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社員旅行編 6 棘がトゲトゲ

 もしも俺が元彰の立場だったらもちろん品管の監査に同行する。  こっちでは二つの視点から品質確認を行っていることを、向こう、そもそもの元彰がいる工場では一つの視点で行わなくちゃいけない。管理も保証も。だから、品質のための外注監査は経験して学んでおかないといけない。  だから、監査は行くべき、だ。 「あ、大田さん」 「は、はいっ」 「今、平気?」 「はいっ」  派遣の彼は、まるで起立している時のように、背筋をピーンと伸ばした。 「ごめん。この検査結果の数値、赤文字の部分をそのまま入力お願いできるかな」 「はい」 「あとで、確認するから」 「はい」  派遣の人には申し訳ないけれど、個人デスクが与えられていない。普段は社員は研修後に検査員として認定され、その時に個人デスクも割り当てられる。ただ派遣さんは入れ替わりもあるし、勤めて数年だから、個人デスクではなく、その年の新人と一緒に共用のデスクを使うことになっていて。 「あー、そっか」  だから長時間一人でデスクワークっていうのはなかなか難しかったりもする。 「あとちょっとで新人はデスク持ちになるから、申し訳ない。俺のデスクで入力していてくれていいから」 「え、でも」 「平気。俺はまた現場に戻るから、好きにしていていいよ。これの入力の仕方はわかる?」 「あ、はい。何度かやったこと……」  彼はうちの部署にいる数名の派遣社員の中でも一番古かったっけ、と、ふと思った。 「説明しなくても大丈夫?」 「はい」 「じゃあ、頼んだ」 「はい。あ、りがとうございます」 「……それじゃ」  面白い返事の仕方だなと、ちょっとだけ自然と笑って、彼が座りやすいようイスを引いて招いた。  頼んだ側がありがとうと言うのならわかるけど、頼まれた方がありがとうを言うって、人柄がいいんだろう。 「あ、あの」 「?」 「検査、頑張ってください」 「あぁ、ありがとう」 「そ、それとっ」 「?」 「この間は入力、間違えてすみませんでしたっ。社員の村木さんの」 「あぁ、平気。いつも忙しいのに頼みごとすぐやってもらえて助かってるよ」 「!」  今度は俺がお礼を言って、また検査室へと戻ることにした。  そろそろ七月が終わる。七月いっぱいで新人研修は終わって、うちの品質部所属になるものはそのままデスクを割り当てられ、品質部以外に配属が決まればそちらに引越しになる。もちろん、俺や品管の課長なんかはもう誰がどの部署に配属になるのかわかってはいるけれど。  最初はどの新人も必ず品質部でスタートするんだ。  品質を学べば生産も設計にも通じる部分がある、という会社の方針から、品質部を通ってそれぞれの適正能力にあった部署へと配属される。  だから試用期間でもあるこの三ヶ月っていうのは、フリーのデスクがひどく込み合う。デスクがないっていうのはなかなか大変だろう。 「さて」  派遣の彼にはあそこでデスクワークをしてもらうとして、俺は下へ、生産現場へともう一度――。 「あ……っす」 「あぁ、おかえり」  あ。元彰、だ。 「さっき戻りました」 「あぁ」  なんか。 「監査」 「レポート提出、今日中にしておくように」 「っす」  今、俺、気持ち的に棘、ないか? 何に? なんだろう? 何に対しての棘? 「それじゃ」  けれど、ほら、なんか、ひどくチクチクしていると自分でも自分の口調に少し戸惑って。 「あのっ、久喜課長っ」 「あ、いた! 枝島くん」  階段を登ろうとした俺と、階段を降りようとしていた元彰と、その後ろから追いかけるように階段のところから顔を覗かせた女性社員。 「あの、さっきの監査の、資料を一部、欲しいって」 「ぁ……っす」  元彰が、にっこりと笑って、階段を少し弾んだステップで一段降りた。 「あ、久喜課長、お疲れ様です」 「……あぁ」  ほら。 「それじゃあ、失礼しまぁす」  チクチクと小さいけれど確かに触れると指先に違和感があるような、そんな棘。  これは、多分。 「治史さ、」 「ここ、職場」  嫉妬、だ。 「……」  あぁ、ヤダ。 「レポート、今日中にできたら提出しておいてくれ」 「……はい」  別に、棘、いらないのに。 「わかりました……」  あまり目を合わさず、俯きがちにその場を急いで退散した。  年上なのに、いやだろう? こんな些細な棘が顔に出てしまいそうだったんだ。  別に、浮気なんてされないってわかってる。  元彰に愛されてるってわかってる。  でも、それでもあの女性社員が隠すことなく見せた好意が嫌で、棘が出た。  仕事のためにと頑張ってるのは十分わかってるのに、品質の保証課には女性の新人社員がいると知っていたから。  部署は違えど、同じ会社の若手相手に。  課は違うけれど同じ部の、自分にとっても部下である一人に。 「はぁ……」  ここは職場。  職場に恋愛を持ち込まないように。  元彰もさっきの彼女も同じ部下。  会社にとって人材は大事な宝だ。 「……よし」  さすがに頬を両手で叩くような真似はしなかったけれど、気持ちはそのくらいシャキッとさせて、検査に集中するべく頭の中を切り替えたところだった。 「あ、いたいた。久喜くん」 「……部長」 「申し訳ないね。忙しいところ」  部長だった。品質部、部長。いつもにこやかに目を細めて笑う朗らかそうな人、だけれど、その細めた目は意外に観察力が鋭くて、検査の際も、細部までしっかり見ているし、仕事の見通しがずば抜けている。内心、その目は千里眼なんじゃないかって、まだ俺が若手だった頃思ったくらい。部署内の一番奥で一番物静かにしながら、一番、最前列で仕事を見つめてるってイメージ。 「枝島くんなんだけどね」 「はい、何か」 「いや、本人の意思もまだ聞いていないからなんともなんだが」  なんだろう。 「どうかなと思って、手配のこともあるから、先行で事を進めてしまったんだ」  なんだか、気持ちが……。 「枝島くんね……」 「……えぇ」  喉がごくりと音を立てた。これから何を言われるのだろうと。 「社員旅行、行かないかな」 「……………………え?」  その、細められた仏のような目をちょっとだけ開けて、部長が「どうかな?」と微笑んだ。

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