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第84話 正しく大人
「なるほどなぁ……」
こんなこと、立ち話でできることでもなくて、かといって外に二人で出るわけにも行かない。雨も降っているし。スーツの達也はあまり濡れたくないだろうから、会社のミーティングルームの小さい方で話しを聞いてもらっていた。
怪我が故意に仕掛けた嫌がらせが原因だってこと。
本社から、一年の長期研修の話が持ち上がっていること。
元彰がここで頑張ろうとしていること。
「うーん……」
達也は腕を組むと、わずかに唸って、その組んだ自分の腕を見つめた。
「確かにここの工場は汚いけどな」
「……」
「小回りが利いてさ、うちみたいな小さなデザイナーにとってはありがたい存在なんだよ。お前のとこみたいな大手じゃ、うちみたいなオーダメイド系、無理だろ?」
「……まぁ」
頷くと、少し笑って。あ、でも、コラボでデザインとかさせてもらってもいいぞ、なんて、冗談の中に、しっかりと本音を織り込んでくる。もちろん、そんな企画を品質保証部の人間に言ったところでどうにもならないし、俺がそれを企画部に提案はしないだろうって達也もわかってる……と、思う。
「もう二つ、うちのデザイン会社が取引してる製作所があるんだけどさ」
「あぁ」
「一つはすげぇ、質が高くてさ。レアな素材とか難なく用意してくれてさ。けど、めちゃくちゃ高い。たまに、レア中のレアな太客から依頼があった時はそこに頼むけど」
へぇ、そんなところあるのか。
驚くと、多分、元々は木材系の会社で、今の社長がビジネス幅を広げるために、枝分かれさせた小さな会社なんだろうと話してくれた。
「そんで、もう一つのところは、品質全然ダメ。そう何年も使い込めるものじゃなくて、毎年買い換えとかならどうぞレベルのとこ。けど、価格はかなーり安い。まぁ、企画イベントとかだったり、人が使うわけじゃない家具にならいいかもな」
なんだそれ。人が使わない家具って、と、不思議そうな顔をした俺に、達也が笑った。
「で、ここな」
「……」
「ここは質もいい、価格もまぁ手頃、納期のスピード感もある、いい製造会社だと思う」
「……」
「だから、お前のとこの大企業の社長さまも買ったんだろ。いい物件だと思うぞ」
そう、なのか。
「腕がいいのがいるんだろうなって思う」
「……」
「工場の見た目はまぁ、どうかなっていうのあるけど。でも、数少ない従業員であのコストであのパフォーマンスはすごいなって感心するよ」
そのために蔑ろにしているものがあるんだろうと、達也は組んでいた腕を解くと、テーブルの上に置いた。
「もしも、その二人、誰だか知らんけど……まぁ、知らなくもないけど」
どっちだよって顔をすると、工場見学してれば大体は、な、と苦笑いを浮かべた。
「二人いなくなるのは相当でかいだろ」
「でも」
「誰でもさ、道具の使い方さえ覚えれば作れるもんだろうけどな」
「……」
「でお、覚えるまでは時間がかかるし。ちゃんとした技術者になるまで、ここで仕事を続けるのも大変だろ」
「……」
「と、思ってのことじゃないのか。枝島くんの発言は」
そう、かもしれない。何年もかかることなのかもしれない。しかも製造業だ。力もいるし、知識も経験もいる。その割に給料はそんなに高くない。もっといい給料で、一日中立ち仕事をするわけでもなく、仕事が終わった後、腰がどうしようもなく痛くなるわけでもなく、デスクで、カタカタとパソコンを打る仕事の人だっている。今の時代、それなりの学歴があれば後者の、日々が少し楽で、もっと稼げる方に人が流れていくのはあたりまえだ。昨今のビジネスシーンによく転がっている問題の一つでもある。確かに、うちの大企業でさえ、製造部に人員をあてがうのは大変だと聞く。あてがうだけではなく、そこから育てるのはもっととても苦労がいると。
「治史の言ってることもわかるけどな。正しいことだ」
「じゃあ、それでいいだろ。ちゃんとダメなものはダメだって言って、それで、技術向上のためにもうちの本社に来てもらって、一年勉強して」
「……」
「それで……」
そこに混ざり込む「気持ち」が正しい判断を邪魔するんだ。
一緒にいたい、なんて、子どもじみた気持ちが、何をどうすればいいのかを、霞ませる。選ぶ道の先を見えなくさせる。
本当はただ一緒にいたいだけなんじゃないのか? と。
「それが」
一番いい、最善の選択肢をわからなくさせる。
「っ」
「治史」
「っ」
その時だった。
元彰が下の工場から上がってきたのが見えた。俺が検査のフロアにいないから探しに来たんだろう。でも、達也が来社していて、ここに二人で籠ってるとは思いもしないから、そのままここを通り過ぎて、デスクの方へ向かって。それで、いないなと気がつくと、振り返り――。
「いいなぁ」
そう達也が呟いたのと、ほぼ同時だった。
「久喜課長っ!」
慌てた顔をして入ってくる元彰を見て、ポロリと涙が溢れた。
「は? な、なんっ」
もっと慌てて、俺が泣いたことに狼狽えている。
「なんでっ、久喜、あの、課長っ、なんっ」
好きすぎて、正しい判断ができなくなる。
「なぁ、治史」
「ちょ、マジでなんで、だからっ」
「大丈夫だと思うぜ?」
元彰のことが。
「離れても、お前の年下彼氏は四六時中お前のことばっかり考えて、だからこそ、見せたいんだろ? ご褒美欲しさにさ」
正しい大人になれなくなるくらい、好きなんだ。
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