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2回目のバレンタインSS 7 二人なの
「ケホ」
ひとりだと、咳の音すら遠慮がちになってしまう。
――佐伯さん、今さっき、配達屋さんが持ってきた荷物なんですけど。
終業間際にかかってきた電話に出た藤崎さんが険しい表情でそう俺に尋ねた。その電話のちょっと前、いつもはお昼に来る配達業者さんの届けた荷物。その荷物がうちの会社への物じゃなくて、スイッチしちゃってたんだって。つまりは配達ミスがあったから、取りに伺いたいっていう電話だった。
「……まだかな」
そうひとりぼっちの事務所で呟いた。
あの電話、けっこう荷物届けた後、すぐに電話だったよね? でも、もう三十分近く待ってるんだけど。
――え、でも、そんな荷物間違えたのは向こうだし。
藤崎さんの怪訝な顔を思い出す。そうなんだけどさ。でも、中身確認せずに受け取ったの俺だし。
「ケホ……」
なんか、あの業者さん慌ててたし。この、うちに間違えて届いちゃった荷物、大至急の特急便扱いで届けないといけない荷物だって言われたら、さ。もう事務所は全員帰るので、明日にしてください、なんてこといえないでしょ。
「はぁ……ケホ、ケホ」
熱、ある、かな。ダルいや。夕方になると熱って上がりやすいし。
呼吸する度にどうしても出てしまう咳にしかめっ面をして、腕時計を見る。もうすでに定時の時間から三十分もすぎていた。学童のほうには連絡してあるから、大丈夫だけど、七時が最長だよね? さすがに、七時をすぎてしまいそうだったら、配送屋さんのほうに連絡をしよう。グリーン運送、だったよね? あの卵をくれようとした彼は運転中かもしれない。電話に出なかったら、会社へ連絡したほうが手っ取り早そうだ。俺も確認しなかったので申し訳ない、でも、あまり待てないからって。
他の人は皆もう帰ってしまった。
現場の作業スタッフならまだ数人残業しているだろけれど、あとは、営業もまだ残ってるな。でも事務所は基本定時が当たり前だから。
「……ケホ」
うーん、どうしようか。あと、睦月にも連絡をして、ご飯、今日はお弁当にしてしまおう。ちょっと……。
「すみませんっ」
しんどくなって。
「あの……」
電話をしようと立ち上がったところだった。事務所の出入り口の少し重たいガラス扉が開いて、あの運送屋さんがやってきた。
「あ、よかった。グリーン運送さんの」
「……すみません」
「いえいえ、荷物、こっちに置いておきました。これ、ケホ、なんですけど、ケホ」
荷物が別のと混ざってしまって、どこかの部署が持って行かれてしまったら大変だから、違う場所に置いておいた。倉庫の脇に。
「……すみません」
「は、」
呼ばれて振り返って、そして、すぐ真後ろに彼がいて、言葉が詰まった。
「昨日、スーパーに来たあの男は、君の、何?」
「……ぇ」
「あの、隣の、机の女が恋人っぽいと思ってたけど、違うの?」
「……」
「もしかして、君、男と?」
「っ」
手を伸ばして来た彼に慌てて後ずさりした。
「ねぇ、君、さ」
触られたくないと思った。
「男、と、してる? んだろう?」
だって、ハンカチ、なくしたのに。
「俺、ずっと……」
むせて、口元を押さえたハンカチ。ちょうどそこにこの人が、運送屋さんが来て、俺はハンカチを握ったままカウンターのところに行ったんだ。でもハンコを持ってなくて、ハンコを探して、藤崎さんが取ってくれて、伝票に押した。
そしていつの間にか、手に持っていたはずのハンカチは……なくなってしまった。
「ずっと、君のこと、いいなぁって」
ゆらりと揺れた運送屋の人がまた、手を伸ばして来て、身が竦む。とても、気持ち悪いと思って、その手に掴まるのだけは、どうしても、絶対に、イヤだった。
「い、いいなぁって、思ってたんだよ……」
後ろに下がる俺を見て、彼は、にやりと笑って、俺の、数日前になくしたハンカチで、その歪んだ口元を拭った。
絶対にイヤに決ってるだろう? スケベ笑いを浮かべたストーカー男なんかにどうこうされるのなんて、絶対に死んでも、いや、死ぬのは絶対にイヤだけれど、もう何がなんでも死守するだろう? 指先、爪の先一ミリだって触られたくない。掠るのだって、イヤだ。
「千佳志っ!」
バタバタとものすごい音。どーん、なんて、ドラマチックなほど壊れそうな勢いで開いた扉。
「千佳……志……」
すごい。ヒーローみたいな登場だ。
「千佳……」
だって、イヤだよ。
「……千」
「気絶、してるだけ。ここ、コピー用紙のストック置き場なんだ。紙って束になるとすごく重いんだよ。襲い掛かられそうになったから」
俺もね、どーん、ってしたんだ。ドラマチックなほど勢いよく、紙がぎっしり詰まった、A三の箱で頭のとこ。
そしたら、のびちゃった。息してるし、流血もないけど、気は失ってしまった。
「警察呼んだ」
「……」
「あと、間違えた荷物っていうのもウソだった。運送業社に電話して確認した」
「……」
「だから、言ったじゃん。案外力持ちなんだよ?」
見てわかるように、ガッツポーズをして見せた。男だしね。それに、俺、お父さんだよ?
伊都を抱っこしてきたんだ。二歳からずっと。ゆっくりどんどん大きくなる伊都を抱っこしてきた。ひとりで。けっこう重いんだよ? 軽くウエイトトレーニングくらいにはなるよ。
何十キロってランニングできて、水の中を魚のように泳げて、体操の選手みたいにくるくると側転だってバック転だってできてしまう睦月が息を切らしてた。真っ赤になった頬を、ツーって汗が伝い落ちていく。すごく急いでくれたんだろう。
たくさん自転車を走らせて、俺を助けに来てくれたんだろうなぁって。
「案外、力持ちだけど……」
「千佳志?」
そう、力持ちだよ。
「けど……」
でもね。今は、ちょっと力持ち、じゃなくても良くなったんだ。一人で伊都を抱っこしなくてよくなったから。
「あのね、睦月」
君が一緒に伊都を抱っこしてくれるから。
フラフラするんだ。
「千佳っ、熱」
「んー……なんか、ちょっと、しんどい、かも」
やっぱり、風邪、引いちゃったみたい。頭がぼーっとする。暴れて熱が上がったかな。だって、同性に襲われそうになったんだよ? ショックで熱くらい出るよね。でも、大丈夫。
「……睦月」
俺にはヒーローがいるから。
「ごめ……気持ち、悪い」
君が俺を助けに絶対に来てくれるから。だから、目を閉じて、安心しながら睦月の胸に寄りかかった。
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