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家族になる日 編 6 今日から

 来ちゃった。 「…………」  ついにこの日が。  不安と期待と、それから、そうだな、感動とか、なんだか色々なものを胸に抱えながら、あと九日、あと八日、あと……って、数えて待ち望んでいた日。  睦月がうちに越してくる日が――。 「おとおおおおさあああああん!」 「!」  朝、ベッドの上で明日のこの時間にはもう隣に彼がいるんだろうと噛み締めていると、寝室の扉が思い切り開いて、それとほとんど同時に伊都が飛び込んできた。普段はそんなことしない。やんちゃなことはほとんどしなくて、元気だし風邪も引かないのだけれど、こんなふうにはしゃいでいる感じの伊都はものすごく珍しい。  伊都は数日前から一人で眠っている。睦月も俺も三人で川の字で眠ればいいと思っていたのに、当人が、「え? 僕、自分の部屋で寝るよ?」なんて当たり前みたいに言った。相手は憧れのヒーローだから、なのかもしれない。僕だって一人で眠れるし? もう二年生だし? 全然へっちゃらですけど? みたいな顔をしていて、それが愛らしくてさ。けれど、でもそれは睦月が越してくる日からかと思ってたのに、その数日前から一人で眠るようになった。最初少しくらい寂しがるかなって思ったんだけど。  ――お父さん、お休みなさーい。  案外すんなり寝ちゃって、それはそれで寂しいというか、なんというか。初日くらいは寝つきが悪かったり落ち着かなかったりするかなって、夜、呼ばれるかもしれないと思ってたのに。伊都は朝まで熟睡スッキリいい目覚めですって顔をしていた。そして少し寝不足になった子離れできない親そのものな自分に少し苦笑いというか。 「今日から! 睦月がうちに来るんだよ!」  でも、頼もしいなと感動もしたりして。 「……うん、そうだね」  大興奮の顔をしていた。そうだな、これは初めて、クロールで二十五メートル泳いだ時の顔に似てる。図工の時間に作った、すごくすごく苦労してやり遂げた作品を俺に見せてくれた時の顔に似てる。 「今日は! 僕! たくさん頑張らなくちゃ!」  こうしてどんどん男の子になって、少年になって、青年になるんだろうなぁって。 「うん。頑張ろう。まずは朝食と」  この寝癖をぴょんと跳ねさせたまだまだ小さな頭を撫でた。 「寝癖、直しなさい。睦月に笑われるよ」 「え! えええええ!」  明日から朝ご飯も睦月が一緒だね。  そうだね。  睦月も朝コーヒー飲むのかな。  そうかもしれないね。  睦月は占いチェックしてるのかな。  どうだろうね。  睦月も寝癖つく?  さぁ、どうだろう。明日の朝見てみれば?  うんっ!  朝食の間、ずっとこれからのことを伊都がとてもワクワクした顔で話していた。朝食を済ませながら今日の予定を確認している間もずっとニコニコ顔だった。最初、睦月が自転車で来るから、そしたらお父さんと三人で車に乗って睦月のうちに向かって荷物を乗せる。今度はまたこっちに戻ってきて荷物を降ろして、また睦月のうちへ。それの繰り返し。大変だけど頑張ろうと話すとコクコク頷いては、嬉しさで頬を赤くしていた。伊都にとってはヒーローと一緒に暮らすことになるから、すごく楽しみなんだろう。俺は――。 「あ、伊都、睦月が来たよ」  ズボンのポケットに入れておいたスマホが朝イチ、彼の到着を教えてくれた。 「は、はーい! 僕、迎えに行ってくる」 「うん。お願い。お父さんは部屋の掃除してるからって睦月に言って」 「はーい!」  俺は、とても楽しみだよ。  今日のお昼は三人だなぁとか、今夜のご飯はやっぱり野菜炒めかなぁとか。でも、せっかくの日だから手巻き寿司とかがよくない? そっちの方がお祝いっぽいでしょう? とか。お風呂なら使ったこと何度もあるけれど、これからはいつもそうなんだなぁとか。マグカップを三人で揃えたいから買いに行きたいけれど、時間あるかなぁとか。  なんだかそわそわしちゃって、掃除くらいしてないと落ち着かないんだ。  あんなに不安がたくさんあったのに。 「おとおおおさあああああん! 睦月来たよー!」 「おはようございます」 「あ……お、はよ」  今朝になったら不安はずいぶんと小さく萎んで、期待の方が膨らんでしまっていた。 「お父さん! 僕も掃除する! 雑巾持ってくる!」 「あ、うん。じゃあ二枚濡らして絞って来て」 「はーい」  ぴょこんと跳ねて伊都は洗面所へと向かった。 「…………」 「…………」  たくさんあったのに。不安が。それなのに今朝になったら。彼とこれから暮らすんだっていう期待が。 「あ、えっと、掃除してたんだ。その、あの、この部屋はあと雑巾かけたらおしまいだから、ここだけ済ませて荷物を取りに」  膨らんでしまって。そわそわしてしまって。 「一瞬だけ」 「ぇ? ………………」  腕を引かれて、よろけた先で抱き止められ、そのまま口づけをされた。触れるだけのキス。 「これから、どうか宜しくお願いします」 「……」  そのキスで伝わる。  彼もたくさんワクワクしてドキドキしていてくれていることが。 「雑巾持ってきた!」 「あ、うん。ありがと」  抱き止めてくれた胸の鼓動がとても速かった。

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