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第10話

昼休み、クラスの誰とも仲良くない凪は、必然的に誰かと一緒にご飯を食べる予定がない。それなのに昼休みになるとどこからともなく女の子たちが集まってきて、凪の周りを取り囲んでいる。孤独でいるのとどちらがいいのかよく分からない。このまま永遠に同性の友達はできないのかもしれない。そんなものが必要なのかどうか、凪にはよく分からなかったけれど、中学の時はもう少しマシに同性ともコミュニケーションをとっていたような気がする。それはモデルのバイトを始める前の話だから、同性に煙たがられる前の話になるが。凪は流されるままにそのまま自分の席で、家を出てくる時に波多野が渡してくれた昼ごはんのためのお金で、学校に来るまでにコンビニに寄って買ってきたパンを齧っていた。波多野の家にいると、波多野は毎日昼ごはんのお金を渡してくるが、実はそんなもの凪には必要がなくて、凪は陽毬からクレジットカードを持たされているので、大体それで欲しいものは買う。凪の名義の口座には、陽毬から時々小分けにするのが単に合理的でないという理由だろうと思うが、結構な額の入金があり、プラス微々たる量だがバイトのお金もそこに振り込まれるようになっていた。波多野も多分それに気づいているのだろうけれど、何も言わずに毎日昼ご飯の小銭を用意している。そして凪はその善人の父親の顔を曇らせたくない一心で、それを無邪気に受け取ってこうして消費しているのだ。 「・・・でさー、あっちゃんマジでやばいよね」 「うん、ほんと、あれはなかった」 凪の周りに座っていた女の子が一斉に笑い出して、凪は考えていたことを中断させなければなかった。女の子たちと一緒にいるのは楽だ。別に凪が率先して喋らなくても話題を提供しなくても、彼女たちはひとりでに喋る機械みたいにその口をぱくぱく動かしている。凪はそこでつまらなそうな顔をしていたって、一緒に曖昧に笑っていたりしてもいい。それを女の子たちが気にしているのは知っていたけれど、だからと言って彼女たちは何も凪に強要してこないし、凪も彼女たちに興味がないので、反応をいちいち頭で考える必要がなかった。こういうところは、多分陽毬に似ているのだろうなと凪は勝手に思っている。陽毬は感情では絶対に動かない。状況を頭の中で整理して、一番合理的である方法を選ぶ。そして彼女の考える合理性と、世間一般の価値観はおそらくひどくずれている。だから彼女はいくら神童でも優秀でもひとりでいるのだろう。 「オイ、花森」 ふっと頭の上から声が降ってきて、凪は反射的に顔を上げた。そこには渋い顔をした担任が立っていた。そういえば授業が終わったら職員室に来るように言われていたなと思ったけれど、凪はそれをそこで担任の顔を見るまで、すっかり失念していた。ちなみに凪の苗字は花森といって、それは母親である陽毬と同じだった。陽毬と波多野は結婚していて、息子の凪の目から見ても、別段仲が悪いわけではなさそうなのに、何故か凪が物心ついたころには別居していたし、多分それ以前から現在に至るまで別姓を貫いている。別居や別姓の理由を一度陽毬に聞いたことがあったけれど、彼女はいつもみたいに感情のない冷たい目をして「そのほうが合理的だから」と答えただけだった。陽毬の答えなんて聞く前から決まっているようなものだったけれど、凪はそれに欲しかった回答を少しも得られなくて落胆をしたことはよく覚えている。 「・・・はい?」 「お前、ちょっと職員室に来い」 言いながら担任は半身になる。面倒臭かったけれど、凪はそれに反論のしようもなかったし、ここではそんなことを許してくれる大人はいなかった。仕方なく食べかけのパンを机の上に置くと、凪は椅子を引いて立ち上がった。担任がそれを横目で確認して、おそらく凪がこのまま大人しく後をついてくることを確信したから、そのまま振り返らずに教室から出て行く。 「えー、凪くん大丈夫?」 「島田怒ってたよね?やばくない?」 