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バレンタインSS 4 まだ冷たいから

 傘を、持ってないと思ったから。君が濡れて冷えて風邪を引いてしまうと大変だから、傘を持って、迎えに行って、一緒にバスで帰ってこようと思ったんだ。 「もう、何してるんですか」 「……はい」  サク、サク、二人分の足跡がいくらでも降って積もって行く白い雪の上に残って行く。 「置き傘あります。貴方も帰れなくなったらどうするんです」  雪で視界はあまり良くなかった。君は誰か女性に告白とチョコを差し出されていて、困ったような、驚いたような顔をしていた。君に好きだと伝えていた彼女は細い肩で、俺なんかよりも細くて、この雪の中、歩いていたら雪に埋もれてしまうかもしれないって心配になるくらい、ちゃんと華奢な女性で。 「……さっきの女の子は?」 「……チョコも気持ちも受け取りませんよ」 「でも、この雪で彼女の帰りは」 「大人なんだから、タクシーでもなんでも捕まえられます」  大人の女性なんだ。遠かったし俯いてたから年齢まではわからなかった。 「伊都は?」 「玲緒君のところに泊まるって。雪遊びたくさんしたいから、泊まらせてあげて欲しいって向こうのお母さんから連絡があった」 「……そうですか、ほら、手」  話していたら、滑りそうになった。すんでで堪えたけれど、それを察知して、睦月がスッと手を差し伸べた。 「へ、平気だからっ」 「俺が平気じゃないんです」 「でも」  みんな、雪道に気を取られていて、こっちの事なんて気にしないだろうけれど、雪で滑りやすいのを支えあうためなんだろうって思うかもしれないけれど、男同士で手を繋いでいたら。 「いいから」  躊躇う俺の手を睦月が強引に掴んだ。そして、また仏頂面で歩き出す。 「……ごめん」  さっき転ばしてしまった。俺が滑って転ぶのを抱きかかえてくれた君ごと倒れ込んでしまって、俺は平気だったけれど。 「睦月、肩とか打ってない? 水泳選手なのに」 「俺は怒ってます」 「……」  うん。わかってる。君の背中がそう言ってるから。  雪はどんどん激しく降って、バス停まで行くのも大変なほど。誰もが家路を急ぐ事に集中していて、静かだから、俺たちが踏みしめる雪の音と、君の声がよく聞こえた。 「こんな大雪の中、傘を届けるだめだけに来たりして」 「……それは」 「留守番しててくださいって言ったのに。貴方が風邪を引くのは、伊都が風邪を引くのと同じくらいにイヤなのに」 「……ごめん」 「俺が、女性に告白されてるからって、どうして、貴方が遠慮して立ち去るんです」 「それは」  だって、とてもお似合いに思えてしまった。これだけ寒い中、雪が降りしきる中で、あんなの緊張して肩に力を入れた彼女は俺から見ても儚げだった。その繊細な姿に、もしも、君が――そんなことが脳裏をよぎったら、足が勝手にその場から逃げ出していたんだ。 「水泳をもう一度やってみようって思わせたのは、貴方です」 「……」 「貴方じゃなかったら、俺は今でも、本気で泳ぐことはしてない」 「……」 「そのくらい貴方は俺の中ですごく大事なのに。その貴方が一番それをわかってない」 「……」  君が他の人に触れるところは見たくない。そんなのしないってわかってるのに、それでも、いらないヤキモチをやいてしまう。  バカなんだ。 「もっと、貴方の全部を大切にしてください」 「ごめっ」  君のこととなると、バカになってしまう。 「そんな大切な人をどんな理由でも、この雪の中で泣かせた自分が」  見境いなしの大バカになってしまうんだ。 「……すごく、ムカつく」 「あっ、はぁっ……ン」  バスのダイヤはおおいに乱れて、自転車なら十分ちょっと、普段ならバスと徒歩で三十分くらい。それなのに一時間以上もかかってしまった。 「あっ……ン」  バスはいくら待ってもやって来なくて、もうすっかり冷え切って、足はかじかんで痛いくらい。指だって、もう氷を触っても何も感じないくらいに冷たい。でも、君と繋いでた手だけは体温が残ってた。バスを待っている間も、バスに乗っても、降りて、そこから自宅のアパートまで帰る道でもずっと繋いでいた。 