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社員旅行編 10 恋人の気持ち
真夏の温泉なんてもっと空いてるかと思ってた。
店がぎゅうぎゅうと押し込められたように並んでいて、あっちこっちに行列ができていた。レトロな、昔からあるんだろう店もあれば、新しい今風の洒落はカフェがその隣にあったり。アンバランスさが面白い歩道を歩いていると、多分同じようにスタンプラリーをやっているんだろう人達とすれ違ったりした。
ほら、また同じパンフレットとにらめっこをしながら歩くカップルが。
手を繋いで、二人で広げると大きな一枚の地図になるのを眺めている。
「あ、こっちっすね」
「あ、あぁ」
俺たちは、手はさすがに繋げたりは……。
「おや、久喜くんもスタンプラリーかな?」
「あ! 部長もですか?」
品質部、部長が暑そうにどこかで貰ったんだろう団扇を仰ぎながら、そもそも細い目をもっと細めて、にこりと笑った。
「お疲れ様です」
「っす」
「いやいや本当に疲れた。昔は夏の社員旅行なんて苦ではなかったけど、ダメだね。デスクでばかり仕事してるのもあって、暑さにてんで勝てないよ」
その点現場で頑張っていると違うね、なんて言って忙しそうに団扇を仰いでる。
「これ、さっき生産部の、若い子たちから団扇貰ったんだよ。いる?」
「あ、いえ。ありがとうございます」
「暑いから熱中症気を付けて」
にこりと穏やかに微笑む部長にお礼を言った。部長はまた暑い暑いとぼやきながら、団扇を片手に俺たちが来たほうへとのんびり歩いていく。
「なんか……本社の部長、つか、えらい人って、頭良さそうっすよね」
「そりゃ、まぁ」
いいだろうな。学歴マウント取らない人だけど相当な経歴だって聞いたことならある。
「あの、品管の人も」
「あぁ、あの人は」
「頭良いんすか?」
「たしかな。話してると切れ者って思うことがよくあるよ」
なんと説明したらいいのだろう。そんなことまで先読みするんだ、と驚くことがよくある。この作業はこれで合っているのか? これで整合性は取れているのか? これで品質の管理が確保されているのか? と常に考えているのがよくわかる。
「この前の監査の時も色々勉強になっただろ?」
「っす」
「向こうの方が優秀だからあっち行きたいなんて言い出されそうだ」
「ないっすよ。そんなん、絶対」
「!」
冗談で言っただけ。
けれどとても真っ直ぐに俺だけを見つめながら、元彰がはっきりと告げてくれるから、胸の奥がキュンとした。好かれていると実感して、小さく嬉しそうに気持ちが跳ねた。
「な、なら、よかった」
「手」
「え?」
「社員旅行でもなんでも治史さんとこうして一緒に過ごせるの最高って思いましたけど、手」
今日はいつもよりもたくさん話してる気がする。元々、おしゃべりなタイプでは全くない元彰がこの旅行の間、村木とも楽しそうに話しをしていた。もちろん、村木の半分も喋ってないけれど。
楽しそうだなって思った。
すごく楽しそうだなって。
元彰もはしゃいでくれてる? のか?
「手、繋げないの、しんどいっすね」
ただの社員旅行だけど。
「すげぇ、今、治史さんに触りたいのに」
「……ぁ」
ただの。
「治史さん……」
社員旅行でも。
「……ぁ」
また誰かとすれ違うだろうか。大所帯での社員旅行だ。どこに誰がいるかなんてちっともわからない。手なんて、繋げるわけがない。けれど、少しくらいなら、今、元彰に触れられないだろうかと、ぎゅっと固結びをしておいた「恋人」の気持ちが、ジタバタ暴れて、その結び目にほんの少し緩み――。
「あれぇ? 枝島さんだぁ」
緩みそうだった。
「こんにちはっ、スタンプラリーやってるんですか? 私も同期とやってて」
彼女は、品管の、若手だ。元彰を見て肩をキュッとすくめながらにっこりと弾けるほどの笑顔を向けている。手にとるように「好意」が感じ取れる笑顔。別にあり得ることだと思う。特に、元彰は普段喋らないから近寄りがたい印象はあるかもしれないが、近くで過ごしていたら、その近寄りがたさは全くないと気がつくだろう。実際、村木なんかはしょっちゅう元彰と一緒に行動しているし。品証課でも全く浮いていない。
彼女は元彰を見て、それからその上司である俺を見て、にっこりと、親しみやすい笑顔を向けた。
「お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ様」
上司に向ける「好意的で社交的な笑顔」だ。
「今どこまで集められました? 私たちは」
広げられたスタンプの台詞には、ルートが全く俺たちと違っていたらしく、俺たちの訪れていないところばかりスタンプが押されていた。逆ルート、と言った感じで、ちょうどここで鉢合わせしたんだろう。
よかった。
一緒に回ろうなんてことにはならなそうだ。
「あー、残念。逆ルートっぽい」
「っす」
だから、ほら、あっちから進めればよかったんだよ、って女性らしい高くはしゃいだ声がお喋りをしている。
なんか。
ダメだな。
棘がまた出てきそうだ。
「それじゃあ、俺と久喜課長はそろそろ行くんで」
「はーい。スタンプラリー頑張ってくださいね」
「っす、あざす」
彼女の角砂糖のように甘い笑顔に、ぺこりと頭を下げて元彰からその場を離れた。
「あっちっすね」
「あ、あぁ」
「スタンプ」
「あぁ」
元彰は気がついてるのか? 彼女の好意に。
「……あの」
「?」
「あんまじっと見ないでください」
「ぇ」
「手すら繋げなくて、すげぇ、あれなんで」
「!」
気がついていても、ついてなくても。
「なんだよ、あれって」
「笑わないでください。帰ったら襲いますよ」
「ふふ」
「っ、マジっすから」
「あぁ」
どちらでもいいかって、やや解けかけた「恋人」の気持ちに、今度は可憐な蝶々結びを施して、口をへの字にした恋人の半歩手前を歩いた。
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