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ただ、あなたに会いたいだけなのに

 僕は謁見の間を飛び出した。  宰相としては完全な失態だ。  だが、あのまま留まれば、僕は失言を繰り返していただろう。  ヴァニタス・アッシュフィールドが憎かった。  奴の父親のせいで。  奴の母親のせいで。  そして奴のせいで姉さんは悪女と罵られた。  更に、奴のせいで姉さんがアッシュフィールド家の離れ屋敷に幽閉された。  ヴァニタス・アッシュフィールド……赤津孝憲は、どうせ転生者としては役に立たないのだ。  あのまま死ぬまで離れ屋敷に幽閉され続ければ良かったのだ。  そう……思っていた。  柚希颯志が“姉が転生者だ”と口にするまでは。 「そんなの聞いていない……一言も」  姉が隠していた?  魔王が隠していた?  それとも柚希颯志が嘘をついている? 「いや、あの場で柚希颯志が嘘を吐くメリットがないな」  しかも、僕以外に驚いている者はいなかった。  ヴァニタス・アッシュフィールドは勿論、ユスティート陛下も、セオドア先王陛下も、スヴェンでさえも驚きはしていなかった。  つまり、姉と魔王が隠していたのだ。 「どうしてだ……姉さん、魔王!?」 「やっぱり、柚希さんは本当に邪魔だ。俺の計画を悉く台無しにする」  自室の鏡が真っ黒になり、魔王の姿を映し出す。  黒髪黒目。  黒いパーカーに黒Tシャツの中学生くらいの少年。  こいつも柚希颯志と同じように、前世の姿に変身できるタイプの魔物なのだろう。 「姉さんは!? 姉さんは本当に転生者なのか!?」  鏡に向かって叫ぶ僕に、魔物は溜め息を吐いた。 「煩せぇな。お前それでも大人かよ? 元刑事かよ?」 「…………っ!!」 「そういうすぐ感情的になるところが、刑事に向かなかったんじゃねぇの? だからドロップアウトしたんだろ?」 「だま……れ。黙れ!! 大人の苦しみを知らないガキのくせに!!」 「あぁ、知らねぇよ。知りたくもねぇな」  鏡から魔王の姿が消える。  ……が、それは一瞬。  すぐに魔王は鏡に戻ってきた。 「アンタの姉が転生者なのはその通りだ。俺がアンタに隠したのも事実だ」 「何故だ!!」 「さぁね」  魔王は僕を嘲笑する。  鏡を叩き割ってやりたいという衝動を必死に堪える。 「アンタの姉に聞けばいい……つっても無駄か。マドリーンはヴァニタス・アッシュフィールドの結界が張られた離れ屋敷の中だ」  ヴァニタス・アッシュフィールドの結界? 「ヴァニタス・アッシュフィールドが敵認定した者は、ヴァニタス・アッシュフィールドの結界内には入れない。お前はとっくの昔に敵認定されてるだろ? それじゃ奴の結界内には入れない」 「そん、な…………」  姉さん。  僕は姉さんに会いたいだけなのに。  会って話を聞きたいだけなのに。 「結界内に入る方法は2つ。1つは、ヴァニタス・アッシュフィールドに味方認定、もしくは無害認定してもらう。もう1つは、ヴァニタス・アッシュフィールドを殺す」  ヴァニタス・アッシュフィールドを……奴を殺す。 「俺としては是非後者を選んでもらいたい。ラスティル王国中に奴の結界が張られるのは厄介だ。それに、流石に奴が死ねば柚希さんも戻ってくる気になるだろ」  奴の傍には柚希颯志がいる。  ジェラルド・ティアニーも奴の護衛につくようだ。  そして更にスピルス・リッジウェイも……。  僕に、奴が殺せるだろうか。 「良い報告を期待しているぞ。アレクシス・ピンコット……いや、黒須晶仁」  そう言い残して、魔王は今度は完全に姿を消した。  自室が静寂に包まれる。 「ヴァニタス・アッシュフィールドを殺す…………」  ベッドの上に横になり、僕はそう呟いた。  できる……筈だ。  僕は前世では立派な殺人者だ。  多くの罪無き者を、安楽死の薬をばら撒いて殺した。  今世でも、できる筈だ。  ヴァニタス・アッシュフィールドを殺す。  そして結界を消し、姉さんを助ける。  姉さんに会って話を聞く。  今度こそ、感謝と愛を伝えよう。  姉さんがいたから、今僕はこの世界に存在できるのだと……。

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