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第92話 行ってきます。
向こうに、自宅に着くのは何時くらいかな。
部長には社用携帯から連絡するとして、土曜だから、会社にいる、か? 導入したばっかりの機械がなかなか思うように動いてくれないって言ってたから、調節してるかもな。俺がこっちで検査員として実務に従事してるのはわかってるから、遠慮して、多分、向こう、本社の現状は最小限の連絡に控えていてくれただろうし。検査業務に集中できるようにって。
部長ほうで対応しておいてくれたことはたくさんあるんだろうな。
「……」
電車、何分だっけ。
そんなことを考えながら、荷物の確認をしてた。
長くこっちにいたから、荷物たちも「あれ? 旅行?」みたいに驚いてるように思える。そのくらい、気がつけば元彰の部屋に自分も荷物も馴染んでしまっていたから。
「治史さん、忘れてました。これ、課長から、あ、こっちの、支社の品質保証課長から、向こうの、本社の品質保証の皆さんにって、菓子折り、渡してくださいって、言ってました」
「あ、うん。ありがとな」
「荷物増やしてすんません」
「いーよ。戻るだけだし」
「……」
あっちこっちってこんがらがるよな。
もういっそのことぜーんぶごっそり集めて、一緒くたになればいいのに、なんて、子どもみたいなことを考えた。
「……電車、何分でしたっけ」
俺の考えていたことをなぞるように同じことを質問してきた元彰に小さく笑った。
笑って時計を見れば、そろそろ家を出ないといけない時間で。
「あ、そうだ」
「?」
「はちのアカウントにさ」
「っす」
突然なんだろうと不思議そうな、でも少し身構えた顔を俺ヘ向けて、じっと次の言葉を伺っている。
「そこに、ここの住所、送って」
まぁ、総務に言えばわからなくはないんだろうけどさ。
「うち、すか?」
「そ。送るから」
「?」
「俺の部屋の合鍵」
「!」
「まだ使わないだろうけど。来週は俺がこっちに来るし。そのまた翌週もきっと俺が来るかな。年末くらいなら向こう来れる? ボーナス出るだろ?」
「!」
「それ使って上がっていいよ」
だから、持っていてと、まだ何も乗っていない掌を指でトンと突いた。あとでこの手に、鍵を、俺のプライベートに入っていい鍵を送るからって意味を込めて。
「誰かに渡すなんて思ってもいなかったから、持ってきてないんだ」
出張に自室の鍵をふたつ持って来ないだろ? だから持ってきていなくて、手渡しできないのはちょっと残念だけれど。
だって、手渡したらきっととても嬉しそうにしてくれる。
その瞬間の綻んだ顔が見たかったけど、仕方がない。
「また会えるし、これからも全然毎週のように会うつもりっていう約束というか、確約というか、おまじないというか」
「確約がいいっす。もしくは予約。毎週の」
「毎週?」
そんなに会ってたら、きっと飽き――。
「絶対に飽きないんで」
断言されて、つい、笑った。
俺の考えそうだったことを、パッと振り払って、すぐ目の前に、他の誰も目に入らない程近くに元彰だけが居座ったみたい。
「ボーナス出たら、絶対にそっち行くんで」
「あぁ」
「年末、一緒にいたいっす」
「いいけど、親戚に挨拶は?」
「……」
あるんじゃんって少し笑って。自分のスマホを取り出した。クリスマスって何曜日だっけって確認したくて。
「うーん……イブが日曜か」
「マジすか」
「まぁ、仕方ない。早めのクリスマスってことで」
社会人だからな。これはもうしょうがない。日曜で仕事はないけど、翌日は仕事だし。もう年末もギリギリ、数日したら長期休暇に入るわけで、そのあたりは結構忙しいんだ。新年に仕事またぎたくないし。自分なら強行で深夜移動でも構わないけど、無理させたくないし。
「プレゼント、届けてくれるだろ? サンタさん」
「! っす。プレゼント、何がいいか考えとくんで」
「いらないよ。欲しいの、これだし」
言いながら、そっとその唇にキスをすると、パッとさ、本当にあからさまに表情を明るくするから、わかりやすすぎて笑った。
「あと、もう少し寒くなったら鍋したい」
「っす」
まだちょっと鍋には早いかなって。でも十一月くらいになったら、鍋にはいい季節だろ? 一人じゃ、な。そもそも料理しない人間が冬だからと鍋を一人分作るわけなくて。それに、二人でした方が絶対に美味いだろ?
「じゃあ、土鍋用意しとくんで」
「うん」
その約束に気持ちがふわりと綻んだ。
「俺も、どっちにしても正月はこっち戻るからさ。地元はこっちだし」
新年の挨拶周りなんて適当だったし、渋々だったけれど、今年は楽しみになった。
「あ、そっか」
「初詣デートする?」
「っす!」
そこで急に元気に返事をするからまた笑って。
鍋もあるし。
クリスマスには俺が一番欲しいものをサンタが届けてくれるし。
初詣デートも楽しみだし。
来週、また会えるのも楽しみだし。
「さてと、それじゃ」
「……」
だから、今週はここまで。
「行ってきます」
「!」
遠距離にはなるけど。楽しみがこの先、たんまり俺たちを待っている。
遠距離にはなるけど。
「行って、らっしゃい!」
「あぁ」
好き、が離れるわけじゃないから。
じゃあね、じゃなくて。
行ってきますって言った。
ここに帰ってくるからって。
行ってらっしゃいって、嬉しそうな顔をしてた。
「行って、きます」
その顔が愛おしくて、キスをした。
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