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バレンタインSS 5 チョコにした理由

 すぐに溶けてしまうチョコレートなんだ。繊細で、口に入れた瞬間、ふわりと舌の上で溶けてしまうから、伊都とね、帰り道すごく急いだんだ。都会で人がかなりたくさんいて、伊都はあれもこれもすごいって、楽しそうに周囲を見渡していたけれど、帰りは真っ直ぐ、寄り道しなかったんだよ?  睦月のために買ったチョコレート溶けちゃうよって、電車の中でもずっとそわそわしてた。保冷剤を入れてもらってるから大丈夫だよって言っても、暖房の効いた車内に落ち着かない様子で。帰って、即、冷蔵庫に隠したんだ。  ――よかったね。お父さん。  俺と同じくらい嬉しそうにしてくれたのが、とても、嬉しかった。  本当はね……買わずに帰ろうかと思った。あまりにも混雑している店内に、女性ばかりの中で買うことに、ためらってしまったけど、でも、買ってよかった。 「どう?」  その中から睦月が一粒、ビターを指で摘んで、口の中に放り込む。伊都がやったらきっと怒るだろうね。ベッドの中でチョコレートを食べるなんて。 「……すごい、本当に一瞬で口の中に広がりますね」 「うん。試食させてもらって、即決めた。見た目はシンプルだけど、とても美味しかったから」  人気店舗がひしめき合う中、端の目立たないところにあったのだけれど、俺はとても気に入ったんだ。まるで、誰にも知られてない名店を独り占めしているような、そんな気分にもなれた。自分たちだけが知っているご馳走みたいな、その密かで、こっそりとした感じにドキドキもした。 「それでね、これの味をいくつか試食させてもらったんだけど、俺は、ビターがいいかなって。睦月はあまり甘いの好きじゃないから、あと、この前ホワイトチョコ好きって言ってたから、そのふたつを箱に詰めてもらった。味も選べて、それでラッピングだって丁寧に、リボンの色も……選べ……て」  睦月がこっちをじっと見つめていた。その視線がやたらと優しくて、こそばゆくて。 「は、はしゃぎ、すぎだね」  君より年上なのに、女の子じゃあるまいし。バレンタインにチョコだなんて、って、急に気恥ずかしくなった。 「いえ、とても可愛いです」 「なっ」 「俺も、貴方にバレンタインデーだから、プレゼント用意したんです。スパークリングワイン」 「え?」  睦月は、ひとつ唇にキスを落として、それを鞄から取り出した。冷蔵庫で冷やす手間が省けましたね、なんて笑って、高価そうなそれを開けてしまう。  ポン! って、楽しげな音が寝室に響いた。  グラスがない。そう思って立ち上がろうとしたけれど……伊都が見たら、「こらっ!」って怒るかな。グラスに注ぎもせずに、ボトルに口をつけて、そのまま飲むなんて。 「……っん、ン、……んくっ」  そして、それを口移しで飲まされるなんて。 「どう? 美味しいですか?」 「ン、美味しい、よ」  恥ずかしい。君から口移しでもらうお酒も、君は大人のバレンタインプレゼントを用意してくれたのに、俺は、子どもみたいな、女の子みたいな、チョコレートにしてしまったことも。 「よかった。飲みやすいのを選んだつもりだったんだけど、素人だから」 「……」 「けど、俺もチョコをあげればよかった」  でも、俺は君にチョコをあげたかったんだ。 「俺へチョコを差し出す貴方がはにかんでるのが、たまらなく可愛くて、どうにかなりそうだから。また、こんなに好きになったから」  俺の首を自分のほうへと引き寄せ、ひとつ残念そうに溜め息を零す。 「貴方にも、俺のこと、このくらい、好きになってもらいたい」 「……ぁ」  なんて思ったんです、って君が困ったように笑った。俺はその唇に唇で触れて、離れて、その肩にしがみつく。 「あの……あ、の」  どうしても、チョコがよかった。 「俺は、男だから」 「わかってます。これ、有名なところのなんでしょう? 買うの大変じゃなかったですか? きっと女性客も多かっただろうし、恥ずかしがり屋な、貴方は」 「女の子には勝てない」  あんなふうに華奢な肩はしていない。雪の中、切なげに告白をされたら思わず抱き締めてしまう、そんな儚げな女の子にはなれない。父親で、社会人で、年上で……男だけれど。女の子にはなれないけれど。 「でも、大好きなんだ」 「……」 「可愛い女の子には到底かなわないかもしれないけれど、でも、君に食べてもらいたくてチョコ選んで、ドキドキしながら隠して、それで、その」 「……」 「恋を、してる、って、伝えたくて」  いつもは所帯じみてしまうだろ? その、洗濯物出してください、とか、ご飯、今日何合くらい炊きましょうか、とか、会話に恋の欠片がちっとも入ってなくて、地味な感じだけれど、俺は、ちゃんと君に恋をしてるって伝えたかった。家族だけれど、それだけじゃなくて。 「あぁ、もう……」 「むつ、ン……んんんっ」  奪うようにキスをされた。舌を差し込まれ、くちゅりと音を立てながら、唇を吸われ、舌にしゃぶりつかれる。濃厚なキスに唾液が舌を伝って流れ込んできて、喉を鳴らしてそれを飲むと、ほんのりとチョコの味がする。 「誰も、貴方には敵わないですよ」  ビターを買ったはずなのに、君のくれたキスで味わったチョコは、店で食べたミルクチョコレート以上に甘くて、ドキドキした。

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