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第88話 さらば、三人ぽっちの品質保証部よ。

「いやぁ、三週間とプラス一週間、本当に本当にありがとうございました」  華金、心なしか賑やかさが水曜日の定時上がり推奨デーよりもずっと楽しげな店内で、課長の、朗らかな乾杯の音頭で宴会がスタートした。  宴会と言っても、たったの四人のみの小さな宴会だけど。  課長はニコッと笑顔で深く深く頭を下げた。そして、斉藤さんは拍手をしながら笑顔で会釈をしてくれて、元彰は「っす」といつも通りの返事をした。  本社に戻る俺のためにと品質保証部のみんなが開いてくれたんだ。 「本当は先週ここのお店、予約してたんですけどねぇ。ほら枝島くんの手のことがあったから、でも、こうして四人だったからっていうのもあるんだろうけど、お店が気を使って、席もうけてくれて。ありがたいっ」  華金で混雑しているはずなのにと、嬉しそうに届いたばかりの生ビールをぐびっと飲んだ。  これが大所帯だったら無理だったかもなぁ、初めてうちの品質保証が少人数で良かったと思ったって、笑ってる。 「そうですね」  俺が抜けたら三人、か。  いくらなんでも少ないよな。 「今後は、実務では助けられませんが、なんでも言ってください。遠方からでもできることはお手伝いしますから」 「! 久喜課長!」  これから、多分来年くらいから少しずつ少しずつ物量は増えていくだろう。本社の品質部長が元彰を本社に呼び寄せて育成しようとしたくらいだ、期待もしてくれてるんだと思う。だから、きっと、遠慮なくそれなりの物量を任せてくると思う。  それをこなすには、多分、やる気云々関係なく、実質的に不可能だろう人員数だ。 「遠慮なしで、ぜひ。本社の人数すごいのはきっとオンラインのミーティングでもわかってると思いますが、事前に行ってくれれば人員、出せる時もあるので」 「! 久喜! 課長おおおおお!」  最初は信用ならないというか、あまりいい印象は持てなかった。今でも「それじゃあダメでしょ」って言いたくなることがたくさんある。同じこと何度も言ったりするし、昨日だって、過去の検査機器の校正履歴とかちっとも把握できてなかったし。仕事で抜けも多いけど。  でも、うん。  悪い人じゃない。 「本当に感謝しきりです」 「いえいえ。本当に三人でよくやってらっしゃると思いますよ。製造部との架け橋になるのも大変だと思います」 「……」 「? 課長?」  課長は到着したばかりのビールグラスをじっと見つめた。 「どうかしましたか?」 「あー……うん……いえ、はい」 「?」 「私はもう少し頑張らないとです。その、製造部との、私、逃げ回ってばかりでしたから」  考えて、胸の内でだけ、何かを決断したような。けれどそれがなんなのかは打ち明けることなく、店内の賑やかな笑い声の中、小さく頷いた。そして、届いたばかりで、水滴が表面を伝い落ちるグラスをしっかりと握りしめて、一気に半分まで飲み干した。 「私は色々ご相談するかもです」  そうポツリと呟いたのは斉藤さんだった。  デスクワークがメインで、そのデスクワークの大半が本社のやり方に変わってしまっている。オンラインで全ての操作を教え切るのは短期間では難しいだろう。普段よく行う作業なら大丈夫だろうけど、ごく稀にだけ行うことだってあるから。 「どうぞどうぞ。確かにデスクワークはまだお伝えしてないこともあるかもですが、でも斉藤さんはよく理解してやってくださってると思います」 「! ありがとうございます」  斉藤さんに微笑むと肩の力を抜いて、少しだけ目を潤ませた。  きっととても大変だと思う。家事をしながらの育児、仕事は。しかもたったの三人なわけだから自分が休んでしまった時の代役がいない。そはプレッシャーもあるかもしれない。  そして――。 「枝島も頑張って」 「……っす」  一番大変になるだろうな。 「しんどい時は連絡してくれれば助っ人を」  その時は俺が――。 「大丈夫っすよ」 「……」 「色々教わったんで。やりきります」  なんだよ。 「ちゃんと、久喜課長に教わったこと実践して頑張りますんで」  もう少し頼っていいのに。部下なんだし。年下なんだし。 「やり切ってみせます」  俺のこと呼んでくれて構わないのに。 「なんで、大丈夫っす」  そう言い切った元彰の表情は凛としていて、一人前の、大人の顔をしていた。  帰り道、ふわりとした足でなんだか一歩一歩歩くだけでも楽しい気がしてくる。  繁華街を行き交う人たちも華金で開放感があるのかもな。楽しそうだ。でも、向こうの、本社はもっとすごいんだ。なんでだろうな。 「大きな駅でさ、その駅を降りるとすごい賑やかな繁華街があるんだけど、訛りのせいかな。もっとなんか、お祭りみたいでさ」 「……へぇ」 「すっごい賑やかなんだ」 「……へぇ」  お前ね、上司に向かって、「へぇ」ってね。 「うちの本社も呑兵衛多いからなぁ」 「……へぇ」 「あ、会社からちゃんと補助金とか出るからさ。飲み会とか、会社で開くのは申請すれば、一人いくらだったかな。斉藤さんに伝え忘れた。でも総務は知ってるだろうから、訊いてみて。どんどん使っていいよ。互助会って言って、まぁ、従業員同士親睦を深めましょうっていう」 「……」 「本社近くの繁華街」 「……」 「すごい賑やかだからさ」  ふわりふわり、足がふわふわする。だから。 「来週、見てみるといいよ」 「! うん」 「うん、て」  ふわふわするから。 「かわいいなぁ」  掴まった。 「かわいいのは治史さんっすよ」 「あはは」  恋人の手をぎゅっと握って、掴まった。このあと、一週間触れなくなる大きくて、骨っぽくて、指先が少しざらざらする手は温かくて、気持ちよかった。

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