど、もうそこはいつでも混雑しまくっている。これから物量が増えれば人も増やすだろう。今の時点で駐車場は足りておらず、第二として少し離れたところにもう一箇所停められるところを最近借りている。 「俺は全然っすよ」 「あ、枝島君!」  俺たちが階段を降りて帰ろうとしていたところに、製造部の女性社員が駆け上るように階段を上がってきたところだった。  知ってる女性だ。  前に、元彰とそこの自販機のところで話していたのを聞いたことがある。  甘えたような、可愛い声で。 「今日はありがとうねぇ。すっごい助かった」 「っす」 「またよろしくねぇ」 「っす」  きっと、元彰のことを気に入っているんだろうって、そんな感じの声色だった。  彼女は、一段飛ばしで階段を駆け上がっていく。楽しそうに、元気いっぱいに。まるで好きな人と一緒にいられたことを喜ぶように。 「製造の手伝いって、今の?」 「そうっす。なんか棚を入れ替えたかったらしくて、けど、脚立が今みんな使われてたから、背の高い俺が物取り係に」 「……ふーん」  はしゃいでたっけ。 「…………の、久喜課長?」 「お疲れ様。けど、手怪我してるんだから、そういうのはどこかから脚立持ってきた方がいいぞ。今度は左手を怪我なんてこともあり得るんだから」 「…………あの」 「ほら、帰るぞ」 「もしかして、なんすけど」 「?」 「あの、ヤキモチとか、してたり、しま…………す?」 「!」  工場を出ると、急に秋めいてきた風がびゅっと吹き付けた。  ここに来た時はまだ暑くて何に来てしまったっけ? なんて思いそうなくらいだったのに。 「あ、いや、その、さっきまでフツーだったのに、急になんかそっけないっつうか」 「なっ、何っ」 「あの、一応、言っとくと。あの人、旦那さんいて、高校生の子どももいるんで」 「………………えっ!」 「今度、大学受験するつもり」 「えぇぇぇっ!」  俺が驚いて、その驚いた様子に驚いた元彰が目を丸くした。 「え? 大学って、じゃあ、元彰と歳がそんなに」 「っす」  じゃあ、あの甘えているような声色はそもそもの。 「なんで、息子と話してるみたいって言われます。俺みたいに無愛想じゃないけどって」 「……そんなに……俺、てっきり」 「やっぱり、だったりします?」 「っ」  恋愛はしないと思ってたんだ。 「ヤキモチ」 「っ」 「っすよね」  しないと思ってた。仕事は大事だし、この、今の仕事に不満足なんてない。ないけど、でも、まさかさ。俺がここにこのままいたいなんて思うとは。 「ヤキモチ、あざ……す」  ないと、思ってたんだ。

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