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第26話 恋、百面相
「…………」
彼と、セックス、してしまった。
どうしよう、ものすごく気持ちよかった。初めてはそこまで気持ち良くないかもしれないって、思っていたのに、全然そんなことなかった。キスも触れ合うのも、彼に触られるところ全部がたまらなく気持ち良かったし。
――千佳志。
「っ」
カッコよすぎだ。
だからじゃないのか? だから、あんなに気持ちよかったんじゃ。彼のを受け入れるのは大変だと思っていたのに。
――あっ! あぁっ、ン……ぁ、ダメ、そこ、イっ!
すごく、感じてたし。
「……」
だ、大丈夫? あんなに気持ち良さそうにして、初めてなのか? って疑われたりしない? でも、本当に、正真正銘初めてだったんだ。最初、慣らす時には苦しいって思ってたんだ。だから、お互いにすごくそこで確かめ合ったし。うん。だからちゃんと初めてって、わかってるはず。その苦しさなんてすぐに消えてしまったけれど。
ドキドキした。
彼に名前を呼ばれて、子どもみたいにドキドキした。
キス、がとても気持ちよかった。あんなにカッコいい人を独り占めしてしまっていいんだろうかって思った。
「……」
その人に抱かれた。すごく、可愛がられてしまった。
「千佳志さん、何ひとりで百面相してるんです?」
「んひゃああ!」
びっくりして振り返ったら、彼がいた。俺を、昨夜、抱いた人。俺の好きな人。
腕を組んで、壁に寄りかかって、こっちを見て嬉しそうに、ものすっごく嬉しそうに笑っている。
「睦月……く」
「おはようございます。睦月、でいいですよ。昨日、そう呼んでくれた」
「っ」
「すごく、嬉しかったです。千佳志さん」
もう、君は本当に意地悪だ。
「ンっ」
今、君と伊都と三人で食べるための朝食を作ってるのに、名前を呼んだだけで、表情をだらしないほど綻ばせて、幸せそうに朝の挨拶をするなんて。キス、されたら、蕩けてしまうって、昨日、わかったはずなのに。こんなに深く口付けて、俺の手を止めてしまう。君の腕を掴んで、舌の柔らかさがとても気持ち良くて、立ってるのだって大変になるのに。それでなくても、まだ、今も。
「身体、大丈夫です?」
「!」
「痛い? 俺、我慢できなかったから」
首を横に振って、彼の肩に擦り寄って顔を隠した。
「平気。痛くない。でも、まだ、君が中にいるみたい」
「……」
「だから、キスされると困るんだ」
君の太さも硬さも熱も覚えてる。身体にまだ君の感触が残ってる。だから、キスひとつで、内側が大喜びしてしまう。まだ欲しいと、疼き出しそう。
「俺も、今、困ってます」
「?」
「服、ちゃんと着てるのに。ちゃんと佐伯さんがお父さんしてるのに、昨日、やらしく喘いでいたって思い出してる。今、俺の腕の中にいる優しいお父さんと、って。この人の身体の感度を俺は知ってるんだ、って、なんか、ひとりで興奮してます」
「こっ!」
ニコッと、爽やかに笑ってた。俺だって、知ってる。イケメンで好青年で誰にも好かれて、大人気のスイミングコーチなのに、俺にはとても意地悪で、あんなやらしいことをするって、知ってる。君の唇の感触を、舌の熱さを、君の、硬さを。
「貴方にだけですよ」
「そんなの! 俺も同じです」
「!」
誰にもあんな格好見せられやしない。お尻の孔なんて、晒して、指で、その、そこを――。
「もぉ、本当に貴方は……煽らないでって、昨日も言ったのに。足腰立たなくて俺がお風呂入れてあげたんでしょ?」
「それはっ……すみません」
そうなんだ。気持ち良くて、トロトロに蕩けたけれど、やっぱり初めてだから、腰砕け状態。お風呂に入るのも難しいどころか身体を洗うのもできなくて、全身洗ってもらって、髪も優しく洗ってもらって、そして、中、ちゃんと掻き出してもらった。キスしながら、楽しそうに俺を風呂に入れる彼にずっと真っ赤になってた。
「謝らないで。めちゃくちゃ楽しかったから」
知ってます。君はずっと笑顔で、鼻歌だって飛び出しそうだった。
「千佳志さん、可愛い」
「! かっ、か、か! もう! 何笑ってるんです!」
「え? だって、こんな真っ赤な貴方見れて嬉しいんですって。最初、すげぇ綺麗な人だなって思った」
頬に触れて、鼻先にひとつキスされた。
俺を見て? 綺麗だって、思ったの? 年上の、小学生の息子がいる、俺を見て?
「美人だなって。男だってちゃんとわかってましたよ? 俺、視力すごい良いから。でも、美人だって思ったんです。話かけた時もかなり舞い上がったし」
「……」
「ずっと、柔らかく微笑む貴方のことが気になった。でも」
「?」
キス、好きなのかな。今度は瞼にキスをされた。
「近くにいけばいくほど、貴方の色んな表情が見えれて、嬉しくて。だから、もっともっとって、近くにいきたくて」
俺は、キス、好きだったかな。わからないけれど、今、君にキスしたくてしかたない。そっと背筋を伸ばして一歩前へ。身体を密着させてから、首を伸ばしてキスをした。触れて、啄ばんで、ちょっとだけ悪戯に舐めてみたりして。睦月とするキスは美味しくて、たまらないんだ。
「千佳……」
「姉にも言われたんです。百面相って」
笑って、心配になって青ざめて、口をへの字にして拗ねて、思い出し笑い溶かして、今度は考え込んだり。
「恋してるって、からかわれました」
「……」
「じゃあ、俺、相当前から睦月に恋してたってことになるんだなぁって、今、思いました」
君が近くに来れば来るだけ、表情を変えたのなら、きっと、一歩、君がこっちへ来てくれる度に、この恋が形のあるものになっていったんだよ。
「今も、すごく、好きですよ」
睦月の手に掴まりながらそう告白をしたら、口元を押さえて溜め息をひとつ落とされた。
「睦月?」
「今、貴方がちゃんと服着ててくれてよかったです」
「?」
彼シャツとか、肌蹴た格好とか、お父さんらしからぬ格好をしていたら、今すぐ襲い掛かるところだったって、睦月が顔を真っ赤にしていた。
俺が思うに、だけれど、君もたくさん百面相をしてくれると思うんだ。最初、スイミングで出会った時からカッコよかったし、朗らかな笑顔を見せてくれたけれど、困った顔も、苦しそうな顔も、安堵の顔も、そして意地悪な顔も、こうして近くに来てからしか見たことがない。
――あんたって、そんなふうになるのね。
そうだね。恋をしたら、こんなふうに誰でもなるんだなぁって、笑いながら、またキスをした。
それから、五分くらいだったかな。五分経っても離れられずに抱き合ったままだった俺たちは、伊都の「コーチー!」って呼ぶ声に本当に飛び上がりながら、ようやく離れて、そして、お互いにものすごく驚いた顔をしていることに、大笑いをしていた。
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