「千佳志っ」 「あっ」  そして、うちに帰った瞬間、玄関で抱きしめられて、冷え切っていた身体がじんわりと熱を持った。 「触って、睦月」 「待って、千佳志、今、俺の手冷たいから」  抱きしめてキスしてくれる睦月の手を握って、掌にキスをする。そのまま、自分の服の中へと入れてあげる。 「ひゃっ」 「ほら、言ったでしょ? 冷たいんだって」 「……しいから」 「? 千佳志?」  君が「ムカつく」なんて、乱暴な言葉を使った。伊都もいるし、子ども相手の仕事だからか、いつも丁寧で綺麗な言葉を使う睦月がそんなことを言ったのが……ごめんね。俺は、嬉しかったんだ。いつも朗らかでどんな時もどんな相手にも大らかに接する君を、唯一、あんなふうに苛立たせられる存在に自分のことが思えて嬉しかった。それに――。 「君に頼っていいって言ってもらえて嬉しかったから」 「……」 「睦月にも頼られたかったんだ。君に寄りかかって、欲しかった」  その懐に擦り寄って、額を厚い胸板に預けて、そっと告白をする。雪の中ひとりで帰ってくるのって、少し心細いというかさ、ちゃんとうちに帰れるかなって心配になったりするから。迎えに行ってあげたかった。そしたら、遭難しても怖くないだろ? あと、いくらバスが来なくても話し相手になれるし。って、思ったけれど、怒らせてしまったから、ずっと無言だったけれど。あと、傘ないと困るって、持っていけば、きっと君の役に立てると思ったんだ。 「千佳……」 「子どもみたいだけれど、君に、ありがとう、って言ってもらって、喜んでもらいたかった」 「……」  君にされて嬉しかったことをしてあげたかった。寄りかかって頼って、そして、安心させてくれる君へ、同じことをしてあげたいって。 「はぁ……」 「む、睦月?」 「もう……貴方は」  あんなに冷え切って、かじかんで、身体が凍ってしまいそうだったけれど、今、睦月は真っ赤になりながら、口元を掌で覆い隠してしまった。これは、彼の照れた時の、クセ。俺の、ひとりでなんでもやらないと、っていうクセは悪いクセだから直さないとだけれど、このクセは……うん。直さないでいいよ。そっと内緒にして、俺だけが見抜いてる、君のクセとして、そっとしておこう。 「玄関で激しく抱こうと思ったのに」 「なっ!」 「お仕置き。でも、やめた」 「睦、うわああああ!」  ふわりと浮いた、のではなく、睦月が俺を抱きかかえてしまった。抱っこで、ぐんと、自分上半身分、上へ持ち上げられた。 「優しく、めちゃくちゃ優しく抱くことにした」 「!」 「世界一、甘やかすことにしたから」  そう言って寝室へ歩き出そうとする。  だから慌てて止めると、ものすごく不機嫌そうな顔をしていた。さっき見せた怒ってる顔をじゃなくて、スネて不貞腐れる一歩手前って顔。 「違うんだ。あの、抱かれたくないとかじゃなくて、その、それは、あの、こっちこそ、お願いしたいくらいで」  モソモソと本音を打ち明けると、それだけで、君の不貞腐れが直ったのがまた可愛くて、胸のところがキュンとする。 「その、冷蔵庫へ」 「?」 「あの、下ろして?」 「それはダメです。何? 喉が乾きました?」  どうしても下ろしてはもらえないらしく、取りたいものがあるのなら、このまま自分が取ってやるからと、何が欲しいのか催促される。 「あの、じゃあ……冷蔵庫のその、右側の、お豆腐をどかしてもらえると」  お豆腐を積み上げて、そこに隠しておいたんだ。 「……これ」 「チョコ。バレンタインだから。その、睦月にって、俺は女性じゃないけど、でも! 海外では、恋人とか夫婦で、気持ちを伝え、……ン」  睦月の唇はまだ少し冷たかった。そして、その鼻先もまだ冷たい。いや、鼻先は少しどころじゃなく冷えてる。 「だから……」 「ホントに、もう……貴方は……」  本当はまだその指先も冷たくて、髪も、頬も、心配になるほど氷のようだから。 「早く、睦月」  早く寝室で温めてあげたいんだ。 「俺のこと、温めてくれるの? 千佳志」  だから、早く、寝室に俺を運んでくれないか?

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