「あー・・・うん、まぁ、学校来てないこと怒られるだけだろうし」 心配そうな顔を浮かべる彼女たちに背を向けて、凪は担任を追いかけた。彼女たちの心配も、凪が会話の端々で口角を上げて見せるポーズとほとんど同じであり、実のないものであることは分かっていた。怒られるのは勿論嫌だったけれど、多分島田には島田の仕事があり、彼はそれを全うしようとしているだけなのだと思えば、別に怖くもなんともなかった。それにその理由だって、担任が生徒を叱ると言う意味合いで考えれば、至極真っ当なことであり、理不尽なことではないので、凪は逆らうことができないと思っているのだ。多分こんな考え方しかできないのは、陽毬の放任教育の賜物なのだろうなと思う。そういう考え方の根本みたいなこととか、顔立ちだって陽毬と自分は似ているところがあると凪は思っている。でも父親である波多野とは、そもそも過ごした時間が短すぎるせいもあるのかもしれないが、全然似ていないことを、凪は最近薄っすら感じ始めている。そしてそれがきっと自分たち家族の間にある違和感の根本的な正体であると結論付けるには、これでは証拠不十分だろうか。 島田は凪が後からついてきているかを、一度も確認しないまま、1年生の教室がある3階から職員室がある2階まで降りて行って、職員室の扉を開けるタイミングで、振り返って凪のことを見た。相変わらず渋い表情だと思いながら、島田と目が合った凪はそれに少しだけ会釈をする。 「入れ」 「・・・はーい」 昼休み中の職員室は、教師たちも少し和らいだ表情で、ご飯を食べていたり、談笑していたりしていた。島田は机の間を縫うように歩いて、自席らしいところで止まり、その灰色の回転イスに座ってぐるりと凪のほうを見た。立ったままの凪は、必然的に座った島田を見下ろす形になった。 「お前な、分かってると思うけど、出席日数ギリギリだからな」 「・・・はぁ」 「これ以上休むと進級できなくなるからな!分かってんのか?」 そう言って島田に指を指されて、そういえば今月は数えるほどしか学校に行っていなかったと思って、凪は考えながら後頭部をがりがりかいた。一度休むと、一度も二度も同じだから、なんとなくさぼる癖がついてしまっている。そもそも友達もいない、授業も分からない凪は、学校にいても楽しいことがひとつもなかった。かといって、誰もいない家にいても仕方ないし、外に遊びに行ってくれる友達がいるわけでもなかったけれど。流石に留年なんかしたらますます学校に行かなくなるし、居づらくなることは分かっていた。何となく今は女の子たちが興味本位で集まってくれているおかげで、凪はクラスに居場所がないようであったけれど、留年なんかしたら、そんなことも言っていられなくなるのは目に見えていた。 「すいません、仕事が」 「今そんなことやってる場合か!お前成績もよくないし、もうちょっとちゃんと勉強しろ!」 モデルのアルバイトで学校を休まなくてはいけないことなんて、今まで何回かしかなかったけれど、凪はそれを担任はきっと分からないだろうと思った。そんな風に凪が表面的に何となくこの場を凌ごうと思っているのがばれているみたいに、担任は全然凪のそれに騙されてくれなかったし、多分それが真実かどうかなんてことは、この場では関係ないみたいだった。 「お前、もうちょっと将来のことをちゃんと考えろ!」 「・・・はぁ」 「親にも電話しておくからな!」 島田は怒りが収まらないみたいだったけれど、一方的に凪のことを怒鳴って、一応役目を終えたと思ったのか、それで話は終わったみたいだった。島田の座っている回転椅子がギシギシ音を立てて、島田が前を向くのを、ぼんやりと凪は目で追いかけていた。この場合の親は陽毬だろうか。自分の家の複雑な構造のことを、凪自身も理解できているとは思っていなかったし、学校みたいな外向きに対してそれがどんな風に伝えられているのかを、そういえば一度も確認したことがなかった。 「出ないっすよ、電話なんかしても」 呆れ半分、凪はそう呟いてみたけれど、島田はそれを聞いてはいなかった。

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