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第17話 したいしたい、もっともっと

 涼しいはずなのに、ちっとも涼しくないのは、隣にいる彼をすごく意識しているから。のんびり歩いて、途中、話しが盛り上がりすぎて歩くのすら止めてしまうくらい、ゆったりしした散歩なのに、星を眺める余裕もないのは、隣にいる君をちらちら見ることに忙しいせい。  鈴虫の、綺麗で優しい音色よりももっと聞きたいと思う君の声に、全身が浮き足立ってるのは散歩しながら、ずっと手を繋いでいるから。  手を差し出す君に自然と手を重ねた。重なった手は握手するみたいに繋がって、そして、歩き出してもずっと、今もずっとそのまま。  真っ暗だからって、ぼそっと呟いて見せてくれる笑顔に心臓のところがキュッと締め付けられた。 笑ったところを見たい。もっと話がしたい。笑わせたい。笑顔にさせたいんだ。恋は、したいことがどんどん増えていく。 「あの野菜炒め、めちゃくちゃ美味しかったですよ」  宮野さんが「めちゃくちゃ」なんて言葉を使う。それを発見しただけで、嬉しい。 「えー、あれは失敗だったんですってば。いつもはもっと上手ですよ」 「そう言ってましたね」 「緊張してたから」 「そうなんですか? あ、もしかして、俺、警戒とか」  するわけないって言葉で伝えて、首も横に振った。 「宮野さんを」  人をうちに招いたのは久しぶりだったからっていうのもあるかもしれない。伊都以外に自分の手料理を食べさせたのは初めてだったから、何かいつもと按配が変わったっていうのもある。でも、それだけじゃなくて。 「意識、してたから、かな」  きっとそう。好きっていう形まではしてなくても、もう、あの時には。 「宮野さんと話しがしたいって思ったし、それに! 一回、踏みとどまったっていうか」 「?」  コンビニでばったり会った時、一緒に夕飯どうですか? って訊きたかった。でも、いやいやおかしいだろ、って、止めた。止めて、動揺しながら帰ったら、そこに君がいた。 「伊都の勘違いっていうか、早とちりもあるんだけど、でも、宮野さんのこと、あの時にはもう、意識してました」 「……」 「でも、まさか同性のことをそういう意味で意識するなんて思ってもいなくて」 「……」 「だから、かなり戸惑ったんです」  でも、戸惑って、右往左往しながら、それでも宮野さんのことが気になって仕方なかった。 「宮野さん?」  いつもはけっこう彼のほうがたくさん話してくれる。俺はそれを聞くのがとても好きで、いつまでだって聞いていたいって、夕食を一緒にしながら何度も思ったんだ。心地良い低い声がすごく、好きで、落ち着けた。  それなのに、散歩をして、途中からすごく口数が少なくなって、鈴虫の可愛い鳴き声と、自分の話す声ばかりが聞きこえている。 「俺もです」 「みや……」 「俺も、自分で驚きました。あのコンビニで、貴方と会った時、ものすごく嬉しくてたまらなかった」 「……」 「たぶん、一目惚れです」  こんなことってあるのかな。ものすごい偶然がこんなに重なるなんてこと。 「俺も、きっと、そう……だと思う。あの時、怖かったのに」 「水?」 「たくさんの水に竦みあがりそうになった。でも、平気だった」  恐怖はやってこなかったんだ。君のことで胸の中がいっぱいになって、「あれ」が入ってくる隙間がなかった。  ――おぉ、元気だね。宜しく。  伊都に向けてくれた笑顔。 「俺、宮野さんの笑った顔、好きです」 「……」 「俺と話す時に笑ってくれると、すごく嬉しくて。もっと話がしたくなって、その……あの、宮、野さん?」 「佐伯さんって、思ってたけど、たまに天然ですよね」  口元を押さえて、具合が悪いのかと心配してしまった。サラサラな髪をかき上げて、下へ向かって溜め息を吐いている。 