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第79話 デスクワークが嫌いな理由

 ――そうですね。私も来てもらえて久喜さんと仕事できてよかった。  なんか、嬉しかった。  そんなふうに言ってもらえるなんて思ってなくて。なんだろ。なんていうか。  そうだな。  例えば、子どもが一生懸命頑張っていたことを実は見てもらえていて、うん、頑張った、と言われた時のような、そんな嬉しさ。  それから話したことのなかったクラスメイトが、何か小さなきっかけで話してみたらさ、案外、面白い奴で話が弾んだ、みたいなワクワク感。  小さな自分が胸のところで小さく、小さく、でも、しっかりとガッツポーズをしたような。  そんな。 「どうしたんすか?」  口元が緩んでいたらしい。  二人での夕食を終えて食器を洗っていると、もう右手はほとんど使えるようになってきた元彰がじっと俺を眺めてた。食事も普通に右手でしている。動かすのも問題はなさそう。風呂も濡らさないようにビニールにすっぽり手を納めてしまえば問題ない。ただ、食器を洗うとなると俺が代わりを務められることだし、と、わざわざそのビニールで覆うまでのことをせず、そのまま食器を拭く係を担当してもらっていた。  今日の夕飯は普通に野菜炒め。ただ炒めてソースからめるだけだから、俺でもできる。それを大皿に盛って、二人でつついて。 「なんか、今日、すげぇ楽しそうっす」 「そうか?」 「今日の途中からすげぇ楽しそうだった」  それに反比例するように元彰はだんだん元気がなくなっていたっけ。 「本当、デスクワーク好きじゃないな」 「っす」  素直に返事をする元彰に笑った。 「あんま好きじゃない」  それ、ドヤ顔で言うことか? しかも上司に。今のって、上司に向かって、俺、この仕事好きじゃないんすよって堂々と暴露してるのと同じだからな。 「デスクワークも大事な仕事だぞ」 「……っす。そんで? なんで楽しそうなんすか?」  上司に叱られてるとは思えないしれっとした顔で、普通に話題を変える元彰の笑って、洗い終わった最後の大皿を隣のかごに置いた。  これで皿洗い終了。 「んー? 別に、なんもないよ。ただ」  たださ、好かれてないって思ってたんだ。ここの人に。俺も、そもそも好きじゃなかったし、渋々、社命で来たし。正直、本社で仕事してたかったし。他の人員をあてがえるのなら是非ともお願いしたいって思ってたくらい。  だったんだ。 「三週間もか、って思ってたけど、あっという間で」 「……」 「やりがいあったし。斉藤さんもだし、課長も、一緒に仕事できて楽しかったなぁって思っただけ」 「……なんすか、それ」 「?」 「まだ貴方とずっと一緒に仕事してたいって思ってんの、けっこう、ギリで我慢してんのに、それをそんな顔で言うのってズルくないっすか」  どんな顔、してた? 「デスクワーク、別にそんなに嫌いじゃないっすよ」  そうなのか? 「すげぇ、眠くなるけど」  あ、また上司に言ってはいけないんだぞ発言。  そんな発言を耳に心地いい好きな男の低音で聴いていた。長い指は俺には少し大きくて扱いにくい大皿をすっと持ち上げ、簡単に拭うと、テキパキと棚にしまう。骨っぽい手の甲も、長い指の関節だけ少し太くなってる感じも、好きな男のものだと思うとたまらなく欲しくなる色気があって。 「好きじゃないのは、デスクワークじゃなくて」  じゃなくて? 「もう少しで今みたいに一緒に仕事なんてできなくなるのに、デスクワークのせいで、貴方の隣にいられないのがイヤってだけっす」 「……」 「それに」  それに? 「斉藤さんと、課長と仕事できて楽しいって言った」  言った、けど。 「俺、その中にはいてなかったんすけど」  っぷは、って、笑いそうになったじゃん。 「それでそんなに剥れてたのか?」 「っす」 「斉藤さんと課長とは別じゃん。お前は」 「……」  何にがすか?  どの辺がすか?  そんな質問が顔にモロ出てる。  それを可愛いなって思った。 「元彰とは、一緒にいられて」  いられて? 何なんすか? って顔。次の言葉を欲しそうにじっと俺の口元だけを見つめて。笑っちゃうくらいの目力で、せがむんだ。  ねぇ、言ってよ、って。 「めちゃくちゃ嬉しいよ」 「……」 「だから、こっちこそ」  こっちこそ、イヤなのをギリ我慢してるのに。  その欲しがりな瞳を見つめながら、剥れた顔にキスをした。唇に触れて、少しだけ啄んでから、また触れて、少しだけ下唇には舌でも触れて。 「ずっと元彰と……ン」  一緒にいたいって言おうかどうしようか、言っても我慢するしかないし、どうにもならないし。そもそもそんなに夢中な自分にまだ少し戸惑うところもあるし、くすぐったいし。  だから、その言葉の続きを奪うように深く口付けられて、率先して舌を絡めた。  絡めて、もっと深く中を弄って。 「ン」  本当はずっとこうしていたいと伝わるように、その唇に触れると、まだ完全には治ってないその手が強く俺を引き寄せて、一番近く、心音だって重なるくらい近くに俺を閉じ込めた。 「……治史さん」  その声をこうして直に聴けることにしがみつくように、広い背中に腕を回した。

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