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第93話 恋よ、進め。

 年の瀬ってなんでこんなに道が混むんだろうな。  ほら、カーナビ真っ赤だし。 「はぁ、まだ渋滞っすね」 「そうだな」  初めての監査業務に気が張っていたんだろう、肩が凝ったのか若者らしくなくその肩を片手でトントン叩いてから、またその手をハンドルの上に乗せた。  二十四歳、新人……っていうとあれか。もうそこまで新人じゃないか。  若手、かな。  その若手が暇なのか今度は、早く帰りたそうに、真っ赤なテールランプの行列の先の様子が知りたいと首を伸ばしてる。 「年末だからな」 「そうっすね」 「定時には上がれ……ないかもな」 「うぅ、そうっすね。しかも金曜っすもんね」  元彰と同じ歳とは思えない。  よく喋るんだ。一緒にこうして外出したりすると会話が途切れることがなくて少し驚く。  元彰とは会話をしない時もあるけれど、それも心地良くて、けれど話すのも楽しくて。先週、ちょうど向こうで山沿いをドライブデートしたから、ふと、その時のことを思い出した。 「どこか行く予定だったか?」 「あ、いえぇ……彼女と今日、めっちゃ行きたかったホテルのビュッフェ予約してたんすよ。SNSですごいバズってて。彼女が行きたいっつって」 「へぇ」 「めっちゃ美味しそうだったんすよ」 「どんなの」 「ここっす」  本来は運転中にスマホなんていじったらダメなんだけど、いかんせん車は全く動かないから。  若手はいそいそと胸ポケットからスマホを取り出すと、徐に、そのSNSを開いた。 「めっちゃ良さそうって言ってて、デートに予約してたんすよ」 「……へぇ」  う……わ。  ギリギリセーフ。  こわ。 「SNSで知って即予約して、けど無理かなぁ。もう六時っすもんね」 「良さそうなところだな。こんなところがあるのか」  なんて言いながら、実は知ってたりして。  なぜなら、明日、土曜日、そこに行くことになってるから。 「SNSとか、やるんだな」 「あ、はい! けど、最近、なんか仕様変わってやりにくくなっちゃったんすよね。この機能いらないし、みたいなのが増えて」 「……へぇ」  やば。 「頻繁に仕様変わるんすけど、その度に、大不評。ユーザーの意見ガン無視で」  もしかしなくても、これ、きっと同じSNSっぽい。  気をつけないと。最近、結構プライベート載っけてるから。あいつにもその辺、言っておこう。  最近、フォロワーさん増えたからなぁ。今、何人だっけ。「はち」の自撮りを変えてから、グンと、女性……なんだろう。多分。そんなフォロワーさんが増えたんだ。  パートナーがいると思わせるニュアンス写真をアップするようになってから、さ。  手を繋いで歩いて、「あったかい」と載せた日は、すごかったっけ。  幸せそうなんて言われてくすぐったくて仕方なかった。週末だけ載せる、「誰か」との写真。週末だけなのは、もちろん遠距離真っ最中だったからなわけで。その辺も場所とかは誤魔化しつつ、載せてたけど。  気、引き締めないと。 「あ、ここでいいぞ、一旦、道寄せて」 「? 久喜課長?」 「その予約してたところ、今から電車乗れば間に合うか?」 「へ?」 「ここ、駅に近いだろ? もうこのあと、なんにも仕事ないだろ。書類なんかはどっちにしても来週の予定だったから。このまま直帰扱いにしてやるから。ほら、行ってこい」 「え! マジっすか。でも、来週からは、あっちから」 「大丈夫。別に新人が入ってくるわけじゃないし、その辺の業務割り振りやっておく。あと、向こうで一人で検査してたくらいだから、結構できると思うぞ」  そう、たった一人で踏ん張ってたから。 「ありがとうございます!」  その返事の良さが、あいつと大違いだなぁと笑いながら、側道に寄せた車を飛び出して、走って駅に向かう若手を見送った。 「さて、と」  渋滞にはまって、はまって、移動にかなり時間を取られるけど、でも、まぁ、今日は遅くても。  別に。  それに、今日行けなかったからって明日リベンジだって乗り込んできて、遭遇なんてことになったら、だからさ。  明日はパーティーなんだ。 「……あ、えぇ? 俺、今、渋滞中だって」  そう独り言を呟いて、スマホの画面の向こうの笑いかけた。  ――サプライズ。実はもうこっちに辿り着いたんで。  そんなメッセージと一緒に、ほぼ毎週使っていた空港の様子を撮った写真に柔らかい笑みが自然と溢れた。  それは一ヶ月前。つまりは、俺が本社に戻った直後に部長からもらった提案だった。  ――君が約一ヶ月出張で行っていた工場の品質保証課長からのね。  検査体制の強化、及び、増員を考えている、と。まずか品質課長が検査を主体で行うこと。その中で、新人を育成していく。若手である「枝島元彰」君は本社に出向してもらい、約一年、みっちり勉強を頑張ってもらいたい。一年後、その技術を持って、我が工場の中心的存在として活躍してもらう。  そんな提案。  今までは実務を任せっきりにして管理だけを行なっていたのを改めて、ここずっとみっちり検査を学び直した課長と、それから多能工を視野に製造部からも研修ということで数名、来てもらう。主力の製造員二名は研修後、めきめきとその効果を発揮しているらしい。 「ただいま」 「遅いっすよ」  そして、来週より、我が本社の品質保証課に、新しい仲間が加わる。 「仕方ないだろ。渋滞はまってたんだから。それに、来るの明日だったじゃん」 「早く、この鍵使いたかったんで」  子どもの時以来、かな、大人になって初めて、クリスマスに欲しいものができた。欲しいもの、じゃないか。したいこと? 会いたい人? とにかく楽しみにしてた。  一泊二日で会えればもう全然それでいいって感じ。それをクリスマスプレゼントって思ってたんだけど。  まさか、もっとすごいビッグプレゼントがもらえるなんて。  しかも十二月になったばっかりなのに、もう、もらえるなんてな。 「あ、待って、元彰」 「?」  人生の転機となるようなインシデントが誰にも三つあるらしい。  俺の一つ目のインシデント。それがあったから、俺はこっちの会社に入った。  二つ目のインシデント。「EDA」に「はち」を見つけられてしまわなかったら、この恋は見つからなかった。  三つ目は……これ、かな。  人生の転機、かな。 「手」 「?」  この手。 「んで、この鍵」  この手がいつでも一緒にいる、隣にいる、今日も明日も明後日も。  恋は置いてきたと思った俺の、最大の人生の転機。  それは、きっと。 『初合鍵!』  三つ目の人生の転機、インシデントは、多分、あの怪我をした時。  あれがなかったら、俺たちはただ恋をしてただけかもしれない。好きって気持ちだけ。  でも、尊重し合えたから。  前に歩んでいける選択ができたから。 『です!』  恋は歩いて進んでいけた。  もっと先のさ。  鍵を乗せた手に手を重ねた写真をアップした途端、たくさんのハートマークが返ってくるのに二人で笑ってキスをして。  恋は歩いて進んで、愛に変わる、って。 「おかえり」 「ただいまっす」  思ったんだ。

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