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第23話 嘘つきな恋人

 いつもは茶色く見える彼の瞳が影色をまとっていて、深い色をしていた。少し濡れてるように見えるのは水滴を拭っただけの濡れた髪につられて、そう見えただけなのかもしれないけれど。でも、見惚れるには充分すぎて、困る。  ――宮野さんは、平気ですか?  って、訊いてしまった。  彼は何がですか? って、答えた。  その質問にどう答えていいのか、困って俯いてしまったら、隣に彼が座って、フワリと自分と同じボディーソープの香りに包まれて、クラクラした。きつい香水でもないのに、やたらと甘くて良い香りに感じられる。 「あの……」  何がって、そんなの、決まってる。 「伊都がいるから、だから、えっと」  もし、そういうことをするのなら、ここしかする場所がなくて、伊都を置いてはいけないから、宮野さんの部屋には行けないし。なんかそんなの所帯じみた問題すぎて、色気なさすぎて、言えないよ。ムードも何もない。  でも、一番、平気なのかどうか、俺が心配していることは。 「……ぁ」  場所のことなんかじゃない。緊張と不安がごちゃまぜになった塊が喉奥に居座って、言葉を詰まらせる。 「俺のこと、その……抱け、ますか?」  ベッドじゃないとこで、しかも、こんな、こういうことに不慣れな年上で、男なんて。緊張しすぎて、一口も飲めないでいる麦茶を見つめてしまうような。 「すみません、俺、嘘つきました」 「え?」  顔を、思わす上げてしまった。 「嘘、つきました」 「っ……」  顔を上げた俺を捕まえるように、宮野さんに口付けされた。首をかしげて、身体を寄せて、筋っぽい顎から肩までのラインにドキドキする。甘いと感じられたボディーソープの香りがもっと近づいて、美味しそうにすら思えた。 「ンっ……ん……っ」  リビングに濡れた音がしてる。甘くて蕩けた蜂蜜を指に絡めて悪戯に遊んでいるような音。口にしたら、とても甘い。舌先が痺れるくらいに甘くて濃い蜂蜜。 「……ン」  宮野さんの舌に唇を撫でられてる。戸惑う舌を絡め取られて、唇同士の間でくすぐられて、零れそうな唾液に気をとられると、こっちだよって舌に咎められる。 「ぁ……っ」  キスが終わったら、口内をくすぐって柔らかく撫でる舌が恋しくて、甘えたような声を出してしまった。それがたまらなく恥ずかしくて、勝手に変な声を零す口を手で抑えようとした。 「嘘です」  でも、その手は宮野さんに捕まえられてしまった。握られて、今さっきしたキスみたいに、今度は指先が絡まり合う。  額が触れ合って、火照った彼の吐息が、彼のキスで濡れた唇を掠める。たったそれだけなのに、どうしたらいいんだろう。 「佐伯さんに、さっき、無理やりするつもりないって、待てますって言ったの、嘘です」 「……」 「待つの、無理っぽい」  お腹の底のところが熱くておかしくなりそう。ひとりじゃもてあましてしまう熱に内側から悪戯をされてるみたいに、じっとしてられない。  君のことが欲しくて、おかしくなりそう。 「だから、貴方のことを抱けますか? なんて、訊いて、俺を煽らないでください」  もう一回、キスして欲しくて、その唇ばかりを見つめてしまう。 「今も相当、我慢してるのに、貴方のこと」 「宮野さん……」  彼に呼ば引き寄せられるようにキスをした。覗き込むように首を傾げて、宮野さんに唇に触れて、舌を差し込んで、唾液を絡めて、深く口付けて、口内を潤す。 「俺のこと」  もっと、キスが欲しくて、口を開けてしまう。柔らかくて、甘い香りを貪るみたいに齧りついて。 「抱いて、くれます?」 「だから」  怒ったように眉間に皺を寄せる君が愛しくて、なんだか、そんな顔をさせていることが嬉しくて、恐る恐る頬を両手で包んだ。そして、そっと、口付けて、離れようとしたところで、強く抱き締められた。膝立ちになった彼の胸に頭を抱きかかえられるようにしたら、彼の心臓の音がとてもよく聞こえた。驚くほど早くて、胸の内で太鼓でも鳴らしているみたいに騒がしい。 「煽らないでください」  そう苦しそうに呟く声が胸から鼓膜に伝わってきた。彼の鼓動と一緒に。 「ホント、相当我慢してるんですから」  その鼓動は彼の内側で暴れてる熱の音みたいだった。早く早くって、彼をせかしてるみたいに、ドクドクと鳴っている。  まるで、早くしたいって暴れてるみたいで、可愛くて、嬉しくて、胸に頭を自分から押し付けるようにして、背中に腕を回した。 「だって、煽ったら、抱いてもらえるかなって」  そして、押し倒してもらった。大事なものをそっと床に下ろすように、頭を手で抱えられ、もう片方の手を支えにしながら、そっと、床に横たえられる。 「そんな、煽るなんてことしなくても、大丈夫です」 「……」 「今日、ずっと」  彼の体温が近くなる。身体を重ねるように覆い被さられて、胸が躍った。 「貴方を抱く事ばかり考えたんだから」  キスが甘いだけじゃなくて、痛いくらいに強くて、息をするのが少し苦しいほど、彼の重みを感じて、本当に、するんだなって、胸のところで宮野さんが持っているのと同じ熱が大騒ぎをしてた。  不安は次から次に押し寄せてくるんだ。キスするのすら、少しドキドキするけれど、その口が唇だけじゃなく、首筋に落ちれば、男の喉仏見て、急に萎えて愛撫の手を止めてしまわないだろうか、とか。鎖骨や肩に落ちれば、骨っぽくて、硬くて、抱き心地が悪いんじゃないだろうかとか。 「あっ」  リビングの天井を見上げながら、服の下に潜り込んだ宮野さんの手に小さく声をあげてしまった。  お腹にきゅっと力が入ったのは、緊張したからだ。手で捲られるのを止めてしまったのは、怖かったから。 「あ、あの……」  そこ、捲られたら。 「焦らさないでください」 「あっ」  焦らしてるんじゃない。不安なんだ。そして、その不安から伸ばした手をそっと捕まえられてしまう。 「あっ……っン」  そして、破裂しそうな心臓の上にキスをされて、思わず抱きかかえてしまった。何もない胸。ぺたんこの胸にキスされて、彼の頭にしがみ付いて甘い声が我慢できなかった。自分の声じゃないみたい。けれどたしかに感じる甘い快感に身体が沸点を越えて熱くなって、とろり、って何かが蕩ける。蕩けて、濡れて、止まらなく溢れてくる。 「あ、宮野、さんっ」  君に抱かれたいって、身体の奥で熱が暴れていた。

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