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第21話 天然すぎて、困るんです。
車で数時間、山を越えるから道はこれでもかというほど右へ左へと急カーブが続く。伊都は車酔いとは無縁のタイプだから、「おっとっとっと」なんて笑いながら、大袈裟に体を揺らしていた。
「伊都―! お土産持って」
数日ぶりの自宅の窓をとりあえず全開にしたけれど、それでも日中の暑さだけが詰まった部屋は涼しくなんてならない。実家が田舎でここよりも気温が二、三度は下がるから、戻ってきて余計に暑く感じるのかもしれない。
汗、臭くないかな。
「はーい!」
トイレから飛び出してきた伊都が、トイレはもっと暑かったって、喉元の汗を手で拭う。その手を今度はハンドタオルで俺が拭って、ついでに額の汗もシャワー後みたいにごしごし拭いた。
「早く行こうよ。コーチんとこ」
「……うん」
いるかな。いや、いないと思うよ。夏休みとは言ってたけど、でも、その夏休みの日中にじっとしてたらもったいなって思うだろ? インストラクターって、身体を動かす仕事をしてる人なんだから。
「行ってみよう」
それでも、いたらいいなって淡い期待を抱きながら、伊都とふたりで買ったお土産片手に立ち上がった。
「コーチ、好きかなぁ」
道の駅でずっと一緒に悩んでたんだ。パン好きって言ってたから、伊都とふたりで七種類あったトーストの上に乗せると美味しそうな具を選んだ。アンチョビとか、サラミとか、ツナマヨみたいなのは伊都が選んだ。自分が好きな味だから、きっとコーチも好きだと思うって。
いないと思うけど、いたらいいな。
会いたいな。そう思いながら、彼の部屋のチャイムを鳴らした。
「……はい」
いたらいいなって願ったくせに、会いたいと思ったくせに、本当に会えてびっくりしてしまった。
「あ、あの、ごめんなさい! たった今、帰って来たんです。これ」
「お土産! コーチ好きかなぁって、ふたりで選んだんだぁ」
「好きな味だったら、いいんだけど……」
筆文字で産地が書かれたビニール袋を差し出した。彼は俺の顔をじっと覗き込んで、俺はそれに頬が熱くなるのを感じて。
「もしよかったら、上がってきます?」
「ぇ、ぁ……」
会いたいって思ったんだ。
「はい」
だから、彼の顔を見たら、遠慮とかできなくなってしまった。本当は隣で素直に「わーい」ってはしゃぐ伊都みたいに飛び跳ねたいくらい。何もないですけどって、柔らかな表情を見せてくれる宮野さんに胸が高鳴った。
「これ、ありがとうございます」
宮野さんが受け取った袋を掲げて、ちょっと笑って、それからキッチンで冷蔵庫に入れようと中身を袋から出した。
「好きな味だといいんだけど。って、伊都! 勝手に触らないように!」
こっちに背中を向けて返事をする伊都は自分のうちと反対側の景色をレースカーテンの隙間から眺めている。
ここが、宮野さんのうち。男性っぽいけど、ちょっとオシャレ。あまり物置かない人なのかな。テレビにベッドにあと、あ、やっぱり水泳の雑誌とか買うんだ。
「いつもはもっと散らかってるんです」
それって、招待するために掃除してくれたってこと、なのかな。
「サラミとか、あと、伊都が選んだのもあるんです」
「ありがとうございます。さっき、帰って来たんですか?」
「はい。帰って来て、いないかもしれないけど、宮野さんとこに届けに来てみようって。出かけてるかもしれないけど」
「出かけずにいました」
宮野さんの声だ。なんて、思う俺って、相当、かもしれない。たったの三日会えなかっただけで、宮野さんを恋しいと思うなんて。その前の合宿でずっと一緒にいられたから余計なのかも。
「今日、佐伯さん帰ってくるって、話してたから。一日、そわそわしてました」
「そ、そうなんですか?」
胸のところがくすぐったい。指先で撫でるようにくすぐられてるみたいだ。
「ご実家行って、冷静に考えて、後悔してたりするんじゃないかって」
「え?」
「俺とのこと」
「え? そ、そんなのっ! ないです! 後悔なんてっ」
それどころか宮野さんのことを考えて、ひとりで慌てて、姉にからかわれたくらいなんだ。恋をしているだろうって、勘付かれてずっと突付かれてた。そのくらいずっと考えてたのに。
「もしかして、返信、忘れてたり、します?」
「…………え?」
「……はぁ」
ずっしり重い溜め息だった。がっかりしたとか、ショックだったとかじゃなくて、心底ホッとできたっていう安堵の溜め息。そして、それと同時にキッチンのシンクに手を置いて、じっと手元へ視線を落とす。
返信って……なんの? 俺、宮野さんに――。
「あぁぁぁっ! ごっ、ごめんなさい!」
宮野さんに返信してない! こっちに帰ってきたら、宮野さんの部屋で夕飯一緒にどうですか? って、言われてそれで。
「あ、あのっ、姉にからかわれて、あと姪っ子ふたりと伊都がおおはしゃぎでメッセージ読んだんですけどっ」
既読マークだけを残して、無言になってしまった、としか思えないよな。何もそこから返事してないんだから。
「ごめんなさいっ!」
すごく嬉しくて、メッセージを何度もなぞるように眺めてたんだ。初恋みたいに、好きな人からもらえた手紙を、言葉をひとつひとつ、視線でたどって、噛み締めて。そんなことをしていたら、小学生の三人衆を追いかけることに忙しくなってしまって。
「ちょっと、嬉しくて、噛み締めてました」
「……」
「すみません! まさか夕飯招待してもらえると思ってなくて、めちゃくちゃ喜んじゃってたら、姉に、からかわれて、スマホ見る度ににやつかれるから、スマホいじりにくいし」
「……」
「お、怒ってます?」
無視、だもんな。あぁ、なんてことをしたんだ。あの時、噛み締める前に「ぜひ」の一言でも打っておけばよかったのに。
「怒ってないです。安心しました」
「……」
「佐伯さん、後悔してるんだとばっかり思ってたから」
「そんなこと」
あるわけない。だって、実家にいる間もずっと、君のことを考えていたんだから。
「今、力が抜けるくらい、ホッとしてます」
しゃがみこんで、口元を押さえてしまうから、聞き取りにくい彼の声を追いかけて、俺もその場にしゃがみこんだ。目を合わせて、ずっと会いたかったって伝えられたらいいのにって。
「ずっと宮野さんのこと、考えてました。会いたくて、顔見たくて、帰って来て即、日中でいないかもしれないのに、ここを尋ねてしまうくらいに」
「……」
「コーチー! 何かして遊びたい!」
「あぁ、いいよ。何しょうか」
本当なんだ。本当に、君にとても会いたかったんだ。それを目で伝えられたらいいのに。
「えっとね、えっと」
「いいよ。たくさん遊ぼう。時間いっぱいあるから」
「いいの?」
「いいよ。ぁ、ちょっと待ってて。麦茶」
伊都に手を引かれ連れていかれた宮野さんがキッチンに戻ってきた。
「俺もです」
「え?」
「俺もずっと、佐伯さんのこと、考えてました」
「!」
それだけ言って、麦茶を持って、また伊都のところへ。目は口ほどにものを言うのなら。もしも、そうだったら、今、俺を見つめた宮野さんの目は――。
俺が実家で思い悩んでいた、ここから先、キス、から先のことを見つめている目を、している、ように思えた。
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