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第30話 ブンブン、恋が飛ぶ
好きな人に対してそういう気持ちが起きるのは自然なことだと思う。恋をしてたら、そんなの普通に起きる感情だよ。
ヤキモチ、なんて、しない人のほうが少ないんじゃないかな。
でも、同性に恋をしたら、どこまでそれをしていいんだろう。彼女はとても可愛い感じだった。睦月と同じ歳くらいかな。彼女にしてみたら、睦月はとてもカッコいいから恋人がいるかもしれないって、予想くらいしているんじゃないだろうか。
ただ、その恋人が同性で、自分が受付を担当したシングルファーザーだとは思いもしないだろうけれど。
もしも、恋人がいると確信がもてたとして、彼女は引き下がるんだろうか。それとも諦めずに食い下がるんだろうか。
睦月の好みはどんななんだろう。可愛い系だったら、彼女は範囲内だと思う。そういうのもリサーチしてるのかな。そんな感じがする。可愛い感じの話し方だった。俺に対しての話し方と、睦月に対しての話し方は違っているように感じられた。
心が刺々しくなってしまっているからそう思えるのかもしれないけれど、彼女、抜け目ない感じがした。
睦月を恋人から奪おうとしたりする、かもしれない。だから――。
「伊都君、嬉しそうでしたね」
だから、なんだか、怒りたい。
「スイミング、来週からも通えるって知って」
何に? 誰に?
「千佳志さん?」
何にでもない。誰にとかじゃない。これはただのヤキモチ。
「……そうですね」
あぁ、俺はバカなんじゃないのか? なんだよ。すごく冷たい返事の仕方して。イライラしてますって全面に出したような言い方なんてして。
「千佳志さん?」
「なんでもないです」
バカだ。バカバカ。子どもじゃあるまいし、なんで、自分の中で消化できないんだよ。恥ずかしい。
何が「なんでもないです」だよ。構って欲しい子どもじゃないか。恋の仕方を忘れたら、恋のついてまわる付属品みたいなヤキモチや独占欲の仕舞い方まで忘れてしまった。
あの子が、好きじゃない。
あの子に、にこやかに笑って、ありがとう、なんて言わないで欲しい。
彼は君のじゃないよ。
彼は、俺の――なんて子どもじみた感情なんだろう。大人のくせに、睦月よりも年上のくせに、伊都よりも子どもみたいだ。彼は俺の、なんて独り占めなんてして。
「こ、コーヒー、もう一杯飲みますか?」
ひどく拙い自分の感情が恥ずかしくて、その場から逃げ出そうとした。慌てて立ち上がって、キッチンへ逃げ込もう。そう思ったのに手を、睦月の手が捕まえた。
伊都はスイミングレッスンもあったし、そのあと、公園で学校の友だちと遊んでいたし、昼寝をしていないから、体力はほぼゼロゲージ。睦月と三人で食事をして、お風呂で温まった時点で、半分、夢の中だった。今はもう、寝室で熟睡してる。
ふたりっきりですごせるわずかな時間を、こんな子どもじみた感情で潰したくなんてないのに。わかってるのに、上手く仕舞えないんだ。畳んで引き出しに仕舞うことができない。この、手に余る感情を。
「千佳志さん、もしかして、ヤキモチ、やいてます?」
「っ」
隣に座っていると「好き」が膨らんで、つられるようにヤキモチも膨らむから、少し冷ましたくて離れようとしたのに。睦月が俺の腕を掴んで逃してくれない。背が少しばかり睦月よりも低い俺は急いで顔を隠した。今の自分の顔を見られなくない。子どもみたいに拗ねた顔なんて、可愛げのない大人の顔なんて。
「あの、俺の勘違いだったら、すみません。でも、今日、ちょっと、ずっと機嫌があんまり良くないですよね。それってもしかして」
「っ、睦月のせいなんかじゃない。俺が勝手にイライラしてるだけで。別に、そんな俺のことなんて気にしないで」
ホント、ただの拙いヤキモチなんだ。ほら、君が掴んでくれた手首、たったこれだけで、少しヤキモチが満足したように、膨らみ続けるのを止めた。ね? だから、放っておいていいよ。大人なんだから、このくらい、ちゃんと仕舞えるよ。畳んで、引き出しに、仕舞える。頑張って仕舞うから。
「気にしない、わけないでしょ」
「いいってば、本当に」
「たまらなく、嬉しいんだから」
睦月は、俺といる時はとくに低く話す。明るい睦月が力を入れることなく、リラックスして話してるんだってわかる、ゆっくりとした喋り方、普段と質感の変わる低い声。わずかに笑う時はほとんど声を出さない。レッスン中じゃ決して知ることのない笑い方。きっと、あの受付の女の子も知らない笑い方だ。
「受付の女の子、ですか?」
ゾクッとする、男っぽい笑い方をするんだ。すごくセクシーで、昼間の君と全然違うから、余計にドキドキしてしまう。
「何? そんな、訊かないとわからないくらい、いっぱいいるんだ」
不貞腐れて、そっぽを向いてしまう。受付の女の子のひとりでこんなに苛立つのに、睦月の周りにあんな表情をして、甘えた声を出して、言い寄る子がたくさんいたら、もう、胸のところがムカムカする。
「嘘です。知らない。そんなふうに怒った顔をする千佳志さんが見たかっただけ」
「っ、人のこと、からかって!」
「本当に知らないです。他の子のことなんて」
怒りたいんじゃない。拗ねたいんじゃないし、こんなヤキモチしたくない。大人なんだから、感情に振り回されたりしないよう冷静にならないといけないのに。振り解けない睦月の手が熱くて、冷静になんてなれない。
「気になる人がいるから、その人のことで手一杯です。もちろん、彼女からそういう告白をされても断ります。好きな人がいるって」
「……」
「俺、一途ですよ」
ブンブン振り回されっぱなしだ。恋に、ヤキモチに、それと、君に。年上なのにね。
「好きな人がいるって、断りますよ。誰が来たって」
「……」
「千佳志さんは、俺の好きな人、誰か知ってます?」
「っ」
拗ねて、怒って、ヤキモチで胸をいっぱいにしていたのに、今は、恋でいっぱいになる。
「俺の好きな人、誰か、知ってます?」
「そんなのっ」
「言って?」
手首、そんなに強く掴まれてるわけじゃない。睦月と同じ男だから、腕力に多少差があったって、振り解こうと思えばできるよ。でも、痛くて、痛くて、火傷しそう。掴まれたところが痛い。
「誰だと、思います?」
覗き込まないでよ。
「…………お、れ?」
「疑問形なの、ちょっと不服なんですけど?」
「そんなのっ! 自信満々に自分です、なんて」
「言ってよ。言って、ください」
引き寄せられて、逃げ出そうとした隣よりももっと近くに連れて行かれる。もう知らない、と拗ねていた唇にキスをされただけで、唇から蕩けてしまいそう。
「困ったな」
「? 睦月? 何を」
「貴方が俺のことを振り回すから、今日はご飯だけで我慢しようって思ってたのに、我慢できそうにない」
振り回してるのは君のほうだって苦情を伝えると、そっちこそって、睦月が反論して、それにまた俺が言い返して、また、返ってきて。
「……ン」
お互いにブンブン振り回されっぱなしだから、ぎゅっと抱き合ったら、ちょうど心地いいところに着地できた気がした。
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