50 / 113

うさ耳クリスマス篇 2 あったか鍋

『あ、千佳志? ね、今年のクリスマスはどうする?』 「あー、うん、ごめん、ねーちゃん。あのっ」 『だよねぇ、初めてでしょ?』 「……うん」 『楽しんでね』  ありがとう、そう言って、ねえちゃんが笑って、電話が終わった。 「寒いな……ふたりとも冷えて帰ってくるかな」  大掃除も終わって、一息ついたと思ったら伊都が自転車に乗りたいと言い出した。この寒い中? もう夕方だよ? って、驚いていたら、睦月がジョギングついでに伊都のサイクリングに付き合うよって。スイミングで鍛えている睦月と、元気いっぱいな伊都はまだ体力が有り余ってるみたいだけど、正直、俺は大掃除だけで充分ヘトヘトだった。一時間くらいで戻るって言ってたから、そろそろ帰ってくるかな。  帰ってきたら、そのままお風呂入っちゃったほうが温まるか。 「お風呂つけておこう」  お風呂を沸かそうと立ち上がった。いつもだったら、あまり気にならないスイッチを入れた時に聞こえる電子的な女性のアナウンスがやたらと響くのは、俺しかいないから。  こんなに静かだったっけ。  三人だと大掃除も半日で終わってしまう手狭なマンション。いつもは賑やかで物音が気にならないけれど。こんな時、睦月がいるおかげで、明るさも楽しさも、賑やかさも、伊都と二人暮しだった時以上にすごく増したんだなぁって実感する。  睦月がいる初めてのクリスマス。  プレゼントはもう決めてあるんだ。彼は自転車で通勤だから、皮の手袋。しっかりしているから自転車に乗ってても寒くないし、丈夫だから、擦れてすぐにダメになってしまうこともない。ほらニットの手袋だと、自転車のハンドルを握っているせいか、すぐに穴が開いてしまうんだ。  伊都へのクリスマスプレゼントは新しい自転車用のヘルメット。保育園から使っているそれは少しだけきつくなってきたから。  睦月が自転車に乗っているせいか、伊都は自転車も水泳も大好きなんだ。ヒーロー、なんだろうね。  そう思ったら、嬉しくて、楽しくてつい笑ってしまう。 「……」  こんなに楽しいクリスマスは、久しぶり。  いつもどこかで、寂しさを感じてしまっていたから。麻美がいなくなってから、二人っきりのクリスマスは俺には悲しすぎて、伊都にとっても少し物足りないだろうし、って思って、毎年、実家で過ごしていた。そしたら、人の多さに気が紛れる。  毎日の中ではそこまで感じないけれど、こういう時、二人っきりなんだと、すごく実感してしまって、たまらなかった。 「たーだーいーま! おとおおおおさぁぁん!」  ひとりだと自分の溜め息すらとてもしっかりと響いてしまう。そんな静けさを一瞬で壊してくれる大きな声。 「おかえり、寒かっただろ。今、お風呂を沸かしてるから、パジャマ自分で用意して」 「はぁぁい」 「ただいま。千佳志さん」 「おかえりなさい。今、お風呂を」 「あ、はい」  ずっと胸にあった年々小さくなっても決して消えることのない寂しさを壊してくれた、大きな、存在。 「ただいま、千佳志」 「っ」  挨拶のキスひとつで、俺は真っ赤になってしまう。もう幾度も君に抱かれているのに、いまだに、こういう触れるだけのキスでさえ、うろたえてしまうんだ。そして、そんな俺を見て、嬉しそうに笑う君に、恋心がふわりとまた胸のうちに募っていく。  恥ずかしいな。年上なのに。照れ臭くて、こそばゆくて俯いたら、頭のてっぺんにキスがひとつ降ってきた。 「伊都と一緒に入っちゃいますね」  今年初めて、君がいるクリスマスを迎える。 「どうぞ」  その日を指折り数えて心待ちにしている自分が、愛しいと思える。君のおかげで。 「ええええ! これ、睦月なの?」 「そう」 「ぶほっ! すっごい……変っ!」  大掃除を終えた部屋の中な物の配置を変えたわけでもないのに、どこかスッキリして見えた。  先にお風呂を済ませてから三人で鍋を囲んで、ふたりだけで出掛けたサイクリングとジョギングの話を聞いて、笑って、もっと大笑いして、少し食べすぎなくらいお腹いっぱいになった後。 「ウソみたーい!」  今は食後に皆で蜜柑を食べながら大掃除で発見した睦月の学生時代のアルバムを眺めていた。  うさぎの耳をつけて、爆笑しながら大学の友人達と揉みくちゃになって撮った、楽しそうな写真。 「ね、ね、お父さん、睦月がっ、ぷくくくくっ、あははは」 「うん」  鍋ってこんな感じなんだね。三人で囲む鍋は、麻美ともできなかったんだ。まだ伊都はその頃小さかったから。だから、こんなにあったかくてまんぷくになれるなんて知らなかった。実家にいた時の自分は幼すぎてそんなことを感じたりしなかった。でも、今はすごくいいなぁって思える。鍋、好きだなぁって。 「これはね、クリスマスパーティーで踊ったんだ」 「えー、クリスマスパーティーってこういうことすんの? なんか楽しそう」  今年は、じゃなくて、今年からは三人でクリスマスを過ごして、そして、いつか、伊都は親離れとかしてさ。この写真の中の睦月みたいに、友達と騒ぐんだろうか。そんな先のことを考えただけでも愛しくて、くすぐったくて、自然と笑顔になれる。  でも、睦月には……ちょっと、物足りなかったりとか、するかもしれない。 「ね! 睦月、もう一回これしてもいい?」 「うさぎ? どうぞ」 「やった!」  伊都が嬉しそうに、うさぎの耳を握り締めて、鏡のある洗面所へと駆けて行った。 「千佳志さん」 「んー?」 「俺、すごく楽しみにしてるんです」  洗面所から伊都の声が聞こえてくる。ひとりでうさぎの耳をくっつけては、何か笑いのツボに入ったのかケラケラと楽しそうだ。 「貴方と、伊都と、三人で過ごすクリスマス」 「……」 「だから、まだ若い俺は恋人とふたりっきりで過ごすクリスマスのほうがよかっただろうに、とか」  伊都の笑い声はまだ洗面所から。 「そんなこと思わないでくださいね」 「……」 「俺も、家族、でしょ?」  一瞬だけ。俺たちが愛しい気持ちを伝えるためのキスはいつだって、一瞬だけだけれど。 「……睦月」  その一秒くらいの短い時間でこんなにも気持ちが満たされる。触れて、離れた唇が愛しくて、その唇が微笑んでくれるだけで、こんなに幸せになれる。 「ジャジャーン!」 「おおおお! 伊都、そのままダンス」 「えー、やだよ。恥ずかしい」  伊都が照れ臭そうに笑って、睦月が無邪気に笑って、俺はそんな二人に自然と微笑んで、なんて、温かい場所なんだろうって、いつも感動してるんだ。

ともだちにシェアしよう!