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家族になる日 編 1 怒涛の日々、だった。

 毎日が、本当に大急ぎで回っていく。このお天気予報が始まる前までに洗濯物を干して、この朝のニュースが終わる前までに鍵を握りしめて戸締り確認をしないと。  仕事して。  夏はまだ日が落ち切る前に、冬はすでに日が落ちきって夜空が広がる頃に、急いで、大急ぎで伊都を迎えに行って、帰ったら、保育園だったら翌日の準備、学校だったらお便りに目を通して、宿題のまる付けして、音読聞いてあげながら洗濯物を畳んで。  毎日、毎日、ぐるぐるぐるぐる。  いつまでこの目まぐるしい日々が続くのだろう、なんてことすら思う時間のない。そんな一日がずっと、ずっと――。 「――そうして、馬は青空に向けて、幾度も幾度も後ろ足を蹴り上げるのです」  ずっと。 「睦月、今日の音読、読むのここまでだった?」 「うん。ここまでだね」 「終わったー!」  ずっと、続くんだろうなんてことも考えられないほど、怒涛の毎日だったんだ。 「おとおおおおさあああああん! 終わったよ! 音読」  伊都は宿題の音読カードに睦月が押してくれたハンコを見せに、それを両手でかざしながら、ぴょんっとキッチンへやってきた。  よくできたでしょう! と書かれた文字の横から、ひょっこり羊が顔を出しているスタンプ。この前、伊都が睦月と出かけた文房具屋さんで買ってきたものだ。音読カードに親がサインをするところ。サインでもハンコでもなんでもいいのだけれど、そこに睦月が押してくれるスタンプを買いに出かけたんだ。俺はいつも忙しくて、絵の才能もないし、ハンコを引き出しから持ってくるのもたまに面倒だから、伊都の筆箱から鉛筆を拝借してのサインだったりしたけれど。睦月だと筆跡が違ってしまうから。 「うん。上手に元気に読めてたよ」 「えへへ、睦月、どうだった?」 「すごく上手だった」  睦月にも褒められてご満悦の顔をしてる。まだふっくらした輪郭の残る頬をぷくっと膨らませて、にっこりと笑うと、その音読カードを連絡袋にしまい、宿題は全て完了したとラグの上に寝そべり、一丁前に片手でテレビのリモコンを使ってる。なんだかぐーたらな日曜のお父さんだ。俺は、そういうのしないけど。忙しいもの。家事して育児して、のんびりしてる暇なんてない。だから俺じゃなくて、ほら、よくテレビに出てくるさ、日曜のさ。 「あ、そうだ、引越しの日なんですけど」 「ぅ、うん」  そう、ずっとそんな目まぐるしい日々が続くのだと思ってた。ずっとずっと、一人で。 「来週の週末がいいかなぁって」 「ぇ、でも週末はレッスンが」 「うん。でも来週末は五週目だからレッスンないでしょ?」 「あ、そっか」 「ね?」  スイミングのレッスンはひと月四週まで。たまに出現する、五回目の週末はレッスンは休みで、その日は個人特別レッスン日としていたりする。希望する生徒に三十分ずつマンツーマンレッスンを行う。 「なので、その日は休み取りました。平日に鍵をもらって、千佳志さんがかまわなければ、引っ越し一人でやってもよかったんだけど。家具持ち込まないから荷物なんてたかが知れてるし」 「え、そんなのやだよ。せっかく一緒に住むのに……って、俺が平日仕事休めないから、だよね」 「いえ、俺もできたら一緒にやってほしいし」  言いながら、俺の頬を手の甲でそっと撫でてくれる。伊都はテレビに夢中だ。頬に触れる少し骨っぽい手の甲の感じが、戯れながらキスをする時に触れる鼻先のようで、くすぐったくて、ドキドキして、気持ちいい。 「あんまり」 「!」 「可愛い顔しないでください」  うっとりしかけたところで鼻をつままれた。そして、君の頬が少し赤かった。 「そんなわけで、来週の週末から、宜しくお願いします」 「! こ、こちらこそ。あ、あの、伊都にはまだ少し内緒で。その、来週末だと少し遠いから、早く早くって毎日言いそうだから」  怒涛の日々が少し変わる、んだ。 「わかりました。俺も夕飯作るの手伝います。何しますか?」 「あ、うん、えっと、お魚焼こうと思ってて」 「オッケー。冷蔵庫に入ってるのがそうです?」 「う、うん」  一緒に暮らそう、みたいな。プロポーズ、みたいな、のは前にしてもらったんだ。現役復帰となる大会の前に。でも、すぐにはしなかった。大会に集中して欲しかったから。アスリートだから、生活リズムって大事かなって。その生活が確実に変わってしまうだろう引っ越しは大会が終わってからにしようと二人で話したんだ。  その大会も終わった。 「この冷蔵庫に入ってる葱は?」 「あ、それはお味噌汁に」 「じゃあ、俺、味噌汁作ります」 「ありがと」  君と一緒に暮らすんだ。  新居は探さなかった。伊都の部屋はすでにあるんだ。あるんだけれど、まだ一緒に寝てるだけ。リビングで過ごして、そのまま俺のベッドのある寝室へ。だから子ども部屋はほとんど使うことはないけれど。まだ伊都が小さいし、そう手狭でもないから大丈夫って、寝る場所だって一つで事足りる。  寝る場所……今度、これからは、睦月と一緒に。 「睦月ー! このアニメ一緒に見ようよ」 「んー、じゃあ、後で三人で見よう、食事の後、ほら、伊都もご飯の手伝いして」 「はーい」  伊都は握りしめていたリモコンをテーブルに置くとキッチンにまたやってきて、今度は睦月の隣で指示を受けてる。 「じゃあ、僕、テーブル拭く!」  ギュッと絞ったタオルを持って、パタパタと駆け足でリビングへと向かった。そして。 「あ! お父さん! 今日のご飯なぁに?」  元気にそう振り返った。  野菜炒めだよ。  そう答えると、伊都と、そして睦月が、とても、とっても嬉しそうに顔を綻ばせた。

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