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社員旅行編 3 恋愛色かなり薄めの社会人デート

「あ、ワサビ、そろそろないっすよ」  そう言って元彰が腰をかがめてチューブのワサビをカゴに入れた。 「えっ? もう」 「っす」  この前買った気がするんだけど、と、なんとなく首を傾げた。  土曜日のスーパーマーケット。カートを押しながら、これは買った方がいいか、ストックがあったか、のんびりと考えながら、一週間分の買い出しの最中。  地方の田舎、それなりに大きな駅はあってもスーパーマーケットが乱立してるわけじゃない。どこで会社の人間に会うかわからないから、週末の買い出しはいつもはるばる遠くにまで繰り出してる。  週末、青天の中でのドライブデート。行き先はスーパーマーケット。恋愛色かなり薄めのデート、かな。  まぁ、社会人同士こんなものだろうと思う。毎週毎週デートはしてられないだろ。午前中に待ち合わせて、ランチしてレジャーしてホテルでディナーなんてできない。そうあっちこっち出かけてたら、掃除もできないし、洗濯物だって消化しきれない。  生活感。  晴れ希望なのだって、洗濯物が乾く乾かないとか、買い出しに雨降りは面倒だからとか、そんな感じの理由だ。それにこっちじゃデートに使える場所も少ないし。 「俺が使い切ったんで」 「あ、そう」  俺はあまりワサビ使わないから、そうそう減らないんだ。けど、それなら納得だ。 「あ、あと、蜂蜜」 「……」 「なんだよ。その顔」  ものすごく、眉間、シワが寄ってる。 「肉に蜂蜜ってビミョーじゃないすか?」 「そういう料理なんだよ。レシピに書いてある」  それでもまだ「ビミョー」な気がするようで、納得したどころか、眉間にシワだけじゃなく更に「ビミョー」な顔をした。肉に甘い甘い蜂蜜、それからしょっぱい醤油。これだけでも不可思議なのに、そこに酸味の酢も入る。しかも、けっこうな量。  どんな得体の知れないものができるのだろうと不思議を通り越して不服そうにした。 「ほら、次行くぞ」 「っす」  その不服顔を置いてけぼりにして、次の買い物へと先をカートを押しながら進んでいく――。 「っと、っぶないっすよ」  目線がずっと棚にあった俺は、山になって積まれてる缶詰にもう少しで激突するところだった。 「! わ、わりっ」  それを直前、元彰がカートを握っていた手ごと引き寄せて、大事故を防いでくれた。  手。  でかい。  骨っぽくて。  それに、後ろから覆い被さるように、今、カートを重ねた手で押してもらっていて、近くて、元彰の体温がTシャツ一枚越しに背中に伝わって、染み込んで。  ――治史さん、もう一回、い? 後ろから、してぇ。背中、すげぇ、綺麗。  やば。  ――腰、揺れてるっすよ。  昨日の夜のを思い出した。体力バカな元彰がもう一回ってせがんで、俺の背中をそのでかい手のひらで撫でて、いきなり腰を鷲掴みにして、奥、パンッて突いた。  ひと突き。  それだけでまた達して。  確かめるように前を撫でた掌。  その掌に腰を揺らすと、後ろから抱き締めて。  ――いい? 奥。  普段、寡黙なくせに俺を抱く時は饒舌になる元彰に奥、撫でられながら、乳首を――。 「案外」 「?」 「こういう時、ドジっすよね」  いじりながら、意地悪く笑うんだ。 「可愛いっす」 「!」  そう耳元で囁いて、俺を抱いた昨日の夜を思い出した。 「そ、んで……凧糸でブロック肉ぐるぐる巻きにして」 「……っす」 「いいんじゃん? そしたら、それを沸騰した鍋に入れて」 「っす」 「オッケーオッケー、それから、今後はタレ作るから、あ、蜂蜜」  まだ、怪訝な顔をしてる。  意外に、でもないか。頑固な元彰はいまだに蜂蜜を肉料理に使うのが解せないようだった。 「蜂蜜、開けていいぞ。あと、醤油な。それから酢と……」  怪訝顔の元彰に蜂蜜を任せて、俺は他の調味料をボールへと計量しながら移して……。 「!」 「ほら、こんなに甘いの合いそうにないっすよ」 「おま、びっくりするだろっ」  二人で並んで料理をしている最中。週末、だけじゃないか。ほぼ毎日、うちへ来てこうして二人で料理をしている。本当に元彰がいる会社で用意したワンルームには寝に帰るだけ。それ以外はずっとうち。  食事も、風呂も。  俺よりでかい元彰と、一人暮らし向けのキッチンでの調理は少し狭いけど、それも最初のうちのことだけだった。半年も経った今ではそれが当たり前みたいになっていて、ごく稀に元彰が残業だったり、遅い時、一人でキッチンで料理をしていると、その広さが逆に落ち着かなかったりもして。 「っ」 「ほら、甘いっすよ」 「っ、ン」  言いながら、蜂蜜を纏わせた指先に舌を撫でられてる。甘い蜂蜜を舌に塗られてる。 「晩飯に合わない……」  甘すぎて、舌が少し痺れるくらい。 「……ン」  その甘さを確かめるように、指の次は、舌を差し込まれて、撫でられて、絡め取られて。 「ン、っ、ん」 「あっま……」 「おま……っ」  料理止まってるぞって叱りたいのに、この頑固で融通が効かなくて、上司に倉庫に行けと言われると不服顔をする生意気な部下は、深くて濃厚なキスで俺の口を塞いでから。 「治史さんの唇が美味い」 「ば、か……っ」 「すげぇ、美味い」  まぁ、社会人同士こんなものだろうと思う。 「先にこっち食いたい」 「っ、おい、肉」  毎週毎週デートはしてられないだろ。そうあっちこっち出かけてたら、掃除もできないし、洗濯物だって消化しきれない。 「一時間のこのままじっくり煮るんで大丈夫っす」 「っ、バカ、レシピ変えるな。四十分だ、ろっ」 「…………それじゃ、時間足りないんで」  生活感。 「っ、ン」  晴れ希望なのだって、洗濯物が乾く乾かないとか、買い出しに雨降りは面倒だからとか、そんな感じの理由だ。 「一時間、っす」  週末、青天の中でのドライブデート。  行き先はスーパーマーケット。 「あ、元彰っ」  今日も、恋愛色かなり薄めのデート、かな。

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