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第82話 ダメな工場

 でも、やっぱり、ダメだろう?  大丈夫って、さ。  そんなわけないだろう?  いくら本社から来た俺が邪魔だからって、怪我をする可能性が充分に考えられるようないたずら、普通はしない。  悪質すぎる。  すみませんでした、じゃ、すまされない。  そんなつもりがあろうがなかろうが、怪我をさせた事実は変わらない。その時点で反省するべきだし、あんなふうに喋ってる時点で反省も悪気もない。最低だ。  製造部の人数が足りなくなるなんて関係ない。そんなことも予測できない奴なんかそもそもいなくていい。  元彰がそれで良くても俺は良くない。  ちっとも。 「……ぁ」  ちっとも良くない。  メールが来てた。  部長からだ。  オンラインでミーティングがしたいから、インできるタイミングがあれば言ってくれって。社内携帯は本社では必要数分配られている。部長のスマホに連絡を入れたらすぐにミーティングができるようになっているから、いつでも構わないと。  今日は一日、今度ある客先からの監査に向けた資料確認に追われているから、デスクに張り付いてるって。  逆に今日、一日、こっちの工場で枝島くんの代わりに検査業務をしているだろうから、その合間に連絡をくれればいいと、部長から。 「……」  ちょうどよかった。  ここで報告をしよう。  こっちでは重大な人員問題が起きているって。故意に事故を誘発させるような問題行動のある社員が少なくとも数名いると。下手したらクビにだって――。 『あぁ、悪いね。忙しところ』 「……いえ」  すぐにメールをして、それからまたすぐにオンラインでミーティングルームに入った。 『急に申し訳ない。そちらはどうかな?』  どうかな、なんて悠長なことは言っていられない状況なんです。製造部の荒れ方が笑えないと、そう言おうと口を開きかけた時だった。 『実は、そちらで今、怪我をしている枝島君のことなんだが』 「!」 『こっちの本社に少なくとも一年、研修に来させるのはどうだろう』 「……え?」 『いや、そちらが人員不足なのはわかっている。それから状況として、悪環境なのも。それでね、営業、設計、企画、他の部署とも相談したんだが。そちらの工場ラインにかなり大口の案件を任せる予定がある。来年のことなんだけどね。社長は諸経費削減のために、ほら、運送費も値上がる一方だろう? その案件をそちらで賄えたら、利益率はグンと高くなるからって言ってね』  だから、こちらの小さな工場で来年、後半なのだけれど、その大口案件をメインで請け負って欲しい、のだそうだ。そのためには、報告の通りに人員の増員も技術向上も早急に対応しなければならない。  それならば、元彰を呼び寄せて、一年、こちらで育成するのがいいのでは、と話が持ち上がったらしい。 『まだ、そちらには色々任せるのは時期早々と判断があったんだよ』  一年こっちで預かって、しっかり育ててから。 『流石に一年で、二十四歳の枝島君をそっちの工場の品質課長にするつもりはないんだけど、主任かなぁ、と私は個人的に考えてるんだ』 「……」  それは、すごくいいタイミングなんじゃないか?  そしたら、あの愚かな製造部員からも引き離せる。こんなところ、もう一刻だって。それに、それなら、俺と、一緒に――。 『と、呼び寄せておいてすまない。新しく導入した検査機器あっただろう? あれがまた止まってしまったみたいだ。私も下に降りて、様子を見てくるから』 「!」 『申し訳ない。またこの話の続きは後ほど。もちろんまだこの件は口外なしでお願いしたい。大事な人事だ。本人にだけは他言無用で少し打診してもらっても構わないよ。彼にも色々都合があるだろうし。むしろ彼の都合がわかればこちらも決めやすい』  はい、承知しました、と答えたところで部長がミーティングルームを退室した。  やった。  そう思った。  元彰が大変な思いをもうこれ以上しなくて良くなる。  そう思うだけで、足取りが軽やかに感じられた。  一年、きっと元彰が戻ってくる頃にはここの工場だって、もう少しまともになってるだろう。それなら安心だし。主任になれれば、製造部に何かを進言だってしやすくなる。  それに本社に一年ってことは、また、もっと――。 「あ、これいいじゃん。これなら工具類の充電確かに管理しやすい」 「っす」 「うんうん。いいね、やっとく。あの阿呆たちは放っていてさ。ほら、製造のカワちゃん、あの子多分手伝ってくれるよ。ほら、前に枝島君が提案してくれた工具類の充電器、柱に取り付けてくれたの、カワちゃんだからさ」 「っす」  早く、一年向こうにって話を元彰にしようと思った。ミーティングルームは俺たちのデスクがあるところと同じ階にある。デスクに戻っても元彰はいなかった。デスクか一階の工場、もしくはあの自販機の並んだ、元彰だけが水やりを続けてる観葉植物のある場所、そのいずれかには必ずいるから。大急ぎで降りてきたんだ。  向こうに一緒に行くことになるって話そうと、思ってた。 「本社は充電器、全部柱付なんでしょ? その方がいいよね。当たり前だけどさぁ。もう汚い、ごちゃごちゃ、が当たり前だったもんなぁ。なるほどってなったよ」 「っす」  早く知らせてやろうと、急いではしゃいでいた足がぴたりと止まった。  一階、ゴミ溜めだと思ってた、埃まみれ、意味のわからないダンボールの箱の山があるような、そんな工場の片隅で、その段ボールの箱を一つずつ開けて、中身を確認して整理している元彰と、製造部の女性社員の会話に足が止まった。  そうなんだ。  本社では工具の充電器は全て柱に取り付けている。机の上に平置きなんてしない。スペース取るし、重たい充電器が四方を向きながら雑多に置かれた机なんて誰も掃除したくない。掃除しないから汚くなって、もっと触りたくなくなって、そしてもっと汚れる。そんな悪循環はダメだから。 「色々教えてよ。うちらも綺麗なところで仕事したいしさ」 「っす」  ダメな環境だから、早く、元彰を連れ出してやろうと思ってた。 「よーし、頑張ろう!」 「っす」  思って、いた。

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