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第32話 お留守番
――すみません。今日は夏期終わりで飲み会です。
若い人って、っていっても、四つ違うだけだけれど、睦月くらいの歳だともっと、こう、スマホとかよくいじってるイメージがあった。ほら、電車とかに乗ると、皆、ずっとスマホ眺めて忙しそうだから。
でも、睦月はほとんどスマホを見ない。うちにいる時なんて、スマホを手元にすら置いていない。そんな睦月からメッセージが来るだけでも少し不思議な感じがした。
返事しとかないと。前に返信するのを忘れて、彼に心配をかけてしまったから、今回はその場で返事をした。いってらっしゃい。楽しんできてね、って、そう返事を送った。
俺は、子育てが忙しかったからスマホなんて見る暇がなくて、テレビだってほぼ見ない生活が続いてたせいで最近いらないんじゃないかって。そういうこともあって、スマホを片手にずっと持っている習慣がなくて放置気味。
それなのに、今日はずっと手元に置いている。彼も人といる時にはほとんどスマホをいじらないって知っているのに。なんだか、持ってしまう。
「いーとっ! 食べる時はご飯見て。手止めるのはダメって言ったでしょ?」
「!」
伊都が慌てて手に持ったままだったお茶碗を持ち直し、ご飯を口に急いでいれる。
昔、よく俺も親に言われてたっけ。ご飯中にテレビがどうしてそんなにダメなんだって思ったけれど、親になった今、母親が言っていたこととほぼ変わらないことを伊都に言っている自分がいた。
すぐに夢中になって手を止めてしまうんだ。ご飯だってこぼすことが多くなるし。テレビって、見て欲しくなるように作られてるわけで、興味をそそるようにって、されてるわけだから、そりゃ、小学一年生の伊都なんてかっこうの餌食っていうか。思惑通りに、すぐに箸を手に持ったまま、テレビに見入ってしまう。で、仕事で疲れてる時なんかだと、そんな伊都に少し苛立ってしまったり。
そういや、伊都を最近、テレビのことで怒ったりしなくなってたな。ずっと、テレビはついてるのに、手を止めないように、ちゃんと食べて、って注意を最近口にしていない。
「あ、このお笑い芸人の人、コーチが好きな人たちだ」
睦月がいたからだ。
「……そうなの?」
「うん。コーチが面白いって言ってた。俺も好きぃ」
伊都がニコッと笑って、ご飯をパクリと食べた。今日は伊都の好きな唐揚げの甘酢あんかけ。小さめに切ったけれど、伊都の口にはまだ大きかったようで、口の周りにあんかけがくっついている。
「伊都、口」
指先で、自分の頬をちょんちょんって突くと、伊都がハッとして、俺の指が指し示すところをタオルで拭った。
「コーチ……今日はお出かけなんだねぇ」
「……そうだね」
伊都が寂しそうにポツリと呟いてから、睦月が好きらしいお笑い芸人を眺めた。約一ヶ月、ほぼ毎日、彼と三人でご飯を食べていたから、今日はなんか少し味気ない。
「……伊都」
名前を呼ばれて、また怒られると慌てて、甘酢あんかけの唐揚げと、あと、パプリカを口に押し込んでいる。伊都はあんまり好き嫌いがないけれど、先入観で食べたくないってなると、頑なに食べようとしないところがある。頑固なんだよね。そういうところは麻美に似てるかな。でも、それだって最近、睦月のおかげで食べるようになった。睦月が好き嫌いがなくて、なんでも食べる人だからつられるようにとりあえず食べてみてから好き嫌いを決めるようになったんだ。以前だったら、きっと、赤や黄色のピーマン、しかも普通にグリーンピーマンよりも大きいなんて絶対に食べなかったと思うのに。
「コーチとご飯食べるの、好き?」
「うん! 俺、コーチ好きだもん。お父さんは?」
「……好きだよ」
すごく彼のことが、彼と過ごす時間が好きだよ。
今夜は満月、なのかな。カーテンの隙間から月明かりがけっこう強烈に差し込んでいる。
「……」
目が、覚めてしまった。何時なんだろうって思って、彼からメールとか来てるかなって思いながら、ずっと手元に置いておいたスマホのボタンを押した。その瞬間飛び込んで来る強烈な光と、睦月からメッセージ。
――ただいま。今さっき帰って来ました。もう寝てる頃ですね。また、明日。
「……」
楽しかったかな。楽しかったんなら、いいな。俺も独身だった頃、飲み会とかけっこう行ってたっけ。仕事が営業だったから、飲み会は強制参加。でも別にイヤとかはなくて、楽しく飲んでた。友人との飲み会なんて、終電に乗れずに朝帰りなんてしょっちゅうだった。結婚してからはさすがに朝帰りはしなくなったけれど、普通に飲みに行っていたし、麻美が伊都を身ごもる前はふたりでもよく飲みに出かけた。
今は、ないよ。伊都がいる。
伊都が生まれてからも営業職だし飲みには行っていたけれど、終電よりも前の電車で帰って来ていた。友人との飲み会もそう。父親だからさ。
一人で子育てするようになってからなんて、それこそ飲み会なんて無縁の生活。藤崎さんもそうだって言って、飲み会に行ける友人を羨ましがっていたっけ。旦那さんがいればそこに預けられるだろう? 彼女はシングルで、しかも実家が遠いから、飲み会に行っている間娘さんを見てもらえる人がいないから、行けるわけないって、少し残念そうだった。
残念だよね。若いんだし。飲んでストレス発散だってしたいだろうし。
仕事して、帰って来たら、分刻みで家事こなしつつ、子どもの宿題に付き合ったり。朗読を聴いてもらうとか、文字を書いて上手かどうか確認するとか、親が宿題に関わらないといけないから、時間がいくらあっても足りないくらいに忙しい。そんな毎日で溜まったストレスを外に追い出す時間もないくらい。
睦月の生活とは大違いだ。
そもそもは共通点なんてひとつもない。それが、たまたまスイミングスクールで遭遇しただけ。あれがなかったら、今だって、他人のままなんだろう。
俺は毎日家事育児、仕事。飲み会なんて、三年は行ってない。
睦月の生活は、俺が独身だった時にしていたのと同じように、仕事して、遊んで、休んで、また仕事。俺はそんな生活をけっこう楽しんでた。
「……」
睦月も楽しかったかな。楽しかったら、いいなぁ、って思いながら。眩しすぎるスマホの画面を閉じた。もう彼がメッセージをくれてから三時間も経っている。きっと彼は寝てしまっただろうから、三時間前だったら、返事したかった。
おかえりなさい、って言いたかったなぁ。
伊都の布団をかけ直してから、また目を閉じた。
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