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第91話 タイムリミット

 明日、遅い便で帰ることにした。  って言っても、こっちを出るのは昼過ぎくらいだから、全然だ。  全然、遅くない。  自分の部屋に辿り着くのは……何時かな。日付けは変わらないと思うけど、ギリギリくらい。一ヶ月も開けた自分の部屋はどうなってるかな。  少し、落ち着かなくなってたりして。 「向こうは魚料理が美味いよ」 「へぇ」 「元々はこっち出身だったけど」 「そう言ってましたね。それで向こうに」  そこで少しだけ元彰が言葉を止めた。  そう達也とのことがあってから、心機一転、と住む場所からごっそり変えたんだ。 「こっちにいた頃は別に魚料理ってそんなだったんだ」 「そうなんすか?」 「向こう行ったら魚が別物みたいに美味くて、それで魚好きになった」 「マジすか」 「元彰が来たら、美味い店連れてくよ」 「っす。残業で稼ごうかな」 「こら、仕事は定時で上がれてこそ、有能だぞ」 「っす。効率化」  そうそれ。  笑って頷くと、元彰が大きな手で俺の髪を撫でた。 「本社のパンフレット見ました」 「あぁ、営業本部長が渡したやつ?」  営業に使って欲しいって、確か結構な部数渡したはずだ。 「こっちの営業が一部ずつ配ってくれたんすけど、めちゃくちゃでかかった」 「大きいよ。端から端まで歩くとすごい距離になる。もちろん、そんな非効率はしないけど。家具の部門ごとにエリアが分かれてるから」  製造部員は担当する家具の系統が決まっているから、基本そこから動くことはない。そのくらいの広さがある分、電気の消し忘れが多発して、これからの季節、寒くなると光熱費の経費が跳ね上がるんだろう。総務がほぼ毎日電気の消し忘れには注意してくれと目を光らせてる。 「品質保証もその大きな拠点に対応できるだけの人員を揃えないといけなくて。だから大人数だけど、実際はもう少し人材が欲しいとこなんだ」 「新人とかもいるんすよね。前にミーティングで」 「いるよ。よく喋る。明るい子だ」 「子……」  そこで元彰が不服そうな顔をした。  同じ歳の新人を「子」って呼んだってことは、自分も「子」の扱いなんだと、むくれてる。 「同じ歳に見えなくて、最初、そのギャップに驚いた」 「……」 「うちの新人と同じ歳? って」  そこにもまた不服そうな顔。  多分、理由は「うちの」かな。  寡黙なくせにおしゃべりな表情が全部教えてくれるのが面白くて、最初、こっちに来た頃はじっと観察したっけ。課長が何か喋ってるのを聞きながら、返事の声はしないけど、返事、というか思ってることは全部顔に出てたから。  それでじっと見つめて。  整った顔をしていると気がついて。  目力の強さを見つけて。  見つめて。  そしたら――。 「まさかうちの新人と同じ歳に惚れるとは思わなかった」 「……」  ほら、また表情で返事をする。  そんなに嬉しそうな顔、するか? 惚れてなかったら、あんなやらしいことしないだろ? たった今までしていたあんなこととか、こんなこと、惚れてる相手じゃなかったらしないのに。それでも「好き」をあげたらあげただけ、嬉しそうにするのが可愛くて、笑いながら、その裸の胸を指先で撫でた。 「剣道、もうやってないのか?」 「っす」  もったいない。 「もうやらないのか?」 「そう、っすね」  なんだ。見たかったな。 「なんで剣道を始めたんだ?」 「近所で体験でやってて、たまたま」 「へぇ」 「やったら、案外、面白くて」 「?」  元彰がそこで急に頬を赤くした。どうしたのだろうと首を傾げて、その視線を覗き込むと、ふいっと目を逸らして、キスをたくさんして、いつもよりも少しだけ赤みの強い唇を大きな手で覆い隠してしまった。 「子どもの頃見てた特撮が和物っつうか、剣士ので、なんか、それっぽいとか思って入ったんす」 「……」 「ヒーローみてぇって、って、なんで笑ってんすか」 「いや、だって」  可愛いだろ? それ。 「なぁ、実家近いんだっけ?」 「まぁまぁ、近いすけど」 「な、今度写真見せて」 「え、いやっすよ」 「なんでだよ」 「恥ずいっす」 「えー……じゃあ、俺の子どもの頃の写真見せよっか?」 「マジすかっ!」  そこで前のめりになるのがまた愛おしくて、むくれてしまわないように胸の内だけで笑った。 「マジマジ」 「見、」 「元彰の子どもの頃の写真と見せ合いっこな」 「ぐ」  そんなに死守されると余計に見たくなるのになぁ。 「はちさんの子ども時代とか」 「そうそう、あのはち、の子ども時代」 「…………」  すごく悩んでるのが面白くて、こればっかりは我慢しきれず、くすくすと笑った。けれど、今、元彰は自分と「はち」の子ども時代の写真を天秤にかけることに忙しいらしく、笑ったことには気がついていなかった。  他にもまだまだ交換条件で見たいものならたくさんあるよ。中学、高校の卒アルとかな。もちろん、そこは俺の、「はち」のレアな卒アルと引き換え……できる、か? と、自分のその頃の写真はどうだっただろうと考えて、それはちょっと、と尻込みしてみたり。  でも、元彰の今までを見てみたい。  聞いてみたいこともたくさん。  好きだったテレビ、映画。本とか。部活は……剣道部。好きな科目とか。  他にも、たくさん。 「ほらほら、どうする?」 「ちょ、くすぐらないでくださいよ」 「!」  あ、新発見。案外くすぐったがり? なのか? 「ちょ、マジで」  お。本当にくすぐったがり。 「治史さんっ」  堪えきれなくなった元彰が俺を組み敷いた。ついさっきまで抱き合っていたくせに、一番奥まで暴かれたくせに、ただベッドに押さえつけられて身体が重なっただけで、トクンと心臓が跳ねた。 「次は俺から質問」 「?」 「好きな体位はどれすか?」  あ。 「俺は、正常位がすげぇ好きっす」  する?  したい?  また?  さっきしたのに。 「貴方の顔が見られるから」  さっきあんなにしたのに? 「バックも好きっす」  俺は、また、したい。 「貴方の背中のほくろが見えるから」  明日、ここを出るまでにたくさん知りたいんだ。たくさん質問して、たくさん知りたい。  一週間、会えなくなるから。 「それから対面で座るのも」 「っぷ、好きな体位って一つじゃないのか?」 「どの体位も俺は好きなんで」 「っぷは」  一週間、会えなくなるから、またしたい。  明日、ここを出るまでにたくさん、したい。 「じゃあ、とりあえず、また正常位?」 「っす」  ヒーローみたいだとはしゃいで剣道を始めて。  正常位が好きで。  バックも好き。  欲張りなくすぐったがりを抱きしめると、本当にくすぐったいのか少し身を捩りながら、もう形を覚えた身体の奥へ。 「あっ……ン」  もう馴染んだ、あの熱がその奥まで届いた。

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