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第46話 他愛のない愛の言葉を
スポーツクラブであんなことをしてしまった。今、思えば、ちょっとすごいよね。いや、ちょっとどころじゃないくらいにすごい、かもね。
なんて、今頃思って赤面してしまった。
「……おかえり」
プールからの帰り、車のほうがそりゃ早いわけで、睦月が颯爽と自転車で走り去っていくのを見送ってから、よーい、ドンッ! って、した。途中、車で追い越すんだけど、横を通った車を見て、笑って、手を振ってくれた。そんな自転車乗ってるとこも、カッコよくてドキドキしたんだ。ちょっと見惚れてしまった。
「千佳志、さん」
恋に胸を躍らせる学生みたいに君を待ってた。こんなふうに駐車場の車止めのちょっとしたところにだって座り込んで、夜に、外で時間潰して、恋を満喫する感じ。
「ただ、い、ま」
座ったまま見上げると、睦月の向こうに夜空が広がってる。この時間って、お月様はどの辺りにいるんだっけ。いつもは会社が終わって、急いで伊都を保育園とか、学童から迎えに行った帰りに見るから、ちょうど、うちのアパートの屋根のところに乗っかるようにいるんだけど。
この時間帯に外を出歩かなくなったから、わからないや。
「おかえりなさい」
これを言いたくて、待ってたんだ。睦月がうちに来るんじゃなくて、今は無理でもさ、いつか、「ただいま」「おかえり」って言って、三人でご飯を食べるとか、さ。
「速いね。自転車」
「急ぎ、ましたから」
君の足音だってすごく響いてしまう皆が寝静まった深夜の住宅街で、好きな人を待って焦がれてた。この時間がとても楽しかった。恋って、なんでこんなに楽しいんだろうね。伊都といても楽しくて、睦月といても楽しくて。なんかさ――。
「俺、今まで付き合ってきたのは全部女性です。でも、貴方のこと本気で、真剣に思ってます」
睦月もその場に座り込んで。こっちを覗き込みながら、そんなことを言われた。真っ直ぐに真剣な顔で。
「今、千佳志さんにおかえりって言われたの」
「……」
「一生忘れない。そんで、一生、俺にそれ言ってください。逆も。俺が、おかえりって言ったら、ただいまって、笑って?」
他愛のない言葉だって、思っていた。でも、違った。こんなに大事な言葉だった。
「睦月」
「最初は、伊都君にはわからないかもしれない。でも、いつかわかってもらえるって信じてます。性別とかじゃなく、君のお父さんに恋をしてるって」
「……」
「だって、伊都君は貴方の子どもだから」
こんなに素敵な人の子どもだから、いつかわかってくれるって、思うんです――なんてさ。すごく、ものすごく大事な告白なのに、駐車場のこんな日常の片隅で言われた。毎日通る、他愛のない、すごく身近な場所。
「ずっと、俺に、おかえりって言って欲しい」
「……」
「千佳志」
「っ」
ありがとう、ごめんなさい、おはよう、おやすみ、ただいま、おかえり、どれもとても身近だけれど、大好きで、大切な人に言われるとこんなに優しくて宝物みたいになるって、君が教えてくれた。
「千佳志?」
「もっ、もお! なんで、睦月はそうやって、今このタイミングで呼ぶかなって時ばっかり、俺のこと、呼び捨てにっ」
「ごめん。だって、千佳志さんって呼ぶと可愛い顔するし」
「もぉ……」
また、泣いちゃったじゃないか。こんな駐車場で、こんな夜中に、人のこと、子持ちのれっきとした成人男性を泣かせないでよ。
「千佳志……」
「言うよ」
「……」
「一生、言う」
大好きな君に。
「おかえり、睦月」
他愛のない愛の言葉を、一生言うから。
「……ただいま、千佳志」
一生、愛のこもった返事をして。
「……好きだよ」
俺がそう言ったけれど、君はキスで同じ告白をしてくれた。甘く優しく幸せなキスで。
あぁ、そっか。この時間はあんなところにお月様があるんだ。俺の背後、今、君が俺を見つめているその瞳の中に、綺麗な三日月が、ほら、あった。
