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第80話 掃き溜め

「もう少し作業環境を整えないと、このあと本社から送られてきた仕事量こなすのが難しくなります。だから、この前、提案させていただいたレイアウト変更の」 「だから、今、そんな5Sとかレイアウトとかやってる余裕はちょっとないんですよ」  違うだろ。5Sも仕事のひとつだし、そこできてない企業はそもそもダメなんですよ。もう町工場気分は切り替えて頂きたい。  今日はあいにくの雨になった。おかげで製造現場である一階工場は湿気がすごくて、図面の紙もその湿気を吸い込んで、素手で触ると妙な感触がする。もちろんそんな悪環境では検査もままならなかったりする。基本室内で使われる椅子だ。これだけの湿気を含んだ状態での試験は正確性がない。参考値としてはメモを取ったけれど、保証書としては扱えないから、検査業務をストップしていた。その代わりに、工場長に現場の環境改善をお願いしようと思ったんだけれど。 「えぇ。この少人数でよくやってらっしゃると思います」  おい、と、言ってしまえたらいいのに、と思いつつ、製造部とお互いに譲歩できるポイントを探してた。というよりも、本来、品質保証部としてではなく、安全面という意味で会社側から製造現場の実体を把握して、もっと環境を率先して整えるべきなのに。ここの工場は全くその意識がないんだ。ここに来た時からそこが一番の問題点だと思ってる。ものづくりの会社のはずなのに、その「もの」が生産される現場がまるで、これじゃ。 「そうなんです。この少人数で、この数量をこなすのに、整理整頓なんてしている時間も惜しいんですよ」  これじゃ、「掃き溜め」なんだ。  それでもいいと諦め切ってしまったかのような顔をして、「面倒臭い」と言わんばかりの溜め息を吐き散らかして、製造部のトップである工場長は首の辺りをトントンと叩いくと、この話し合いの場を去ってしまう。 「ですから、こちらで、品質保証側で現場の5Sを請け負いますから」 「あー、すんませんね。どこの工具をどう使ってるか、今、この状態でみーんな把握してるんで、それをやられると困るんですわ」  ちょうどそこに製造部のどこからかわからないけれど、「荒げる」という表現がぴったりな、ざらついた声が工場長を呼びつけた。ちょうど、納期ギリギリのものの材料が入荷したらしい。短納期のものが多くてこまると数日前のミーティングでもぼやいていた。もっと営業は作る側のことを考えて納期設定をして欲しいものだと、押し付けるように言っていた。それに対して、営業側はこの納期でこの価格じゃないと、昨今の不況の中では仕事は取れないと、押し付けられた文句をそのまま押し返すようにぼやいて。ただ「そっちでどうにかしてくれ」の押し付け合いになっているだけだった。  それだからダメになったんだろう?  そんなふうだからうちの会社に買われるしかなくなったんだろう?  なぜ環境を整えるくらいのこともできないんだ。そんなどっちもどっちで譲り合うこともなく、ワガママに「でも」「だって」ばかりを繰り返して。 「ですが、」 「それじゃあすみません。材料入ったんで、受け入れしないとなんですわ」 「あの、」  工場長は「あぁ助かった助かった」と嬉しそうにそのざらついた声のする方へと向かっていってしまった。  これじゃ本当に「掃き溜め」のままだぞ。  そう言えたら。 「……」  きっとここは変わらない。  そう判断して諦めていただろうな。  そもそも俺がここに来た本来の目的は品質保証部の水準上げだ。そしてそれは達成できてる。本社のフローチャートに沿った仕事の進め方に修正もできたし、データの統合性も十分。デスクワークに関しても、疑問点、修正点ともに斉藤さんにレクチャー済み。検査の仕方に関していえば、本社の中級レベルの社員以上に検査はできるように、元彰はなっている。  だから、俺の仕事はここで完了、してるけれど。 「にしても、なんなんかな、アレ」 「マジでな」  とりあえず仕事の邪魔になるようじゃ、話を聞いてはもらえない。  仕方がない、また後で、もしくは明日の朝一番にもう一度工場長に製造現場のレイアウト変更を頼むことにしようと思った。  効率化を考えたレイアウトを作図だけはしておいたんだ。  あとでそれを持って――。  そんなことを考えながら、製造現場を出て、上にあるデスクへと戻ろうとしたところだった。 「本社から来ましたとか言って、あんなお綺麗なでかい会社にしてみたらここなんてゴミだろ」 「まぁ、実際、あっちはすげーじゃん」 「だからって、こっちはこっちのやり方があるんだっつうの。エリートはエリートのところで仕事しろ。うっぜ」  そんな声が聞こえてきた。  製造の人間だろう。  普段は外にある喫煙所でぐだぐだと時間管理のできていないだらけた休憩を取っているけれど、今日は雨だから、外の喫煙所が使えないんだろう。  あれも良くないと思っていた。外の、他企業から丸見えのところで、あんなだらしなくタバコを吸っているのは、社風を疑われる。 「早く帰れよな」  よく思われてないのは知っていた。 「品質保証かなんか知らないけど、そもそも、なーんも作らない部署が口出しすんなっつうの。うちの品質保証だって、ポンコツと、書類片付けの人と、あとあれだろ? そこにあーだこーだ言われるとか本当無理だわ」 「端っこで検査だけしてろよな。ホント、うっぜぇ。早く、お綺麗な本社様へお帰りくださーい」 「な、そう思って、あの椅子仕掛けたのにな」  俺のことは別に悪く言われてかまわない。  実際、好かれてないのなんてわかってる。でも――。  でも、今、椅子って、仕掛けたって。  それってつまり、あの。 「まさか、あそこであの新人がやると思わなかったな。でもまぁ、あいつも無言でなんか偉そうだし、生意気だからな、いーんじゃね? なんちゃって検査だけしてろっつうの」  あの、椅子の破損って。  もしかして。  一緒で思考回路に火ついたように頭の芯が熱くなる。頭が急に重たくなって、ぐらりと揺れたように感じた。今、のって。今、あいつらが喋ってたことって、つまりは。 「お、」  おいどういうことなんだ。そう問い詰めるため、曲がり角にある休憩所へ踏み入ろうとしたところだった。 「!」  背後から口を手で塞がれ、そのまま引き止められた。身体ごとぎゅっと抱き締められて。 「っす」  それが元彰だっていうのはすぐにわかった。 「こっちっす」  元彰は、低い聞き取りにくいほどに小さな声でそういうと、俺の腕を引いて、その場を立ち去ってしまった。

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