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第22話 可愛い人

 夕飯をごちそうしてもらっただけ。別に、ほら、いつもうちで食べてるから、今日帰省疲れもあるだろうし、いつものお返しにうちでいかがですかっていうだけ。ただ、それだけ、じゃなかったり、する?  ずっと、考えてたって、そう言ってた。  俺と同じように? 付き合っていたら、ありえる出来事に真っ赤になって、姉に突付かれていたのと同じことを、考えていた?  俺は――考えていた。 「なんか、あんまり美味くなかったですね」  食事のお返しにと食器を洗っていた手が、彼の声にきゅっとスポンジを握り締めて、泡がふわりと手に乗っかった。 「そんなこと」  美味しかった。きのこたっぷりのソースにチキンのソテー、それにポテトサラダなんて、初めて君にごちそうした夕飯が野菜炒め、しかも何の変哲もない、カット野菜を使った簡単なものだった人に比べたら数段素敵だ。 「めちゃくちゃレシピ見て作ったんですけど」  でも、彼には少し不満だったようで、口を曲げて軽い溜め息をひとつ突く。そして、彼が拭いているグラスがきゅっと可愛い音を立てて、彼の不満に同調しているようだった。 「……っぷ」 「なんで、笑うんです」 「可愛いなって思って」 「は? 俺がですか?」  うんうんって、何度も頷いてしまった。そんな俺を見て、彼が隣でまたひとつ溜め息をつく。 「可愛いのは、佐伯さんでしょ」 「え? 俺? そんなわけ」 「可愛いですよ。すごく。ずっと……」  彼が拭き終わったグラス、お皿、お椀を迷うことなく次から次へとしまっていく。これが終わったら、もう何もすることがなくて、夜の九時ちょっと前で、俺は伊都を連れて部屋に戻らないと。全開ってわけにはいかないけど、少しだけ窓を開けてきたから、きっと部屋は涼しくなっている。  ほら。もう、洗い物担当していた俺は洗うべき食器がなくなってしまった。  もう、帰らないと。 「伊都、お風呂、入れるかな」  日中、車の中でも元気だったし、そのあと、宮野さんの部屋に来てからは、姪っ子ふたりと遊んでいる時以上にはしゃいでたせいで、今、宮野さんのうちのソファで居眠りをしている。 「俺、運びますよ。伊都君」 「え、でも」 「まだ……一緒にいたいって言ったら、困ります?」  泡だらけだった手をゆすぐと、びしょ濡れの手にタオルを乗せてくれた。 「……ぇ?」  まだ一緒にって、夕飯食べ終わってしまった。その後、少し話して、いつもはそのまま帰りを見送って、一日が終わる。次、君に会えるのは翌日の朝。 「無理ならいいです。無理やりするもんじゃないし。それに、俺、待てますから」  無理やりするもんじゃないって、するって、待てるって。 「でも、伊都君は運びますよ。俺が、で、ベッドまで連れて行ったら、ちゃんと、……」  それって、つまり、俺が実家でずっと考えてたと同じことを、無理やりするものじゃなくて、待てるからって、言ってくれてる?  キスより先のことを、本当に、冗談とかじゃなく、宮野さんも考えていた? 「あの、宮野さん」  手を拭い終わったタオルを受け取ろうとして差し出された手。少し骨っぽい感じが力強くて、同じ男の俺でも安心感を覚えてしまう。大きい手。その手に、俺はタオルじゃなくて、自分の手を乗せた。  自分の手元を見つめるので精一杯だ。顔、上げられない。 「あの……うち、寝室と、リビング、分かれてる、から」  伊都が大きくなった時に手狭になってしまわないように、寝室とリビングはちゃんと分かれてるのにしたんだ。だから、ここよりは、ほら、そういうのが。その、つまり。  そんなの、目を見ながらは言えそうになくて、彼に自分の頭のてっぺんを見せながら呟いた。 「だからっ」 「耳、真っ赤です」 「っ」 「行っても、いい、んですか? 今、俺が言ってる意味って」  彼の指を指で掴んだ。絡めるなんて、心臓が破裂しそうだから、きゅっと指先を握って、彼に、真っ赤になった顔くらいはせめて見られないように、もっと、俯いた。 「わかってます。ちゃんと」  小さく、伊都を起こしてしまわないように小さく答えたら、彼の指が逃げないようにって、俺の指を強く捕まえた。  寝かしつける必要もないくらい、すぐに寝てしまった伊都。風呂に入る時だけ起きたんだけれど、もう体力は底を尽きていたらしく、髪を乾かしている間にまた寝てしまった。 「……」  そして、今、風呂場から聞こえてくるシャワーの音に緊張して、リビングで何をしていたらいいのかもわからなくなっている。 「そ、そうだ、麦茶とか」  思わず独り言を呟いてしまうくらい。 「……」  だって、できるのか? キスとはわけが違うのに。セックスとか――。 「シャワーありがとうご、あれ? 佐伯さん? ぁ、こっちにいたのか」 「っ!」  リビングに誰もいなくて少しびっくりした様子の彼が、キッチンで俺を見つけて、ホッとした顔をした。  俺は、できるよ。君と、そういうこと。でも、君にしてみたら、男の俺は、その、つまり、抱けるの? 「あ、あの、麦茶、どうぞ」 「……」  二人分の麦茶を部屋に運んだ。視界の端にこっちを見てる彼がいる。でも、ちゃんと見れない。あのプールで心惹かれた時と同じ、濡れた髪、濡れた瞳の君が、部屋にいる、そう思うだけで、心臓が忙しない。 「佐伯さん、平気です?」 「ど、どうだろ。あの、えっと」 「はい」  宮野さんは麦茶を受け取ったけれど、飲まずに、ただ真っ直ぐ俺だけを見つめてた。 「あの、こういうの、久しぶりなんです」 「……」 「その、つまりはもうずっと、して、ないから」  溶けてしまいそうなくらいに見つめられて、頬が熱くてのぼせたみたい。 「どういうふうに、あの、気の利いた感じ、とか」  セックスの雰囲気の作り方っていうか、そういうムードも流れも、何もかも、わからない。まるで、さぁ始めましょうなんて言い出す、そんな不恰好な始め方になってしまいそう。これじゃ、君をその気にさせるなんて到底無理そうだ。女性じゃないのに、せめて雰囲気くらいはしっとりさせたいのに。 「その、宮野さんは、平気ですか?」 「……何が、です?」  年上で男の俺と、そういうこと、できますか? なんて、今ここで訊くことこそ、雰囲気ぶち壊しだろうに、それでも、確認したい。  俺は、君に、抱いてもらえるんだろうかって。  訊きたいけれど、喉奥のところが熱くて、上手く話せそうにない。さっきから言葉がつっかえてばっかりだ。 「えっと……」  顔を上げたら、真っ直ぐに俺を見つめる彼の瞳に捕まった。

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