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第20話 貴方に恋を

 キスは、した。俺からもしたし、宮野さんからちょっと濃厚なのをされた。つまり、そこまでは大丈夫。  でも、そこから先って、大丈夫? なんだろうか。  だって、脱いだら、男の身体だぞ? 見られたら……って、見られたことあったっけ。合宿初日に水着になったっけ。その水着の格好をした俺にキスをしたってことは、大丈夫? いや、でも、局部は隠れてるし。……局部って。  ただ、そこが見えたら、ほら、上半身以上に同性ってわかるだろ? そ、そしたら、さすがに、萎えたりしない? だって、今までの相手は可愛い女性なわけだから、急にそこで引いてしまうことだってありそうだ。  それに、先って、先ってさ。 「……」  どこでするんだ。伊都、いるし。いや、別に伊都が寝てからそういう行為に及べばいいだけなんだけど、ど、どうしたらいいんだろう。誘う、のか? え? 男の俺に誘われて、その気になってくれるのか? いやいや、何回も言ってるけれど、キスはしたんだし。深めのしていいですかって訊かれたんだし。 「!」  でも、そこから先は別の話だったりする場合もあるかもしれない。わからないけれど、セックスまではまだ考えていなかったら? ほら、同性とする場合って、準備もあるだろうし、上手にできるかどうかだってわからないんだから、そこまでしてしたいかどうかっていうのは個人差があるかもしれない。ろ、ローションとか? そういうのないかもしれないだろ? 話してみて、しませんか? って、尋ねて持っていなかったら、つまりは、その気はなかったってことだ。  宮野さんは――。 「あんた、何ひとりで百面相してんの?」 「うわぁぁぁっ!」 「驚きすぎ。ビビりなとこ、変わらないよね。うちの旦那から連絡あったよ。そろそろ皆で帰ってくるって」 「ねぇちゃん」  百面相してたかな。頬を触ると、熱かったから、百面相していたかどうかはわからないけれど、真っ赤になっているのは確かだと思う。 「明日、帰るんでしょ? 夕飯、どうする? どっか食べいく?」 「あ、うん」 「あんたって、そんなふうになるのね」 「え? 何が?」 「なんでもないわ」  今、伊都と姪っ子は義理の兄に連れられて沢にサワガニ獲りに出かけてる。両親はそれぞれ、どこだろ、わからないけれど、思い思いの場所にちょっと出かけてるんだと思う。お隣さんでお茶したりとか。家には水が苦手な俺と日焼けしたくないと日陰ばかりを好む姉しかいなくて、やたらと静かだった。  そんな、なんでもないって言われて、そうなのか、なんて思える人いないだろ。実家に来てからずっとにやけている姉を捕まえて食い下がった。 「そわそわして、楽しそうって思っただけ」 「!」  そわそわって、楽しそうって、別に、俺は。 「おとぉぉぉぉさぁぁぁぁん! カニ、ちょっとだけ獲れたぁぁぁ」  急に家の中に飛び込んできた三人の子どもの大きな声に、一瞬で家の中が賑やかになった。そして、姉にそわそわって、楽しそうって言われて、今ひとりで考えていた彼とのことに心臓も賑やかに騒ぎ出す。  楽しそうって、そんな、今、俺は悩んでたんだってば。けっこう真剣に。 「そんな顔のあんた、久しぶりに見たわ」 「え?」 「口をへの字にして、むくれてみたり、じっと静かになったかと思ったら眉間に皺刻んで悩ましい顔してみたり、真っ赤になって、青くなって、まさに百面相」  姉がくるくると面白いほど表情を変えてみせた。への字の口元、眉間を自分の指でグリグリ押して、難しい顔も、全部、俺の真似をしているらしい。 「ずっと、ふんわりとした笑顔ばっかりだったから」 「……」 「しんどいことを隠してる作り笑い」 「俺はっ」  別にしんどいことばっかりじゃない。伊都がいてくれて、毎日楽しいことだって、嬉しいことだってある。食事だって、伊都を叱りながら、美味いって思えるようになったよ。 「でも、むくれた顔は久しぶりよ」 「……」 「そういう顔のほうが、私がよくいじめてた頃のあんたっぽくて、気楽だわ」  野菜炒めだって、なんだって、美味いって、朝起きて、朝日にホッとするよりも、伊都を起こすことに忙しくして、毎日をそれなりにちゃんと過ごせてる。 「おとおおおさあああああん! カニーっ! 見てってばああああ!」  でも、今はもっと美味しく感じられる。三人で食べる夕飯はどこの高級料理にも負けない笑顔を作れる。  伊都の元気な声よりも大きな声で、今、行くよって、返事をできるようになったんだ。 「サワガニ、ちょびっとだけしか獲れなかった」  俺と伊都の声だけが真っ暗な部屋にポツリポツリと響いてる。  伊都が残念そうだった。もっと大皿いっぱいに獲れると思っていたのに結果は期待はずれだったようで、ちょっとしたおかずを乗っける小さな皿に山盛りくらい。伊都が使いたかった大きなお皿に乗っけたんじゃ、物悲しいワンプレートになるところだった。  でも、カリッと揚げたサワガニはとても美味しかったよ。宮野さん、こういうの好きかなって、思いながら、数少ないサワガニを大勢で大事に食べた。 「でもすごいじゃん。よく触れたね」  外では笑ってしまうほど、秋の虫たちの合唱が大音量で流れているけれど、ここはその反対に穏かでゆったりとしていた。 「うん……ちょっとだけ、怖かった」 「でも、おじちゃんが手伝ってくれた?」  もう、眠いかな。伊都の声がゆっくり、そっと、小さくなっていく。 「……うん」  今日はサワガニ捕まえてから、ずっとサワガニの入ったバケツの近くで遊んでた。もう小学生で昼寝はしないから、夏休み中も同じように昼寝はなし。その分、寝るのが早くなったんだけれど、宮野さんがいる時は少し遅い。遅いけど、翌朝、いつもの場所で、コーチに挨拶を楽しみにしてるから起きる時にぐずることもない。 「コーチに……カニ……持っていってあげたかった」 「……そっか」  明日、自宅に帰る。宮野さんのいるところへ、戻る。 「残念かなぁ、コーチ」  伊都が宮野さんのことを思ってサワガニ獲りを頑張ってくれたことが嬉しかったよ。そっと手を伸ばして前髪をよけて額を撫でると、伊都が掌を追いかけるように顔をこっちへ傾けた。 「どうだろうね。ほら、明日はもう帰るから。おやすみ」  でも、もう、お休みの挨拶に返事はなくて、その代わりにおだやかな寝息が聞こえてきてた。  翌朝、朝食を食べて、サワガニ獲りの興奮を一夜明けてもまだ姪っ子と三人でジジババに話して聞かせた。姉一家は実家から近いから、適当してから帰るけれど、俺と伊都は午前中のうちに実家を発った。旅行と違って洗濯も実家でしてもらえてるから、家事が溜まってるわけじゃないけれど。夕飯の買い物はしないといけないから。  帰りの車の中で、姪っ子と遊んだ楽しいことを思い出しながら語る伊都に相槌を打っていた。 「おじちゃんが来年は皆でプール行こうだってさ」 「……そうだね。楽しそうだ」 「うん!」 「ね、伊都」 「なぁに」 「今日の夕飯さ」  宮野さんちで、宮野さんと一緒に食べる? って訊いたら、途端に表情が更に明るくなった。俺もこんなふうに百面相してたのかな。 「やったー!」  ちょっと違うかな。俺は、彼に、恋をしているから。

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