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社員旅行編 9 上司と部下
「はーい! 到着でーす。各自にお配りした予定表どおりになりまーす」
そう言って会社内にあるこういうイベント事を運営している役員が片手をメガホン代わりに口元に置いて、もう片方の手をぶんぶん振っている。案外大人の方が勝手気ままにあっちこっち行きたがるのかもしれない。小学生の遠足よりも自由に動きたがる社会人をまとめるのはとても大変そうだった。しかも大概、こういう役員をやるのは若手で。自由に歩きたがるのが上司だから、諭すわけにもいかないだろうし。
二度、パーキングエリアで休憩を取り、その度に役員の若手にかき集められた社員たちがのんびりがやがや、と歩き始める。バスの中が快適だったから外気の湿気を含んだ夏の暑さをものすごく感じる。降りた途端にじっとりと汗がにじむ直射日光に、配られた予定表をうちわにして風を仰いでいた。
「枝島、荷物少なくねぇ?」
「いや、別に……村木が多い」
「俺、トランプ持ってきた! ひえひえパニックやりたかったけどなぁ。でかいから」
なんだ。ひえひえパニックって。でかいのか?
中堅どころがこの日差しと湿気と暑さにすでにビールを飲みたそうな顔をしている中、まるでその暑さに慣れた小学生みたいな会話だ。
「……へぇ」
謎のひえひえパニックにいっさい興味を持たずに「へぇ」とだけ返事をする元彰もすごいな。
そして、この社員旅行を一番満喫してそうな村木もすごい。
こういう役員をやらせたら大変なことになりそうな村木と、こういう役員をやらせたらどうなるのだろうとちょっと見てみたい気がする元彰の会話を背後で聞いていた。
性格がまるで違う二人は同期で入った若手かのように案外相性が良いらしく、よく一緒にいる。
「はーい! それでは荷物は宿の方に預けちゃいまーす! 宴会は十八時からですので、それまでは自由行動でーす!」
自由行動か。
「温泉街で使える商品券は事前にお渡ししてありますから、それ使ってくださーい!」
さすがに、ここで二人行動は難しいよな。
上司と部下で二人で温泉街散策なんて。スタンプラリーだってやる人いるだろうし。
部屋ももちろん別々。元彰は村木を含めたほぼ同年代で四人部屋。俺も同期だった別の部署配属の奴らと四人部屋。
まぁ、それはわかってたことだし。
百人単位の団体旅行なんだ一人部屋な訳がないし。
九月なら連休多いからどこか一泊とかで温泉にでも。
あ、でも、もう今更かな。今予約可能な宿じゃ、微妙だったりするか。元彰と初旅行ならちゃんとした――。
「荷物、持ちますよ」
「!」
「久喜課長」
ちゃんとした。
「あ……」
元彰、いつの間に。
「枝島、ぁ、あり、がと」
「っす」
そう言って、元彰が俺のボストンバックを軽々と持ち上げた。
「あ、いや、自分で持つから」
「平気っす」
「あー! 枝島が久喜課長に媚び売ってる」
「まぁな」
「じゃ、俺も持ちます! 久喜課長」
「いや、大丈夫だ。村木も枝島も」
「あ、久喜課長」
「?」
「一緒にスタンプラリーどすか?」
「え?」
「荷物置いたら」
夏の湿気混じりの風に大体の人は辟易とした顔をする。なのに。
「久喜課長」
元彰だけはその風に髪を揺らしながら、みんなが避けたがる強い日差しさえキラキラに輝かせて笑った。
「あ、あぁ」
なんだよ。もう。ドキドキする。
「っす」
青空すら眩しくて、俺は思わず、目を伏せてしまった。
「スタンプラリー、知ってたのか?」
「っす」
「村木は?」
「部屋、エアコン効いてて気持ちいいからしばらく休むって」
元彰が半歩後ろを歩いていた俺へ視線を向けた。
「これ被っててください」
「え? わっ」
「日差し強いんで」
「いや、これはお前の」
「俺は平気っす。治史さん色白だから、なんか焦げるのもったいねぇ」
「なっ」
何、言ってるんだよ、って言いたかったのに。
「あ、あっちっすね。スタンプ」
なんだよ。すごくドキドキして、言えなかったじゃないか。
「……あと」
「?」
「今日の治史さん、すげぇ、可愛いから、それ被ってて欲しいんす」
「!」
何、言ってるんだよ。
「そんなわけ、あるか」
キュッと口を結んで、思わず俯いてしまった。
「スタンプラリーを同じ部署の上司とするくらい別にあるだろうけどって思うけど」
「?」
「手繋げないの、しんどいっすね」
まぁ、するかもな。村木とか、「一緒に巡りましょうよー」とか無邪気に言いそうだし。男同士っていうのもあるかもしれない。これがその上司部下だとしても、男女であれば、少し「おや?」と思われる可能性がある気がする。だから、そう不自然には見えないかもしれないけど。
「それに」
「?」
「今日は治史さんの方が無口っす」
「!」
「それがなんか、すげぇ、めちゃくちゃ可愛いっす」
自分の気持ちがどこかしらの仕草や表情に出てそうで。
たかが社員旅行なのに元彰といけるからとても楽しみにしていたこと。今日の元彰がなんかのぼせてしまいそうなくらい良い男すぎて戸惑っていること。恋人との初旅行に少し、いや、けっこうはしゃいでいること。
恋が、さ。
「何、言ってんだ……」
仕草や表情に出てしまいそうで、勝手に口数が減っただけなんだ。
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