「……伊都がいない夜って、初めてだ」
いつもと変わらない天井にベッド。そして、いつもなら寝ながらとっても元気な伊都がここにいる。もう小学生だから、そろそろ、ひとり部屋、必要だよね。
ひとりで眠りたい夜もあった。
不安で押し潰されそうで、伊都の小さな手をそっと、起こさないように握って眠る夜も。
突然大泣きした伊都にこっちが泣きそうになるよる夜も。少し伊都との暮らしに慣れてくると、夜にいきなり泣かれる度に、あぁ今日は何か刺激的なことがあってびっくりしたんだろうなって、半分寝ながら背中をぽんぽんって、したり。
色んな夜があったけど、伊都のいない夜はなかったなぁ。
「どんな感じ?」
「変な感じ」
伊都がいないと変に静かだ。
「あ、ごめん、足触っちゃった」
そっか、伊都は小さいからこうしてても足平気だったけれど、睦月と一緒に眠ると、こんなふうに足がぶつかるんだ。これからは、そっか、くの字になって寝るんだったら。
「千佳志さん? なんで笑ってるの?」
「え? なんか、睦月がいるなぁって思って」
「なんですか、それ」
あ、むくれた。真っ暗だけれど声でわかる。
「ひとりで寝たかった?」
「なんで? 俺が一緒にって言ったのに」
「そうだけど」
君がいる。そう思ったら、嬉しかったんだよ。嬉しくて、心がぴょんって跳ねてくすぐったかったんだ。それで笑ってしまった。
「ねぇ、睦月」
「……はい」
「ひとつ、お願いしてもいい?」
いつもはね、俺が伊都を抱えて眠るんだ。背中さすったり、頭撫でてあげて寝かしつけてる。今日はふたりだけだから。
「……こうしても、いい?」
君より年上だけど、いい? 君に甘えても、いい?
「もちろんです」
男同士だから、君も俺に寄りかかっていいよ。
「……あったかい、睦月の胸」
「千佳志は、イイ匂いがする」
同じシャンプーなのに? そう言ったら、なんだか甘く感じるんですって言ってくれた。眠れるかな。嬉しくてドキドキして、君の背中に回した手をぎゅっとしたら少しは落ち着く? でも、どっちかっていうとそわそわしてる。
抱き合って、君の胸に顔を埋めて、君は俺の頭にキスをしながら、今夜は一緒に眠ろう。いつか、伊都に話をして、伊都が受け入れてくれてさ。そしたら、今度は三人で眠って、でも、そう遠くない未来、彼が子ども部屋で眠るようになったら、そしたら、またこうして一緒に。
「おやすみ……千佳志」
「……うん」
ずっと、一緒に眠りたいなって、思ったんだ。
「そろそろ、伊都君帰ってきますよね」
「あ、うん、そうだね」
時計を見ると、ねえちゃんから連絡があった時間にもうすぐなろうとしていた。
「そしたら、俺は」
「いて?」
腰を上げようとした睦月を引き止めた。伊都が帰ってくる前に家の掃除とかしてて、睦月は風呂洗ってくれて、ひと段落ついたところ。お茶どうぞって出したばかりだし、それに。
「いてよ。一緒に、おかえりなさいって、言おうよ」
「……でも」
「おとおおおおおさああああん!」
「あ、帰って来た」
「千佳志さん!」
「……だって、このあと、夕飯、三人で食べるんでしょ?」
だから、一緒におかえりって言いたい。伊都はきっと、コーチに言われて喜ぶから。
「ただいまああああ! あ、コーチ! ねぇねぇ、コーチあのね!」
玄関から飛び込んでくるなり、少し緊張していた睦月のことなんておかまいなしに目の前で跳ねて、ねぇねぇ攻撃開始だ。初めての秋祭りがどんなだったか、道端で見つけたカマキリにちょこっとだけど触れたこと、川の水が冷たかったこと、それに、あれもこれも、たくさんコーチに話したいことがあるんだって、大興奮してる。
「それでね? 今日、一緒に、このふりかけでご飯食べようよ!」
人生初、伊都が選んだお土産。家族にと買ってきたふりかけで夕飯をって、俺にじゃなくて、コーチに言う伊都はなんだか、たったの一泊なのに少し背が伸びた気がした。
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