「さっき、どうしても貴方の口から、好きな人を言わせたくて訊いたけど。もうひとつ、意地悪、してもいいですか?」  たまらなく愛しいと、内側にいる「恋」が暴れるから、溜め息みたいに深い吐息で落ち着かせようとしてる? 「佐伯さんの好きって、どんな、好き、です?」 「……ぇ?」  こんな場所でふたりっきりで手を繋いで、見つめ合いながら告白する「好き」がただのご近所さん、スイミングのコーチに対しての「好感が持てる」っていう意味なわけがない。こんなに切ない気持ちで見つめてる人のことを「良い人ですね」なんて言うわけないのに。 「ホント、意地悪です」  握手のように、ただ合わさって繋がっていたのに、いつしか、指を絡ませ合って、離れないようにって繋ぐ手は友達同士じゃ絶対にしない触れ合いなのに。 「でも、聞きたい。ダメですか?」  ズルい人だ。ダメですか? なんて、そんな顔して言われたら、困るよ。好きな人が切なげに自分のことを見つめてきたら、「恋」が膨らんで大変なことになってしまう。 「俺の好きは……」  したいしたい、もっともっと。欲しいがたくさん増え続けてる。  君の笑顔が見たい。笑顔にさせたい。話しがしたい。一緒にいたい。もっと近くにいきたい。もっとくっつきたい。もっとたくさん。 「俺の好きは……」  キスが、したい。 「……」  触れただけで全身が痺れる。唇から電気が駆け抜けて、指先まで隅々まで行き渡る熱に恋人繋ぎで絡まり合う指先に力が篭った。全身がとても小さなキスひとつにこんなに火照る。  キス、したのに。 「……こういう、好き、です」  ほら、もう「恋」が騒ぎ出す。 「こういう、の」  どっちからともなく重なった唇は今度は音を立てて、キスの感触を確かめた。触れ合うよりももう少し深いところを重ねるキスにしたくて、一歩、彼の懐に入るのと、引き寄せられるのはほぼ一緒だった。  柔らかい唇をお互いに啄ばんで、途中で零れる吐息が唇に触れるだけでも震えるほど感じてしまう。止められなくなりそうな、甘いキス。また、きっとすぐに欲しくなりそうな、柔らかくて気持ち良いキス。 「わ、かりました?」 「……わかりません」  こんなにキスしたのに? そう驚いて瞳を覗き込んだら、茶色の瞳が吸い込まれそうな黒色をしていた。濡れて深みが増した瞳の色を彼の腕の中で見つめて、また、騒がしくなってしまいそう。 「そういって、もう一回キスしたくなるくらい、俺は貴方のことが好きです」 「……」 「すごく、好きです」  知らなかった。 「本当に意地悪だ」 「……好きな子にはっていうやつです」  子、なんて呼ばれて、同じ男で、年上なのに喜んでしまう。抱き締められて、耳元で吐息を感じるだけで、たまらなく恋しくなる。本当に困るから、これじゃ散歩終えられないよ。だからあまり見つめないでと頼んだら、君がすごく嬉しそうに笑ってくれたんだ。  帰ってたら、即、伊都をとっ捕まえた。 「伊都! あのね、宮野さんは疲れてるんだから」 「えーでも」  というか、自分の作戦が上手くいったかどうかを早く知りたかったんだろう。スポーツクラブの出入り口のところで膝に絵本を置いて、眺めながら、帰ってくるのを待っていた。 「でも、じゃない!」 「だって、コーチ、すっごい嬉しそうにしてるよ?」 「!」  振り返ると、宮野さんがすごく、ものすごく嬉しそうに笑っていて、ありがとう、なんて伊都に言うから、もう怒れないし、照れを隠すこともできなくなってしまった。 「よかった。ふたりが仲良しに戻って」  伊都は笑って、安堵の溜め息をつくと、膝に抱えていた絵本をそそくさと片付けて、ひとり階段を駆け上って行ってしまった。

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