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2回目のバレンタインSS 5 特売卵は誰の手に
「へっくしゅ」
お昼のデスクは閑散としていた。自分のちょっと抜けたくしゃみの音が響き渡ってしまう。
「ありゃ、佐伯さん、風邪ですか?」
「んー、どうだろ。ごめん。お昼食べたらすぐマスクつけるね」
隣の藤崎さんは一番被害を被りやすいから、俺は慌ててお昼ご飯を口に運んだ。でも、少しのんびりとしている彼女は、「大丈夫ですよぅ」なんてにっこり笑っている。
風邪、かなぁ。昨日、さ。
――っ、貴方の中、すごい。
髪、濡れたまんまだったから、かな。
「やっぱり、風邪じゃないですか? 顔、赤いですよ?」
「! こ、これはっ」
あはははって笑って、引き出しにいくつかストックしていたマスクを取り出した。顔、赤くても、これで隠れるよね。熱はないと思う。うん。くしゃみが出ただけで、喉も、別に、咳も出てないし、熱が出ちゃった時みたいな気だるさも、身体が軋んだような痛みもない。顔が赤いのは……。
――ここ、好き?
赤いのは。
「佐伯さん、真っ赤ですよ?」
「! あ、えっと、大丈夫だいじょうぶ、うん。大丈夫」
「えーでも、病院」
「平気平気! そだ! 今日はスーパーで卵が夕方市で安くなるって言ってたよ」
「え! マジですか!」
「すんませーん」
まるで助け舟だった。藤崎さんがネットでチラシをチェックしようとして、そこで、事務所の出入り口にあるカウンターのところ、そこにいつもの配送業者さんが来ていて、こちらに顔を向けている。
前のめりで返事をして、そのまま急いで業者さんの元へと駆け寄った。
「あ、ごめんなさい。ハンコですよね」
「……」
動揺しすぎでしょ。もう、何をしてるんだ。
「すみません。はい……えっと」
「ここに、ハンコを」
「あ、はーい。……ごくろうさまです」
「……っす」
大概配送業者さんは同じルートを回るんだろう。ここの業者さんは毎回お昼頃にここへやって来てた。そして、毎回、語尾しか聞こえない、ごにょごにょっとした挨拶をして立ち去っていく。
お辞儀をして見送ってから、届いた荷物の宛名を確認した。どこの部署がそれを購入したのかを見て、そこに届けるか、女性だったら、電話で取りに来てもらうんだけど。別に俺は持てるから。
「えっと、それじゃあ、営業に行ってきます」
「え? 大丈夫です? それけっこう重そう」
「平気だよー」
そういって、内線で営業の誰かを呼ぼうとする藤崎さんに電話を断り、自分の古巣、営業が頼んだ荷物を運ぶ口実で、赤面の僕はその場を回避した。
夕方のさ、ちょうど退社ラッシュ時間帯の卵セールって、お仕事もしている主婦、主夫にとってはすごくありがたいタイミングだけど、ある意味、熾烈な争いにもなったりする。最近、卵の減り速いんだよね。俺も成長期ってあんなに食べたっけ? どうだっただろう。伊都はまだ小学二年生であれだけ食べるんだから、中学とかになったら、それこそ、ホントに、特売の卵くらい獲得できる技を身につけないと、だよね。
「あ~あ、ダメだったか」
残念。卵ゲットならず、だった。
五時半からって書いてあって、五時四十五分じゃ、間に合うわけないか。きっと一瞬で売り切れちゃうんだよね。
「あの、卵……」
ぼそっと聞こえた声は、ワーキングママたちの慌しい買い物の中だと、やたらと低く聞こえた。
「……え?」
振り返ると、男性がいた。黒い髪を短く刈り上げた、歳は多分、同じくらい、だと思う。ダウンにジーンズのカジュアルな服装をした男性が立っていて、一ダースの卵が入ったパックをずいっと差し出していた。
「あの……」
「! あ、えと、すみません! 俺、配送業者の、グリーン運送の」
「……ぁ、あぁ!」
そこでわかった。グリーン運送、って、言われて。
「お昼の!」
いつもお昼の時間帯にやってくる運送屋さん。男性で、「……っす」としか聞こえない挨拶をする人。
「ごめんなさい! その、制服じゃないからわからなくて」
「……いえ」
言われてみてようやく気がついた。グリーンの帽子にグリーンの制服、だと思う。実はあまり意識して見たことがなかったけれど、たしかに言われて、その制服と彼の少し俯いた角度の表情を重ねると、なんとなくわかった。
「いつも、お昼頃にすんません」
「あはは、いえいえ、かまいませんよ。いつもお弁当持参組なので」
「……」
「助かります。あの時間帯で」
「……」
すごい偶然だ。まさか運送屋さんもこの辺で買い物をするなんて。ご近所なのかな。運送業の就業時間なんてわからないけれど、こんなことってあるんだ。
「あの、じゃあ、これで」
向こうも買い物の途中だったんだろう。俺も早く買い物を済ませないといけないし。
「あ、いや! この卵、どうぞっ」
「え?」
「卵、買いに来たんですよね?」
「……えっと」
言われてみたら、たしかに、彼は卵のパックを一つ持っている。カゴはなくて、ただ卵のパックだけを一つ、手に持っていた。そしてそれをこっちへ差し出してくれている。
「あ、あの……」
「卵、もう売り切れなんで」
「え、ぁはい、なので」
「だからっ! どうぞ!」
「えっと……」
「話してたんで! 今日、配達言ったら! 貴方が卵のセールに来るって、でも、もう売り切れてるから、これ! どうぞ!」
「……」
でも、だって。
「どうぞっ」
「あ、あの」
彼は卵しか、持ってない、けど。それなら、その卵を買いにここに来たんだから。それを人にあげちゃったら、買い物に。
「どうぞ!」
そんな、どうぞって言われても。
「あ、あの」
それに、そんなふうに持ったら、卵が割れちゃうから。
「卵っ、ど、」
「おかまいなく」
断ろうとしたところだった。押し付けられるように、胸のところをずいっとその卵で押されそうになって、後ろへ一歩下がりかけた時だった。
ぐらりと自分が揺れて、一歩どころか、倒れそうなくらい後ろに引っ張られたと同時、今度は横にも引っ張られて、目を丸くする暇もなく、ぶつかってしまった。
「卵なら間に合っていますので」
大きいというか、しっかりとした力強い背中に、鼻先がぶつかってしまった。
「失礼します」
「ちょっ」
びっくりした。
「……」
もう、何かと思った。
でも、手を掴んで引っ張ってくれる手でさえ、君はカッコいいんだなぁ、なんてことは思っていた。
「睦月……」
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