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家族になる日 編 5 胸にあるのは
本当のことを言えば、不安の方が多いよ。
相手はまだ若い独身の男性で、自分は子どもがいるお父さん。そして俺も男性。彼は急に、ある日突然、子持ちになってしまうんだ。ともに父親をして欲しいなんて思っていないけれど、それでも独身の男性と同棲するのとは訳が違うだろう?
夜遅くまで二人で出かけることもできない。
抱き合うのだって、気をつけないといけない。
食事だって辛いものはほとんど食べないし、カレーだって甘口だ。カレーの味なんて些細なことだって笑うかもしれないけれど、小さくても、それは確かに不満となって降り積もってさ、いつか大きな山になってしまうかもしれないんだ。
一緒に暮らすって、そういう面も含めているだろう?
大丈夫なのだろうか。一緒に暮らすことでこの今、たくさん、溢れてしまうくらいに胸に降り積もっている彼への愛しさが、その不満の山に変わってしまわないだろうか。
それに、俺も君も、そもそも同性愛者じゃないのだから。
彼が交際していた今までの人は全て女性だった。俺もそう。
だから、もしかしたら、これは一時の熱かもしれない。性別さえ気にしなくなってしまうほどの恋なら、きっと目が眩んでしまう。生活じみた問題なんて見えなくなってしまうのかもしれない。本当は足元にずっとあるのに。
それに、伊都にとっては――。
そう何度も何度も、胸の中でずっと繰り返す。反復してる。
「ねぇ……伊都」
「はーい」
風呂の中、伊都のあどけない声が響いた。
まだまだ子どもの伊都だって、大きくなれば、自分の親が同性と暮らしていることの違和感を、不満を、もしかしたら嫌悪を、胸に降り積もらせてしまうかもしれない。
「来週末ね……」
まだ伊都には伝えてなかったんだ。
睦月には、まだ来週末じゃ先すぎて、今からソワソワさせるだろうからと言った。それは本当のこと。きっと自分がヒーローのように慕う睦月と一緒に暮らせるとわかったら、嬉しくて待ちきれなくなるだろう。本当に慕っているから。
けれど、それと、少しだけ混ざる別の理由。
困惑とか嫌悪とか、そういうのを持ってしまうことは本当に、本当に、ほんの欠片ほどならあるのではないだろうかって。
「その、睦月がうちに越してくるんだ」
一緒に住んでしまえば、今までとは違う。いいところの方がたくさん見えるお付き合いだけではなくなる。家族として暮らすことになる。共同で。
何度も、何度も胸の中で繰り返して確かめてきた。
「…………ぇ」
「一緒に暮ら、」
「やったああああああああ!」
「!」
一緒に暮らすんだよ? そう問う声が大きな、大きな声に掻き消された。
びっくりするほど、耳をつんざくほどの大きな声。
「いつっ?」
「え、と、来週末」
「うん! だから、来週の末っていつ? 土曜日と日曜日」
「あ、多分、土曜、かな。レッスンがない、から」
「うん!」
嬉しそうにしていた。
「あ、あのね、伊都、わかってる? その、お父さんと二人で暮らすんじゃなくなるんだよ? その、前にも訊いたけどね」
「うん! 僕、すごく嬉しいよ!」
そりゃ君にとってのヒーローだから。けれど、それは子どもで幼いから、まだわかってないんだよ。一緒に暮らすっていうのは。
「一緒に三人で暮らすんでしょ?」
「……」
「嬉しい。だって、僕、睦月と家族になれるんだもん。毎日一緒にご飯食べて、バイバイってしなくていいんだもん」
「……」
それはとてもシンプルな答え。
「楽しみだよ! 土曜日」
家族になれるのを喜ぶっていう、とてもシンプルだけれど、とても大切なこと。
伊都に大きな声で叱ったことだってある。本気で怒ったこともある。大泣きさせても、それでも怒ったことがある。親として、家族として。その時の気持ちがすごく重くて、苦しくて、沈んでしまうけれど。家族だから、毎日が楽しいばかりではないけれど。それでも家族だから。
「えへへ。お父さんも楽しみ? 睦月と家族になるんだよ」
それでも家族だから、伊都のことはとてもとても大好きで大事なんだ。どんなに叱って、怒って、気持ちが沈んだとしても、家族だから、翌日には「おはよう」と挨拶をして、ともにすごしていく。
「楽しみだよ。すごく」
どんな時だって共に。
「もしもし? 睦月、ごめんね。寝てた?」
『いいえ。起きてましたよ』
「そっか……」
声が聞きたくなってしまったんだって言ったら、君はどう思うだろうか。一人でゆっくりしていたのにと肩を落とすだろうか。さっきまで一緒にいたのにまだ声が聞きたいだなんて、何かあったのだろうか。どうしたのだろうと、心配させてしまうかも。そんな不安がずっと足元をうろついている。
『声聞きたいなって思ってました』
「……ぇ」
『一緒に暮らすようになったら、貴方の声が聞き放題だなぁって』
「っぷ、なにそれ、俺の声なんて」
『好きですから』
きっとそんな不安はまとわりついたまま、なのかもしれない。ある日突然吹っ切れるものでもないと思うんだ。だって、先のことなんて考えを巡らせるだけで確かなものではないから。けれど。
「うん、俺もね、好きだよ」
けれど、その不安が足元にまとわりついたままでも、君のところへ歩いていける。
「すごく、好きなんだ」
君のこの気持ちが胸にあるから。
「あ、あのね、今日、伊都に話したんだ」
君と家族になれたらどんなに楽しくて、嬉しいことなんだろうと、そう思う気持ちがここに、あるから。
「そしたらね。伊都が大喜びしちゃって、裸で踊るものだから……あはは、そうお風呂で言ったんだ……裸の付き合いって、なんかおじさんみたいだよ……え、伊都って睦月とお風呂一緒に入る時そんなことしてるの? ……っぷ、見たことないよ……うん……うん」
君と家族になれる日が待ち遠しくてたまらない気持ちが胸に――。
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