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第83話 彼の思い、彼の思い、俺の想い

 一年、とりあえず、一緒に本社に行くことになる。  向こうには検査機器が十分揃っているし、環境として、こんなゴミ溜めのような場所じゃないから安心してくれ。同じ年の新人もいるし、何より本社はとても期待しているらしいから。  もうあんな、商品であるはずの椅子の破損がどういう結果を招くか、それによって仲間であるはずの従業員がどうなるのかもわからない愚か者と一緒に仕事をしなくていいんだ。ゴミにしか見えない段ボールの山の奥で一人黙々と仕事をしなくていい。高い水準、高い意識、設備の整った環境で仕事ができる。  一緒に。  そう言おうと思った。  でも。 「……」  製造部の女性社員と一生懸命にゴミなのかなんなのかわからない埃を被った段ボールを片付けていた。  手を怪我していて、検査ができないから、その時間を使って製造部の片付けをしていた。  俺は、なんだここって思ったよ。  ゴミ屋敷か? ここで商品を? ありえないだろ、って思った。  でも、俺は、段ボール、片付けたか?  これじゃダメだろう? と言って、まず環境改善をと、自分から動いたか?  汚い場所だと嘆いて、嫌そうな顔をしただけで終わらせてた……だろ?  それに、ちょうどいいって、喜んだ、だろ?  元彰と一緒にいられるって、それを真っ先に、胸の奥で、頭の端っこで、でも確かに真っ先にそれを考えなかったか?  やった。そしたら俺が今週、ここを離れて、向こうに戻っても、今と変わらず、一緒にいられるぞって、そんなことを考えた。  ここで、ああやって、頑張ってるのに?  無口でぶっきらぼうで、誰かと話すのが好きって訳でもないのに、率先して声かけて、一緒にここを良くして行こうとしてるのに?  ――俺、貴方にすげぇ育ててもらったんで。  そう言っていた。  ――すぐには、ここ、立て直すのは難しいと思うんすけど。  元彰はここで踏ん張ろうとしてるんだろ。  ――でも、諦めずに業務改善していくんで。俺が。  俺に育ててもらったって、誇らしそうな顔をしていた。少し「どうだ」って顔をして、笑ってた。見せてやりたいって顔。ここを、俺に育てられたお前が立て直して、本社も認める、第一工場になるって顔。  凛とした顔。  じゃあ、俺は?  俺が真っ先に思ったのは?  元彰の大人として、踏ん張りたいって気持ちは?  あいつなりに見せたいと思っている誇りは?  その誇りを、俺にだからこそ見せたいって思ってるのに?  俺はただ好きだから一緒にいたいって。  それでいい?  でも。  だって。  あんなことを笑いながらやるような連中だぞ?  ダメだろう。  だからこそ、仲間を作ってやっていこうとしてるんじゃないのか?  元彰が作った仲間が、ここには――。 「っ」  どれが最善なのか、わからなくなった。  本社に一緒に行こう、それがいいと思った。  でも、元彰のやりたいことは、ここにちゃんとあって。  俺はあいつと一緒にいたい、なんて、ことを真っ先に考えてて。  ゴミ屋敷だぞ。  でも、それを変えていこうと思ってる仲間を元彰は作ってる。  一人、二人って、少しずつ、自分で。  俺はどれを最優先にした?  元彰の気持ち?  元彰の誇り?  俺の。 「っと、あ……」  俺の――。 「あー! ごめん。見つかるとはっ、すまない。いや、本当に、お前には、その会わないように気をつけてたんだ。マジで。もう、うん、ちゃんと諦めてるし。って、いや、お前にしたら諦めるも何もないよな。フったっつうか、怒られたっつうか。うん。俺も、そのちゃんと女の子と……いや、もう三十だから、相手が女の子って微妙だな。女性と、だ。うん。そうだそうだ」 「……達也」 「で、違うから! その仕事で。で、その、商談っていうか、新規の仕事を、あ! ここの親元になった本社殿にはなんも商談持ちかけてないからな! 一応、友人? じゃ、ないか、元恋……いやいや、そんなレベルじゃないよな、俺は、あはは」 「お前、いやいや、ばっか言ってるぞ。そして一人で慌てすぎだ」 「いや、これは、あ……いや」  達也が困ったように、もう十年近く前にはなかった目尻のシワの辺りを指先でかいた。  何をこっそりしてるんだ。どっちにしたって、一階にある工場の出入り口と商談スペースになっているミーティングフロアに続く階段はここでぶつかるような構造になってるんだから、ばったり会うこともあるだろうし、会ったところで、何してんだ、この二股野郎、なんて怒るわけないのに。 「…………なんか、あったんか?」 「!」 「あ、いや、目、なんか泣いた……っぽい、からさ」 「……」 「あー……いや、俺でよければ、話くらい聞くぞ。その、お前と、あの子の関係もわかってる……し」  それ、「いや」っていうの口癖なんだな。  知らなかった。  そんな口癖があるの。 「あ、もちろん、他意はないからなっ、その、弱ってるところを付け込んで、お前のこと、なんて、考えてないから」 「っぷ、そんなん、させないから気にすんな。俺、二股とか絶対にしない主義だから」 「あ……あはは」  そして、また、口癖の「いやいや……」を呟く達也が申し訳なそうに笑って。  俺も、この少し間の抜けた会話に、一つ、小さく笑えた。

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