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楽しい花火大会編 1 夏が来た
夏は……好きじゃない。
悲しい気持ちが、足を入れたらどこまでも底に触れることのない冷たい水底に沈んでいくような気持ちが、自分のすぐ隣に居座っているような気がするから。
冷たくて、触れられた瞬間、身体の芯が震え上がるような絶望が、すぐ隣で、俺の肩を撫でてくるような気がして。
水は怖くなくなった。もう夜に悲しみと喪失感で、ただ、涙が溢れてくる、そんなことはなくなった。
けれど。
それでも、夏は、気持ちが日陰に寄っていくような感じ――。
「花火大会に?」
「うん……そう」
ありゃ……なんだか、また、なんとも言えない、伊都がたまにする、不思議な表情を浮かべながら、コクンと頷いた。
思春期、ってやつなんだと思う。
子どもとも、大人びた、とも違う、不思議な表情。
「来週、だっけ?」
「そう。玲緒が行こうって言ってくれたんだけどさ」
「よかったじゃん」
でも、伊都の表情はちっとも良くなさそう。
「女の子がいた、とか?」
「! 俺、玲緒と、クラスの奴らと行くんだと思った」
玲緒くんはスイミングで仲良くなった子だった。伊都がスイミングを習うのが大きくなってからだったこともあって、最初は小さな子たちに混ざってのレッスンだった。睦月がコーチで、その睦月が伊都にとってのヒーローっていうか、泳げなかった自分にしてみたら、まるで魚のように泳ぐ睦月はたまらなくかっこいい存在だったと思うし。彼の分け隔てなく、優しく寛大で、けれど、的確な指導の仕方は痺れるくらいに、かっこよかったんだろう、他の子たちが小さくて、自分だけが大きいとか、そんなことも気にならない様子だった。毎回、プールに通うのが楽しくて楽しくて、その中に玲緒くんがいた。同じクラスにいた、唯一の同じ歳の子。玲緒くんは世話をするのが上手な子で、マイペースすぎる伊都のことを良くリードしてくれる、頼もしい存在だった。
すごく小柄な子なんだけど、なんだろうね。芯があって、大人っぽくて、伊都よりもずっとしっかり者で。
「塾で一緒の子なんだって」
「へー」
「んで、玲緒と遊んでた俺のことを、なんか……」
なるほど、玲緒くんが橋渡しをしてくれようとしてるのか。なるほどなるほど。
「行ってくればいいじゃん」
「えー……」
けれど、伊都は多分、男子だけ、というか仲の良い子たちだけでワイワイ行きたいんだろうなぁ。なんだろうね。伊都のたまに出る、人見知りというか、なんというか。
「駅前の花火大会でしょ?」
うーん、ちっとも行きたくなさそう。
「知らない子がいたって、友達になればいいじゃん」
えー、そういうのじゃないっぽいんだよ、と、まだ少し幼さが残っているほっぺたにちゃんと書いてあった。
「お父さんたちは?」
「睦月とうちで見てるよ」
「えぇー」
じゃあ、そっちが良いよって、今度は反対のほっぺたに書いてある。
「行っておいで。俺も睦月もその日はのんびりしちゃおうと思ってたから」
じゃあ、俺ものんびりする、って、今度は額に書いてある。
「千佳志さん、ただいま。ほら、せっかく誘ってくれて、行くって言ったんだろ?」
「睦月!」
「伊都もただいま。郵便受けのもの取ってきた」
「あ、ありがとう」
睦月がプールから帰ってきた。あぁ、もう。ちゃんと乾かしてから帰ってきてって言ったのに。濡れ髪のままで帰ってきて、途中、バスの冷房で風邪をひいたら、どうするの? って、慌てて、タオルを手渡すと、ふわりと笑ってくれる。
もうほとんど乾いてるから大丈夫だよって、それは使わずに、まだ毛先はしっかり濡れてる髪をかき上げた。
「もう玲緒には行くって約束したんじゃなかったっけ?」
「……した」
「じゃあ、約束は守らないと」
「けど、玲緒が勝手に」
「でも、この間、スイミングで初めて来た子にたくさん話しかけてなかったっけ? 伊都」
「それは、」
そうなんだ。伊都のクラスに、かな。
「だって、初めてで初級クラスで、小六じゃ、ちょっと居づらいかなって」
「うんうん。それで、一緒に泳いでもいいですか? って、言い出したのは誰だっけ」
「だって、誰か近い年齢のがいたら、居づらくならないかもって」
そんなことがあったんだ。
「そういうの大事だと思うよ」
「!」
「先入観を持たない。誰だって、話してみたら楽しいかもしない。良い奴かもしれない。そう思って」
「……」
伊都は睦月に弱いんだ。
けっこう頑固で、そういうところはどっちに似たんだろう。とにかく自分なりの考えがあることは、どうやっても曲げようとしない。けれど、睦月に言われると、なんだか、うーん、と唸りながらも曲がってくれたりする。
さすが、ヒーローだ。
「駅まで送ろうか? 花火大会」
「……平気」
「そう?」
「わかった」
まだ不服そうだけれど、コクンと頷くと、伊都が中学生になったらと持たせてもらったスマホで玲緒くんに、なのだろう、何かメッセージをぽつりぽつりと打ちながら、不服顔のまま、どかっとソファに座った。ちゃんと反抗期なんだよね。けれど、自室には行くことなく大抵の時間をリビングで過ごしてる。
それがいつか、自室に籠りっきりになるのかなぁ、なんて。
「そっか、来週は花火大会なんですっけ」
「あ、うん」
「あー、そっか」
「?」
「あ、いや……まぁ、一応、エントリーしただけなんですけど」
「?」
「水泳の大会に出ようかなぁって思ってて」
「「えぇ?」」
「応援を」
「「行く! そこは!」」
親子で二度もハモってしまった。だってだって、睦月が水泳の大会に出るんだもの。
「あはは、ありがとう。じゃあ、昼間だから、応援頼みます」
「「はい! もちろん」」
そっか。夏だと、睦月が真剣に泳いでるところが見れたりするのか。
そっか。
睦月は体調のこと、それから仕事のこともあって、あまり率先して大会には出ないでいた。冬にも大会はあったはずだけれど、年末で仕事が忙しいからと言ってた。
「よろしくお願いします」
「「はいっ」」
そして、元気な返事を親子でしたら、伊都がつけたテレビの方から、今日、梅雨明けとなりましたと、アナウンスが聞こえていた。
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